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古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

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小川八宮神社


埼玉県比企郡小川町は、埼玉県の中央部よりやや西側で、秩父地方外縁部に位置する。面積は60.36m²程で、比企郡西部の中核をなす町である。町の北東部は川越児玉往還に沿っている東松山台地を挟んで比企北丘陵の西端がかすめる。人口は30,667人(平成2711月時点)
 
古代から近世にかけての小川町域は主として武蔵国比企郡に属し、一部の地域は男衾郡に属していた。江戸から川越を抜けて秩父に向かう往還が町を東西に抜けており、古くはその地理的な優位性から六斎市が立つなど地域の商業中心であった。また周囲を緑豊かな外秩父の山に囲まれた小川盆地に市街地が形成され、市街地の中央部には清流で知られる槻川が流れる。その歴史を秘めて佇む史跡や往時の面影を留める町並みなど、その風情から「武蔵の小京都」とも呼ばれ、伝統工芸の和紙で知られている。
所在地   埼玉県比企郡小川町小川990‐1
ご祭神   天忍日命等8柱
社  格   旧村社
例  祭   不明

           
 小川八宮神社は埼玉県道11号熊谷小川秩父線を小川町方向に進み、国道254号線と交わる小川小学校交差点を左折する。槻川支流の兜川沿いに300mほど進むと、「町指定文化財 八宮神社本殿」の標識が見えるので、そこのT字路をまた左折する。左折すると正面に小川八宮神社の鳥居が見えてくる。
       
               小川八宮神社 正面一の鳥居
       
              一の鳥居のすぐ右側にある案内板

 八宮神社         所在地 比企郡小川町大字小川
 旧小川村の総鎮守で、天忍日命ほか七柱を祭神としていることからこの名前がある。創建は不明だが、『新編武蔵風土記稿』に「元和三年(一六一七)再建の棟札あり」とあることから、それ以前と思われる。かつては小川赤十字病院のある日向山あたりにあったが、享保二年(一七一七)この地に移転したと伝えられている。
 現在の本殿は妻切葺屋根の重厚な作りで、熊谷市妻沼聖天院の棟梁の系譜を引く林兵庫正尊を棟梁として天保四年(一八三三)四月に再建された。本殿三面と破風には龍・唐獅子などを配した中国風俗の彫刻が施され、作者は上州花輪(群馬県)の石原常八である。現在本殿は、町の文化財に指定されている。
 また境内には、青麻大神社や諏訪神社などの末社がある。
 小川町
                                                          案内板より引用
 案内板によれば、小川八宮神社の祭神は、忍日命ほか七柱、つまり「五男三女神の八柱の神」と伝えられている。しかし八柱の神については諸説があり、『風土記稿』では「国狭槌尊・豊酙尊・泥土煮尊・沙槌煮尊・大戸道尊・面足尊・惶根尊」と記載され、『比企郡神社誌』では「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命・天之菩卑能命・活津日子根命・多紀理毘賣命・多岐津比賣命・天津日子根命・熊野久須毘命・市来嶋比賣命」とされている。
 おそらく案内板を記述した教育委員会はこのうち、『比企郡神社誌』の内容を採用したと思われるが、大体祭神が全く共通事項がなく、何故このように矛盾が発生してしまったのかは不明だ。
                          
   一の鳥居を過ぎるとすぐ右側に「芭蕉の句碑」の看板があるが、かなり色褪せてよく読めない。
芭蕉の句碑
 八宮神社境内、往時、椎の大木あり
 小川町大字小川九九一番地
 先堂能む椎の木も安里夏木立     者世越
出典  猿蓑
年代  元禄三年(一六九
年齢  四十七歳
(中略)

句の大意
 奥の細道などの長旅で辛苦をなめた末に、しばしの安住を求めて、この幻住庵に入ってみると、傍らの夏木立の中にひときわ高い椎の木もあり、当分身を寄せるに足り、まことに頼もしく、まずはほっとする心持である。     
                                                          案内板より引用

           
               案内板のすぐ下にある石に芭蕉の句が刻まれている。
                                      
                             拝     殿
 この八宮神社は小川町を中心に数社存在している(小川町四社、嵐山町四社、滑川町一社)。この狭い区域にのみ、しかも鎌倉街道に沿って集中的に分布している。美里町には北向神社、滑川町には淡州神社が似通った形態で分布しているが、何故このような狭い区域に同じ名称の社が限定的に分布しているか、実はハッキリとは解明されていない。
 ちなみに「八宮」と書いて「やみや」と読む。但し「新編武蔵風土記稿」では「やきう」と記述され、「やみや」と名前が変わったのは明治時代直後のようで、その名称変更の理由も不明だ。更に東松山市には「箭弓」稲荷神社が存在する。共に同じ「やきゅう」を頭に頂く社として何かしらの関連性があると思われるが真相はやはり闇の中だ。


    拝殿向背部にある緻密で精巧な彫り物                 そして社号額
           
           
           
           
            
           
埼玉県指定有形文化財・建造物 八宮神社社殿
所在地 小川町大字小川九九一一   平成二十四年三月十六日指定
 八宮神社社殿は、本殿と拝殿を幣殿でつないだ複合社殿です。本殿は棟札によると天保四年(1833)に建てられました。大棟梁は林兵庫正尊、彫物棟梁は石原常八主信で、妻沼歓喜院聖天堂を手掛けた大工や彫物師の系譜を引いています。埼玉県内に特徴的な精巧な彫刻をもつ寺社の中でも、年代を特定できる好例として貴重な建造物です。
                                                       境内案内板より引用

    社殿手前左側にある境内社 諏訪神社          諏訪神社の並びにある御嶽神社
           
                             青麻大神社
           
               青麻大神社内部の精巧な本殿。埼玉県指定有形文化財。
           
 
埼玉県指定有形文化財・建造物 青麻三光宮本殿
 所在地 小川町大字小川九九一‐一
 平成二十四年三月十六日指定
 八宮神社境内に末社として建つ青麻三光宮本殿は、棟札によると天保十三年(1842)に八宮神社本殿と同じく林兵庫正尊を棟梁として建てられました。八宮神社に比べ規模は小さいですが、本殿全体に施された彫刻は見劣りしません。
                                                           案内板より引用
 青麻神社の総本社は宮城県仙台市宮城野区に鎮座していて、嘗ては青麻岩戸三光宮、青麻権現社、嵯峨神社などとも称している。東日本を中心に数多く鎮座し、御祭神は天照大御神・月読神・天之御中主神を三神で、平安末期、源平合戦の折、源義経の配下で四天王として有名を馳せた常陸坊海尊を併祀する。
 常陸坊海尊を併列して祀られているが、その由来として天和2年(1682年)、源義経の家臣であった常陸坊海尊(清悦仙人)であると称する老人が当地を訪れ、中風を治す霊験を顕したことによる。中風封じの御利益のある社としても有名だ。
 主祭神三神はそれぞれ日神・月神・星神であり、神仏習合の時期にはそれぞれ、大日如来・不動明王・虚空蔵菩薩と号していたらしい。


       社殿の左側奥にある大黒天           社殿の奥にも石祠があり。詳細不明。

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