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古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

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安戸身形神社


「秩父七妙見社」。筆者もこの秩父郡の神社の参拝後の編集中に初めて知った聞きなれない言葉だが、「秩父志」に江戸末期に武蔵国秩父郡の総鎮守である秩父妙見(秩父神社)の分社を郡境の交通の要所七ヶ所に攘災の守り神として配置したのが秩父七妙見社であるとのことだ。
 俗にいう妙見信仰とは、一般的には仏教でいう北辰妙見菩薩に対する信仰をいうが、その本来の姿は、道教における星辰信仰、特に北極星・北斗七星に対する信仰とも言われている。ゆえに秩父神社を北極星として、七妙見を北斗七星に見立て、江戸時代末期から明治時代前半に考えられたものであろう。
 その秩父七妙見社の一社に安戸身形神社であり、地元の方々から「妙見様」と尊称されている社である。
所在地   埼玉県秩父郡東秩父村安戸872
御祭神   宗像三女神(市杵嶋姫命・多記理毘売命 ・湍津姫命)
社  格   旧村社
例  祭   二月三日

        
 安戸身形神社は埼玉県道11号熊谷小川秩父線を東秩父村役場から約3㎞ほど小川町方向に進む。進行方向左側は県道整備のため山の稜線を削り、その斜面上に大霊神社の鳥居がそそり立つように見えるが、そのすぐ先のT字路を右折する。槻川を超えるとすぐ右側に身形神社の石製の鳥居と社号標が見えてくる。駐車スペースは鳥居のすぐ先の道を右に曲がると帯澤集落センターがあり、そこには十分な駐車スペースが確保されているので、そこに停め参拝を行った。
           
                        安戸身形神社一の鳥居と社号標
 「新編武蔵風土記稿」によると、当社は現在帯沢の地に鎮座しているが、古くは御堂村小名宮地に鎮座していた。移転した原因は、槻川の流れが変わったためで、かって槻川は帯沢と宮地の間を流れ、村を二分していたという。
           
 一の鳥居を過ぎ、静かな山村の風景が参道の周りに見られ、気持ちも落ち着き、心地よい時間が流れる。 参道を歩いていくと、山の斜面上に社の社叢が見えてくる。
                      
                    石段の先にある両部鳥居である二の鳥居
              
                             拝     殿
 安戸身形神社の現在の御祭神は宗像三女神と言われる市杵嶋姫命・多記理毘売命 ・湍津姫命の3柱だが、口碑や氏子の話では、妙見様は三姉妹いて、長女が小川町木部の三光神社、次女がここ安戸身形神社、そして三女が秩父神社であるという。また社名「身形」もこの三女神を意味する「三形」ではないかと言われている。
           
                 拝殿上部に掲げてある「妙見宮」と表記された扁額。
          
                              社殿左側にある大杉の御神木
           
                             本     殿
    
                  本殿のすぐ左側にもやはり大杉の御神木がある。 

 前出にて紹介した秩父七妙見社の由来は、実はそんなに古くはない。天保八年(1837年)から明治20年(1887年)、約50年の歳月をかけて大野玄鶴が撰述した「秩父誌」に具体的な所在地が記述されている。それによると7か所の所在地は以下の通りとなるようだ。
 ・小鹿野町藤倉
 ・皆野町金沢
 ・長瀞町矢那瀬末野神社
 ・東秩父村安戸身形神社
 ・都幾川村(現ときがわ町)大野神社(武蔵国郡村誌では身形社)
 ・飯能市上名栗星神社
 ・飯能市北川喜多川神社

 
現在小鹿野町藤倉の地にあったといわれる妙見社は所在不明であり、皆野町金沢妙見社も現在なく、長瀞町末野神社には合祀されていると言われているので、何度も参拝しているが、それらしい妙見社はない。但し大里郡神社誌によると、それに若干関連あるのか合祀社として「天御中主神社」の記述がひっそりとある。飯能市の神社についても文献の解釈によって比定地が混同しているところもあり、七妙見社としてはっきりしている社は安戸身形神社とときがわ町大野神社2社のみである。


 
       
                         拝殿前の石段より撮影


 


 

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