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古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

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皆野椋神社

 皆野町は埼玉県の西北、秩父郡の東北に位置し、秩父市の北に接する町で、秩父盆地の入り口にあたる。東経139度5分、北緯36度4分で、東は東秩父村に、北は長瀞町と本庄市に、南・西は秩父市にそれぞれ接している。
 町の中央を荒川が東流し、その右岸の川岸段丘に町が帯状に開けている。
 気象は内陸性気候を示し、冬季は北西の季節風が強く、乾燥した晴天が続き降雨量、積雪とも比較的少ない。夏季は高温多湿で気温の年格差が著しい。

 町の産業は、商工業が主で地理的条件等から商業は、郡北部地区商域圏の中心である。工業は、精密機械製造業が中心であり、農業は、農道整備や施設整備事業等を実施し、ぶどう・しめじ・しいたけを中心とした観光農業が脚光を浴びている。


所在地    埼玉県秩父郡皆野町皆野238   
主祭神    猿田彦大神・八意思金命 ・大己貴命
社  格     式内社 村社
社  紋    三銀杏

例  祭    10月8日


地図リンク
 皆野町皆野に鎮座する。国道140号彩甲斐街道を皆野方向に向かい、大塚交差点手前の十字路を右折しそのまま直進し、秩父鉄道の踏切を越えると正面に椋神社の大きな朱色の鳥居がある。鳥居の左側には駐車場もあるので、そこに停車し参拝を行った。
 もと、椋宮(倉宮)明神と称し、元慶5年(881年)円福寺を建立した真言僧源仁僧都が深く当社を崇敬したという。また秩父別当熊谷重能は厚く当社を尊信し、寿永元年(1182年)この地に居を定めたという。
  
 正面一の大鳥居を過ぎて境内に入ると立派な社殿があり後方に本殿が立っている。社殿は褐色の柱と漆喰の壁のコントラストが良く、且つ全体的に落ち着いていて、荘厳な雰囲気のある社だ。
 
             
に向いている拝殿 

                 拝殿内部
椋神社の主祭神猿田彦命は貞観十三年従五位上に叙せられ延喜式神名帳に秩父郡二座とあるうちの一社と伝えられる 椋神社は郡下に同名社五社をかぞえ明治政府はいずれも式内社と称することを許したという その中で平将平・平重能の墓がある円福寺が鎮守として崇敬し 付近に古墳の多いことなどからわが椋宮が本社であるとの説もある
 当社の草創をたずねれば景行天皇四十一年皇子日本武命が東国御巡見の折この地に至り猿田彦命のお導きによっての御創祀と伝えられる 新篇武蔵風土記稿に「村ノ鎮守」と載せられ小作地を持ち氏子から社地参道寄進のあったことからも崇敬の深さが知られ元禄年間以前より舞われている獅子舞を始め神代神楽の奉納が今なお盛んなことにもあらわれている
 爾来氏子一同熱心な奉仕を続けて昭和六十二年十月十九日伊勢本宮参拝を果たし 永代御祈祷御神符拝受を畏み 今年あたかも平成の御大礼を奉祝しこの由緒を誌し後世に伝える  

                                                                                                                                                                                                                                     境内石碑より引用
 
                  本  殿
御祭神と由来(社伝より) 
 本社創立ハ人皇十二代景行天皇四十年 皇子日本武尊東夷征討ノ役甲斐國酒折宮ヨリ北轉シテ武蔵上野國ニ至リ給フ 此際國造經營ノ地ヲ巡視セラレ 則チ秩父ノ山路ニ入ル 而シテ當時原野ニ出ツルコトヲ大ニ愛シ給ヒ 御矛ヲ樹テ國造ノ祖神八意思兼命ヲ遥拝シ且ツ當郡ノ山岳ヲ望ミ給フ時ニ御矛忽チ光ヲ放チ 其ノ光飛デ當原野西隅ノ森林ニ止マル 尊怪シミ彼所ニ至リ給フヤ 該森林ノ椋樹ノ下ニ老翁現レ告ゲテ曰ク 吾尊ヲ嚮導シ其ノ行路ヲ守ラント 茲ニ於テ尊其御名ヲ問ヒ給フ 翁對ヘテ吾ハ猿田彦ナリト云フ 畢テ御身ヲ隠シ給フ 故ニ此處ニ神籬ヲ立テ 八意思兼命 猿田彦命 大己貴命ノ三神ヲ鎮祭シテ椋神社ト称ス

 「概略・ヤマトタケルノミコトが東国を巡見され秩父山中に出でられた時のこと。御矛を立ててヤゴコロオモイガネノミコトを遥かに拝されると、たちまち光が放たれ西の隅の森にある椋の木の下に老翁が現れ、「あなたを導き守りましょう」と言われた。その老翁に名を尋ねると、「私はサルタヒコノミコトなり」と言って姿を消された。よって、その地に神籬を立て「サルタヒコノミコト」「オオナムチノミコト」「ヤゴコロオモイガネノミコト」の三神が祀られ椋神社の創始となった。」 
                  

            神楽殿
 
社伝によると、日本武尊東夷征伐のおり、当地を通過される時、御矛を立て、祭神・猿田彦命・八意思金命・大己貴命の三柱の神を拝し給うたのが、当社の創祀。猿田彦命は、日本武尊の巡視をご案内した神。八意思金命は、知知夫国造の祖神。大己貴命は、国土経営の神である。

 元来は椋宮(倉宮:くらのみや)と称された古社で式内社・椋神社の論社の一つ。



 本殿の後方に境内社が少々狭い空間にズラッと並んでいる。



 産泰大神・愛宕大神・秋葉之大神・八幡大神・山之神大神・諏訪大神・摂社末社之大神・駒形大神・金刀比羅大神・秩父彦之大神・伏見稲荷大神・太宰府天満宮・祖霊社・八坂大神等 



  社殿の右手には護国神社もある。これがまた立派な佇まいだ。
 
また本殿の右側には石祠が並んでいる。一部だが、社号や祭神名が記された木の札が掛けられている。

 祭神は高良玉垂大神、天児屋根神社、斎主大神、神明大神、菊理姫大神、事解男大神、
雷電大神、善女龍王大神、句句馳智大神、河菜姫大神、埴山姫大神等。

埼玉県指定無形民俗文化財
 

 
皆野椋神社の獅子舞
                                            
昭和五四年三月二四日 指定
 
明治一五年の大火で記録類が焼失し、詳しい縁起はわかりませんが、児玉町小平の石神神社獅子舞の起源に、「元禄十二年皆野に伝わる獅子頭が小平に分けられ……」と伝えられています。これが皆野椋神社獅子舞に関する、最も古い記録です。
 獅子頭は塗獅子で、狛犬型、龍頭型とがあり、髪は栗毛のたてがみで、大狂い、女獅子、小狂いの三頭を一組として四組一二頭あります。
 演目は一八庭で、神前に子どもたちの舞うお神楽三拍子に始まり、ひきま、わせ、おく、弓掛り、まり掛り、みいれ、ひょうたんまわし、幣掛り、竿掛り、花掛り、お神楽ざさら、輪掛り、橋渡り、下妻、宿割、天狗拍子で終わります。三頭の獅子の足が腰鼓にあわせてぴたりぴたりときまるのが特徴で、師匠ざさらといわれる「宿割」はその特色を最もよく表しています。
 一日の行事の中ほど、中入りには二人立ちの大神楽獅子二頭が勇壮に舞い、道化たちがからみます。また、演目の最終には一二頭の獅子に、中立四人が加わり、一六人ざさらともいわれる天狗拍子が舞われます。
 古くは上郷組、下郷組とに分れ、交代で九曲ずつを受持って演じていました。また、今は行われていませんが、椋神社と土京遥拝所の間にご神幸に供奉した道中または行列といわれた儀式は荘重なものでした。
 実施期日 一〇月七日 土京遥拝所 一〇月八日 椋神社

 
          専用駐車場から見える武甲山
 皆野町椋神社の西側は荒川が流れ、その台地上にこの社が鎮座しているのが来てみると良く分かる。また武甲山がよく見える位置にあるのも何か印象的だった。椋神社にとっても武甲山は
蓑山と共に神聖の山の対象だったのだろうか、とふと感慨にふけってしまった。



                                                          

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