大麻生大榮神社
主祭神 菅原道真公、そして日本武尊、他14柱
社 格 旧村社
由 緒 旧五社稲荷神社が境内に存在していた。大正2年中郷地区の八荒神社
と駒形神社、西河原の浅間神社と天神社、そして武体の天神社を合祀して
現在の大榮神社として改称する。
大正3年10月7日、神饌幣帛料共進神社に指定。
例 祭 4月 例大祭
埼玉県道47号深谷東松山線を東松山方向に進み、三尻農協前交差点のY字路を左折する。国道140号バイパス、いわゆる彩甲斐街道を抜け、国道140号(秩父往還道)の交差点を左折し300m程進むと左側に大榮神社が鎮座している。神社の隣に社務所があり、駐車場スペースがあったのでそこに停め参拝をする。熊谷では珍しい神明造りの社である。
現在の社殿は決して古くはなく、昭和3年に改築したものらしい。その際に、神明風の社殿にしたようだ。深谷市高島に鎮座する、生品神社に似ている。また河川の洪水対策として石垣による基礎を高くしているのがわかる。ちなみに石垣として使用した石は、荒川の自然石とのこと。
参道を進むと左側には石碑(写真左)があり、左から小御岳神社、御岳神社、白山大権現が祀られている。またその奥には合祀社(写真右)もあり、左から産泰神社、浅間神社、駒形神社、 天神社、五社稲荷神社、八荒神社が鎮座する。
拝 殿
本 殿
社殿の左側を通ると、すぐ先に弓場跡と彫られている立派な石組があった。熊谷市玉井地区には玉井大神社が鎮座しているが、そこでは「オビシャ」と言われる神事があり、元々は弓を射てその年の豊凶を占う神事だったようだ。またここ大麻生から西に3km程行った深谷市菅沼に鎮座する菅沼天神社には「天神社的場の儀」と言われる神事があり、これらは偶々偶然だったのか、それとも何かしら関連性があるのだろうか、現時点では不明だ。
また弓矢跡の奥の囲いの中には立派な御神木がある。
何百年も何千年も生き続ける大木の傍らに立つと、太古の日本人の姿を見るような気がして、つかの間、タイプトリップした気分になるときがある。この巨樹、巨木は何百年も前からこの地に存在して、戦争も嵐も大水も、苦しみも悲しみも喜びも、すべてを目にしてきたのだ。何も言わず、ただ静かに屹立する孤高の姿、その圧倒的な存在感を前にして、畏怖と尊敬の念を抱かない日本人はまずいないだろう。
この御神木と言われる巨樹、巨木は社にとって象徴的存在であり、また地域のシンボルとして人々の心のよりどころでもあり、未来永劫保全すべき文化遺産ではあるまいか。