新町八幡宮
このように新町宿は落合村と笛木村が合体してできた宿場であったのだが、実際は江戸時代を通して、両村の独立性は高かったようだ。地元に残る古文書・古記録には、新町宿をせずに、「落合新町」「笛木新町」と区別されているものが多い。
・所在地 群馬県高崎市新町2522
・ご祭神 誉田別命
・社 格 旧落合宿産土神 旧村社
・例祭等 不明
新町八坂神社から旧中山道(現埼玉県道・群馬県道131号児玉新町線及び、群馬県道178号中島新町線)を北西方向に進む。この旧中山道の道幅は昔とそれ程変わらないようだが、戦後の開発により新町駅前通りが出来たりして、昔の面影を探すのは困難であるが、町割り自体は昔のままであり、昔の絵図から現在の家を探すことができるという。
その後、1㎞程進んだ丁字路を左折すると、すぐ右手に高尾山宝勝寺が見え、その隣に「指定村社 八幡神社」の社号標柱が建っている。
新町八幡神社 正面社号標柱
社の鎮座地は、別当寺である高尾山宝勝寺と共に、江戸時代の中山道新町宿・小林本陣跡の南側奥にあたり、旧中山道という主要街道の宿場町にある鎮守社として祀られていたのではないかと想像する。因みに小林本陣跡とは、「久保本陣」「三俣副本陣」と共に参勤交代の定宿だったといい、建坪135坪あまり、玄関は20畳、つづく広間が15畳といかにも本陣らしい造りとなっていたという。
社号標柱から高尾山宝勝寺の南側脇の路地が参道となっている(写真左・右)。
新義真言宗豊山派落合山宝勝寺は、森新田にあった地蔵尊を現在の地に移し、新町宿成立以前の慶長13年(1608)に僧堯運によって開山されたといわれる。何回か火災にあっているが、宝暦11年 (1761)に造られた鐘楼門が残っている。櫸造りの立派なものである。鐘は太平洋戦争中供出されたが、昭和28年(1953)再び鋳造された。境内に安永4年(1775)に建立され百番供養塔と六地蔵がある。また墓地には多くの著名人が眠っているが、大和郡山城主柳沢甲斐守保興の室お貞の方が大和の国より江戸へ向かぅ途中新町の本陣で急病でなくなりこの寺に葬った。立派な石塔には「貞蓮院殿貴顔妙倫大姉」「寛政六甲寅年七月初三日」と記されている。
また柳瀬川(烏川)に初めて船会所を創立して中山道の交通を容易にした事業寒であり、俳人でもあった小林伊左衛門(1722~1783)、医学者大久保適斎(1840~1911)、西ヶ原養蚕伝習所(東京農工大前身)に学び、新町養蚕伝習所を創設した境野清衛(1845~1913)の墓もあるという。
朱を基調と下両部鳥居 これより境内
拝 殿
宝勝寺に隣接する新町八幡宮の創建年代は鎌倉時代初期の建久年間(1190~1198)といわれ、その本殿は元禄4年(1691)に再建されたもので、鎌倉時代の建築様式を残し、柱の彫刻は精巧なものである。
社の鎮座地は、江戸時代の中山道新町宿・小林本陣跡の奥にあたり、旧中山道という主要街道の宿場町にある八幡神社として賑やかだったことがうかがえる。
拝殿には絵馬が奉納されているが、文久3年(1862)に新町宿の遊女達が奉納した三面の大作の絵馬は町の文化財に指定されている。一面は玉村の千揮玉斎が描いた「紅葉狩」、他の二面は境町出身の金井研香作の「勿来関」と「花木図」で横六尺縦三尺の大絵馬で保存状態が良い。「花木図」中には「丸富楼」の遊女達が作った俳諧が記されており、新町宿色街の繁栄と俳諧の普及の様子が偲ばれる。
拝殿側面に設置されている羅袈裟喜氏指定文化財の案内板
高崎市指定文化財
①八幡宮絵馬
一、「勿来関」(板面著色・額装)
作者 金井 研香
制作年代 文久3年(1863)
奉納者 高橋屋の遊女(7名)
「勿来関」は、郎党2名を従えた騎馬武者を中心の絵柄として、背景に桜花を配することで、華やかさと潔さを象徴している。
一、「花草図」(板面著色・額装)
作者 金井 研香
制作年代 文久3年(1863)
奉納者 丸富楼の遊女(8名)
遊女8人の俳句が書かれている。
「花草図」は、画面右から上部にかけて、八重かと思われる豪華な桜花でおおい、花影の下部にはひかえめに草花を配す、見事な画面構成である。
一、「紅葉狩」(板面著色・額装)
作者 千輝玉斎
制作年代 文久3年(1863)
奉納者 絹屋の遊女(9名)
「紅葉狩」は、平維茂が鬼女を討たんとする瞬間をとらえており、逃れんとする鬼女の動きが劇的な効果を高めている。
案内板より引用
・指定種別:高崎市指定重要有形民俗文化財
・名称:八幡宮絵馬 三面(はちまんぐうえま さんめん)
・指定年月日:昭和55年1月10日
②天神の獅子舞
天神地区(現在の第2区周辺)の人達によって伝承されている稲荷流獅子舞で、雄2頭、雌1頭の一人立ち3頭獅子である。獅子は鳥総を飾った頭をつけ、タッツケ袴、白足袋、草鞋ばきで、腰太鼓をつける。元禄4年(1691)落合宿で八幡宮再建のおり、新町産の一本桐で獅子頭を新調したといわれている。獅子3頭のほか天狗とカンカチが加わり、笛の伴奏で舞全体をリードする。祭りの時は天神様・八幡宮を参拝し、神官に祓い清めてもらい、舞を奉納してから上三町(現在の第1区、2区、3区)の祭会所で舞を披露する。
案内板より引用
・指定種別:高崎市指定重要無形民俗文化財
・名称:天神の獅子舞(てんじんのししまい)
・指定年月日:昭和55年1月10日
本 殿
社殿の右側にある神興庫 神興庫の右並びに祀られている石祠
市指定文化財「八幡宮神輿」が大事にある。 詳細は不明
③八幡宮神輿
寛政5年(1793)宿場の大火によって焼失したものを、信仰の篤い宿場の人々の悲願によって享和元年(1801)に復元されたもので、渡御神輿と称される荘厳なつくりです。
落合宿の産土神、八幡宮の神霊を祭事に移して、宮本・仲町・橋場の各町内に御旅所を設け、年番の町内が奉仕した。神輿のほかに四神旗もあり、青龍・朱雀・白虎・玄武の信仰は中国から渡来して大和時代に定着したが、庶民に浸透したのはずっと後である。
案内板より引用
・指定種別:高崎市指定重要有形民俗文化財
・名称:八幡宮神輿(はちまんぐうみこし)
・指定年月:平成3年12月7日
境内の東側隅に設置されている第一区花車庫
八幡宮の氏子区域は宮元町(一区)、仲町(二区)、橋場町(三区)の三町から構成されていて、各区お囃子が異なるという。
「新町ふるさと祭り(山車まつり)」は、2年に1回の隔年開催の行事であり、8月中旬に町内1~10区の各山車・屋台が日中は地元を廻り、夕方から駅前通りに集結しお囃子の競演、叩き合いを行うものだ。
帰り際に境内の一角から鳥居方向を撮影 鳥居の先にある特徴ある手水鉢
境内の様子
参考資料「群馬県歴史の道調査報告書11:中山道」「群馬県神社庁HP」「ぐんま地域文化マップHP」
「ウィキペディア(Wikipedia)」「境内案内板」等
