八甫神明社・八甫稲荷社
・所在地 埼玉県久喜市八甫2734
・ご祭神 天照皇太神
・社 格 不明
・例祭等 春祭り 2月15日 ササラ 7月24日 秋祭り 10月15日
大輪神社から埼玉県道152号加須幸手線を西行し、同県道3号さいたま栗橋線と交わる「八甫」交差点を右折、暫く県道3号線を北上すると、県道沿いで左手に八甫神明社の鳥居と幟旗ポールが見えてくる。
県道沿いに鎮座する八甫神明社
当社は、江戸初期の新田開発に伴い開削された北側用水の水源に祀られ、灌漑用水の守護神として信仰されてきたという。
また、今でこそ社の境内の立木は少なくなっているものの、かつたは杉や松が建ち並ぶこんもりとした社であったという。当時は、境内の立木を毎年一本ずつ伐採し、氏子が自家用の薪としてもらい受ける慣例があった。このことは、当社が鎮守として意識されていたと共に、氏子の共有財産とも見なされていたことを伺わせるのだが、同時にこの伐採が社の社叢林を失う結果を招いたことも否めない事実であろう。
塚上に鎮座する社殿
『新編武蔵風土記稿 八甫村』
神明社 光厳寺持、
光厳寺 禪宗曹洞派、埼玉郡鷲宮村靈樹寺末、瑠璃山藥王院と稱す、本尊釋迦を安ぜり、開山鯤山良鯨慶安五年二月十七日寂す、藥師堂 白山社 鐘樓 延寶元年鑄慥の鐘をかぐ、
神明社 鷲宮町八甫二七三四(八甫字圦前)
当社は、鷲宮町の東北に位置する八甫の西端に鎮座している。
創建については、『明細帳』に「当社ハ伊勢神宮ノ別霊(わけみたま)二シテ万治二年(一六五九)ノ創立、幸手領北側用水路疏通ノ工竣(おわ)り、依テ用水守護神トシテ水源二鎮座スト古老ノ口碑二存セリ」と載せている。
これに見える「水源」とは、かつて神社の南及び西側に広がっていた神明池のことと思われる。神明池は、その南西の宝泉寺池と共に湧水の池であったが、昭和二十二年のキャスリン台風による大水で消滅し、代わって拡大した宝泉寺池の水を北側用水に引くようになった。
『風土記稿』には「神明社、光厳寺持」とあり、江戸期には曹洞宗光厳寺の管理を受けていたことがわかる。
現在、当社の覆屋となっている社殿は、元来字屋敷浦に鎮まっていた諏訪社のものであった。大正三年に、諏訪社が字宮前の八甫の鎮守である村社鷲宮社に合祀された折に譲り受けたものである。
また、昭和二十年ごろまでは、五反ほどの社有の水田があった。しかし、太平洋戦争後の農地改革によりその大部分を失い、現在は神社の南側にわずかに残るばかりである。
昭和四十年代になると、幹線道路の波が当地にも押し寄せ、国道四号が開通した。これにより、当社の境内と参道が分離され、現在に至っている。
「埼玉の神社」より引用
上記「埼玉の神社」の紹介されている宝泉寺池は、八甫神明社のすぐ南西に位置する洪水洗掘の池で、かつての利根川流路の一部にあたり、江戸時代の1704年(宝永元年)7月の関東洪水によって形成されたという。宝永元年は、六月から降り続いた大雨で利根川およびその派川が満水状態となり、山地から鉄砲水も加わり各所で堤防の決壊を来たしていた。
島川通り八甫村でも、「宝永元年申年七月朔日、洪水にて宝泉寺脇百間余、あわま耕地兵右衛門堤にて百二十間、新田にて五十間余切れ所にまかりなり、田畑ともに池になり」(八甫村記録)などとあり、江戸時代初期の〆切である宝泉寺(廃寺)脇の堤が約180㍍にわたって決壊した。その後は天明六年(一七八六)の大洪水もあって宝泉寺池は南北に216m、東西119mの区域を水面としていた。
現在、広さは南北に200m、東西100m程であり、埋め立てなどにより湖面はかつてより狭くなった。現在、宝泉寺池は釣り場として親しまれているとのことだ。
ただし、宝泉寺池に立ち寄れず、写真に納められなかったことは残念。
拝殿覆屋
内陣には「奉勧請天照皇太神宮 文政十二己丑年(一八二九)六月二十五日」と記した神牌(しんぱい)が納められている。これは、古くから六十年目ごとに伊勢のお祓いが降ると伝えられ、翌文政十三年がこの年に当たることから、特別の御利益を説いた御師(おんし)の働きを感じさせるものがあるとのことだ。
また、当社の年二回の祭りのほかに、七月二十四日にはササラがある。これは、鷲宮社の獅子舞が当社にも奉納されるもので、悪魔除け行事といわれている。昔は、村回りの際には、氏子の郭戸を巡って「悪魔祓い」を行っていたが、現在は村境にボンゼンと呼ばれる御幣を立てて舞う「辻摺り」と、八甫内の各社前で舞う「宮摺り」だけである。当社においては、参道入口で奉納されるという。
【八甫稲荷社】
・所在地 埼玉県久喜市八甫3-64。
・ご祭神 稲荷神(推定)
・社格・例祭等 不明
八甫神明社から埼玉県道152号加須幸手線を2㎞程東行、東北新幹線の高架橋の手前にある「八甫三丁目」交差点の左側にこの社は鎮座している。偶々通りかかった際にナビにヒットした社で、一期一会の出会いに感謝し、参拝を実施。但し周囲に適当な駐車スペースもなく、路駐にて急ぎ参拝を行っている。
八甫稲荷神社(?)正面
ナビには「稲荷社」と表記されてはいたが、現地で一見すると、鳥居もなく、寺院的な外観。
『新編武蔵風土記稿 八甫村』に載っている観音寺であろうか。
正面の建物の北側に祀られているこちらが稲荷神社の石祠
石祠には「稲荷大明神」と刻印されている。
この石祠の脇には庚申塔や青面金剛像等がズラッと並んで祀られている。
但し、この社に関しての詳細は全く分からず不明。
高架橋側にある地蔵尊三基
真ん中の地蔵尊の基壇部には「甲子待供養塔」と刻印されている。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「ウィキペディア(Wikipedia)」等
