月輪神社
・所在地 埼玉県比企郡滑川町月輪418
・御祭神 素戔嗚尊、木花開耶姫命、味鋤高彦根神、豊受気媛神、月輪兼実公、菅原道真公
・社 挌 指定村社(大正5年)
・例 祭 春祭り 4月15日 例祭 7月15日 秋祭り 10月19日 11月23日 新嘗祭
月輪神社は埼玉県道47号深谷東松山線を南下し、森林公園駅入口交差点のY字路を右折し、森林公園北口前の信号をまた右折する。道なりに真っ直ぐ進むと約5分弱で左側に月輪神社の社号標が見えてくる。駐車場は神社の東側隣に集会所があり、そこには駐車スペースが確保されており、そこに停めて参拝を行ったが、そこは神社の拝殿のすぐ横にあり、正面、つまり南側の鳥居から参拝することをモットーとしている筆者にとっては少々遠回りをしなければならないことが不満な点ではあるが。
南側にある月輪神社の社号標
社号標の先にある一の鳥居 自然のままの社殿に通じる参道
以前は朱塗りの鳥居であった。 境内は鬱蒼とした杉林に覆われている。
参道の先にある拝殿
なんでもこの社殿の基盤全体が古墳となっているようだ。この森林公園の南側に位置する羽根尾地域から月輪地域にかけては、数多くの遺跡が出土している日本でも有数の遺跡分布地帯で、調査によると、未発掘の埋蔵文化財が、町のほぼ全域に分布しているそうだ。
東武東上線「つきのわ駅」の北部にある月輪古墳群や月輪遺跡からは、古墳時代の土器や石斧、直刀、さまざまな形の埴輪が数多く出土。東上線以南の地区からは縄文時代早期の土器が見つかり、駅西南部の一帯では旧石器時代の石器も発見されている。
拝殿の「月輪神社」と書かれた扁額 拝殿前の石段の横には案内板がある。
月輪神社
由 緒
当社は和同二巳酉(西暦七0九)年に大宮氷川神社の神霊を此の地に分社したと鎮守名に記載されており その後建久九戊午年三月、月輪兼実の霊を合祀して氷川大明神と称した。
享保八年九月宗源宣旨により正一位の神位を贈られた 明治維新の際明神号を廃し 氷川神社と称し 明治四十一年三月大字内の五社を当社に合祀して今までの氷川神社号を月輪神社と改称した 明治四年村社となり 大正五年指定村社に昇格した。
昭和五十四年十二月吉日
滑川村観光協会
滑川村教育委員会
本殿覆屋
社殿手前にある古木跡
「埼玉県の神社」によると、「昔は、杉の古木が林立していたが、伊勢湾台風でその多くが倒れてしまった。この時、社殿の前にあった樹齢六〇〇余年といわれる神木の杉の幹にも亀裂が生じ、危険な状態になったため、氏子一同は涙を呑んで伐採を決意した」と記載されている。この伐採跡がこのご神木なのであろう。
また案内板にも記載があったが、この月輪地域では、「獅子舞」が例祭に合わせて奉納される。「埼玉県県民生活部文化振興課公式HP」では以下の紹介がされている。
月輪獅子舞 滑川町指定無形民俗文化財
月輪神社で毎年7月と10月に五穀豊穣と子孫繁栄、悪魔除けを願い奉納されています。 太鼓には文政9(1826)年の銘があり江戸時代には既に行われていたと思われます。地元の熱意で、昭和57年に復活しました。
道路沿いにある社号標のほうが歴史を感じる重みのある標石だと思う。
東松山台地北縁の、嵐山町川島字屋田から滑川町月輪字西荒井にかけて、東西400m、南北800mの範囲に所在する。嵐山町側を「屋田古墳群」、滑川町側を「月輪古墳群」と呼ぶこともある。かつては100基以上の古墳があったと推測されたが、多くの古墳は開墾などにより破壊され、2002年(平成14年)のつきのわ駅開設に伴う区画整理事業の際に発掘調査が行われ、59基の古墳の記録保存がなされた。 現在直径20〜30mの円墳47基が現存する。
1969年(昭和44年)10月1日、埼玉県の重要遺跡に選定された。
「Wikipedia」より引用