古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

脚折雷電社

 脚折雨乞(すねおりあまごい)は、埼玉県鶴ヶ島市脚折地域に伝わる雨乞いの伝統行事である。巨大な蛇体を作って練り歩き、雷電池(かんだちがいけ)へ導くことで降雨を祈願する。かつては旱魃の年に行われていたが、近隣の住宅地化と専業農家の減少によって途絶の危機に瀕し、1976年(昭和51年)以降は4年に1度行うことで保存継承を図っている。1976年(昭和51年)に市指定無形文化財、2005年(平成17年)に国の選択無形民俗文化財に選択された。また、2000年(平成12年)55日には、埼玉新聞社の「21世紀に残したい・埼玉ふるさと自慢100選」に選出された。
 現在では、4年に一度、夏のオリンピックが開催される年に行われている。残念ながら2020年(令和2年)は新型コロナウイルス感染拡大防止のため開催中止となったが、2024年(令和6年)84日に8年ぶりの開催されている。
 先人たちの思いを今の人々が受け継ぎ、継承し、未来へ託すことへの苦労は並大抵なことではなかったはずである。現実この行事は、戦後の高度成長期、都市化や行事の担い手である専業農家の減少など社会環境の変化により、昭和39年(1964)を最後に一度途絶えてしまってしまう。しかし、昭和50年(1975)に、雨乞行事の持つ地域住民の結びつきや一体感を再認識した地元脚折地域住民が、「脚折雨乞行事保存会」を結成し、翌昭和51年、脚折雨乞を復活させたという。
 このように、嘗ては雨を神に願う行事から、現在では地域住民の絆を育む行事へと、「脚折雨乞」は時代の変遷の中で、その役割を変えながらも、地域の強い結びつきの中で確実に受け継がれていく事を願わずにはいられない。
 雷電池公園内に祀られているいささか小さい社ではあるが、地域の方々にとってはその存在自体の意義は極めて大きい。その尊敬の思いも含めて今回「社」として紹介した次第である。
        
             
・所在地 埼玉県鶴ヶ島市脚折町522                  
             ・ご祭神 大雷神
                          ・社 格 脚折白鬚神社摂末社
             ・例祭等 脚折雨乞神事88日(4年毎)
 脚折白鬚神社から日光街道を南下し、200m程先の信号のある丁字路を左折する。その後道なりに進み、国道407号線との交点である「雷電池(西)」交差点を直進し、300m程行くと「雷電池公園」に到着する。その公園内に脚折雷電社は静かに鎮座している。
        
                  公園内にある雷電池
       
                  因みに「雷電池」と書いて、「かんだちがいけ」と読む。 
 『鶴ヶ島市HP』による脚折雨乞の由来として、「昔から日照りのとき、脚折の雷電池(かんだちがいけ)のほとりにある脚折雷電社(らいでんしゃ)の前で雨乞いを祈願すると、必ず雨が降った。特に安永・天明(17721789)の頃には、その効験はあらたかで近隣の人の知るところであった。 しかし、天保(18301844)の頃には、いくら雨を祈ってもほとんどおしるしがなくなってしまった。それは、雷電池には昔、大蛇がすんでいたが、寛永(16241644)の頃、この池を縮めて田としたため、大蛇はいつしか上州板倉(群馬県板倉町)にある雷電の池に移ってしまった。そのため雨乞いをしても、雨が降らなかった。」
       
                              公園内から脚折雷電社を望む。
 明治7(1874)夏の干ばつの時、「畑の作物が枯れそうなので、近隣の人が脚折雷電社で雨乞いをしたが、そのしるしがなかった。そこで脚折のムラ人が協議して、板倉雷電社に行き、神官に一晩中降雨を祈願してもらい、翌日、傍らの池の水を竹筒に入れて持ち帰った。
 脚折雷電社で、白鬚神社の神官が降雨祈願をしていたが、そこに板倉の水が到着したとたん、快晴の空がたちまち曇りだし、まもなく雨が降った」という。
        
             雷電池のほとりに鎮座する脚折雷電社
 白鬚神社 鶴ケ島町脚折一七一五
 雷電様は、飛び地境内の雷電池の傍らに祀られ、古くから雨乞いで著名である。この池は、昔は広く大きなもので、池の主である大蛇が棲んでいた。ところが寛永のころ干拓され池が小さくなり、大蛇は上州板倉の雷電池に引越してしまい、以来ここに祈っても雨が降らなくなってしまった。このため雨乞いの時には板倉の雷電社に祈ってお水をもらい、大蛇を作って池に入れて祈ると雨に恵まれたという。
 池のほとりに大蛇を待つと、いずこともなく「ドン、ドン、ドン」と単調な太鼓の音が聞こえてくる。やがて三〇〇人余りの人波を乗り越えて物凄い形相の大蛇(この時には竜と呼ばれる)が現れる。人々は余りのことに声もない。パかっと口を開けた竜が池に入る。三周して担ぎ手が酒を飲み、再び池に入り二周する。三〇〇人の担ぎ手は「雨降れたんじゃく、ここえ懸れ黒雲」と叫ぶ。まことに勇壮な光景である。(中略)昭和二余年に雨乞い保存会が出来て、照り降りかまわず四年に一度行うことになっている。
                                  「埼玉の神社」より引用

         
                              脚折雷電社社殿
 脚折での雨乞いに関して最も古い資料は、江戸時代の文化10年(1813)に記された「申年村方小入用帳(さるどしむらかたこにゅうようちょう)」で、その中に「壱貫四百文 右是ハ雨乞入用ニ御座候」と出てくるのが初見である。その後、弘化5年(1848)、文久2年(1862)の史料に、雨乞いの経費に関する記述が出てくる。
        
       脚折白鬚神社の境内に掲示されてあった「脚折雨乞」のパンフレット

「脚折雨乞」の主役である巨大な龍神は「龍蛇(りゅうだ)」と呼ばれる。前年から用意される竹や麦藁で作られる蛇体は、長さ36 m、重さ3 tになる巨大なものである。かつて脚折村の鎮守であった白鬚神社で祈祷を行い、途中善能寺を経由しておよそ2 kmの行程を練り歩いて脚折5丁目の雷電池に至る。龍蛇は板倉雷電神社の神水とともに池に導かれた後、担ぎ手により解体され、その一部を持ち帰れば幸が訪れるとされている。



参考資料「鶴ヶ島市HP」「鶴ヶ島市デジタル郷土資料」「Wikipedia」等

拍手[1回]