古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

旗井神社

 加須市旗井地域に鎮座する旗井神社の境内の一角に「愛染明王」像がある。この像は、多くの十九夜様、庚申様、馬頭観音等が並ぶ供養塔群の中央にあり、加須市の有形民俗文化財に指定されている。
 愛染明王は元来、インドの愛をつかさどる神で平安時代初期、遣唐使として海を渡った空海により真言密教とともに伝来した。この明王は愛欲煩悩を浄化し、解脱に導く「煩悩即菩薩」の神であり、そのお姿は、頭上に獅子の冠をかぶり、目は三眼、六本の手には弓矢などを持ち、忿怒の相をしている。鎌倉時代には、その様相から武士の信仰を集めたという。近世になると愛染の言葉「逢い初め(あいぞめ)」や「愛敬(あいぎょう)」に通じるとされ、男女の縁結び・恋愛成就の神として花柳界や芸能界の人々に信仰されるようになる。また、愛染が藍染に通じるとして、染物業者に信仰されたともいう。
 石仏の造立の目的は記されていないが、『武蔵国郡村誌』によれば、幕末期、この地は穀物の生産が主体であったが、副業として砂地を利用して藍葉の作付け、藍玉の生産が行われていた。また、利根川沿いに紺屋(こうや 染物業)が点在し、更に藍玉を取引する問屋もあったなど考えると藍作りの農家が守護神として造立したものと考えられている。
        
             
・所在地 埼玉県加須市旗井556
             
・ご祭神 菅原道真公
             
・社 格 旧中新井村鎮守・旧村社
             
・例祭等 歳旦祭 11日 春季例大祭 415日 
                  秋季例祭 
1015
 旗井地域は東武日光線の栗橋駅に近接し、加須市における「生活拠点」の一つとしての位置つけとなっていて、公共交通によるアクセスの利便性が高く、周辺には商業施設、公共施設、医療・福祉・子育て支援施設などが充実した地域生活を支える拠点を形成している。
 途中までの経路は外記新田鷲神社及び旗井八幡神社を参照。埼玉県道60号羽生外野栗橋線を旗井八幡宮から更に東行すること1.3㎞程、東武日光線の踏切を越えるとすぐ左手に幡井神社の鳥居、及び社の境内が見えてくる。
        
                  幡井神社正面
      すぐ南側には踏切があり、車の往来もある為、鳥居からの撮影は断念。

『日本歴史地名大系』 「中新井村」の解説
 現大利根町の東端、利根川右岸に位置し、東は古利根川を挟んで葛飾郡栗橋宿(現栗橋町)、利根川を挟んで下総国葛飾郡中田宿(現茨城県古河市)、西は渡沼村・琴寄村、南は下新井村、北は中渡村。古利根川および利根川沿いに水除堤がある。上・中・下の新井村があったが、天正年間(一五七三〜九二)頃に上新井村(現北川辺町)は本郷村と改称、寛永年間(一六二四〜四四)の利根川掘割によって隔たり、領名も古河川辺領となった。中・下の新井村は向川辺領で、当村を含む一三村が同領(風土記稿)。田園簿によれば高三四六石余で皆畑、幕府領。
        
             境内に設置されている幡井神社の案内板
        
                    拝 殿
 旗井神社
 縁起 (歴史)
 平安時代、天喜年中(一〇五五))の創・祀にて、康平年中 (一〇六〇年頃)源義家が陸奥の豪族安倍氏鎮定(前九年の役)に向かう時、乗馬神前にて頻りに嘶き敢えて進まず、依って、下馬して旗を井の傍らに立てて馬に水を与え憩う。時に義家村老を召してその小祠の祭神を問いたるも知る者なし。 ここにおいて今より「天神」と崇めるべき旨を告ぐ。而して白旗を与え去る。故を以て「旗井天神」と称え、その旗を神宝となしたりと。
 後人、菅原道真公の像を安置し現在に至る。
 延宝五年(一六七七年)社殿を新築。寛延三年(一七五〇年))彩色修復。寛永六年(一八五三年)社殿改築。元和七年 (一六二一年)利根川東遷に伴い新川通り開削により、字堤外瀬合に移転。明治五年(一八七二年)村社に列格。明治四四年(一九一一年))利根川第三期改修により現在地 (旗井五五六番地)に移転改築し、旗井地区内の神社七社(水神社・男野明神社・女野明神社・大神社・日枝社・ 稲荷社・八幡社)を合祀の上、社名を「旗井神社」と改称。昭和五七年(一九八二年)本殿・幣殿・拝殿の屋根を銅板にて葺き替え。(以下略)
                                  「境内案内板」より引用

        
            社殿の左側に祀られている境内社・御嶽神社
 御嶽神社
 御祭神 大口真神(御神狗・おいぬさま)
 日本武尊が東征の際、御岳山の山中において狼に難を救われ、その際に「この山に留まり、地を守れ」と仰せられ、以来、御嶽大神とともに「おいぬさま」とあがめられ、病魔・盗難・火難除け等の諸災除けの神として関東一円の信仰を集めています。
 又、道中での難を救う神として、登山や旅行安全の神、「おいぬ」は「老いぬ」にも通じて、健康・長寿の神、戌は安産・多産な事から、安産・子授けの神としても多くの信仰を集めています。
                                      案内板より引用

        
        社殿奥に祀られている石碑・石祠。 石碑の間には力石もある。
        左から水天宮、(?)、御嶽神社・八海山神社・三笠山神社
       
          社殿左側にはご神木であるケヤキの大木が聳え立つ
          加須市保存樹木。幹回 290㎝ 指定番号 第95
 
     境内東側で道路沿いに並んで祀られている石碑・十九夜塔・馬頭観音・庚申塔等
          丁度真ん中付近に「愛染明王」祀られているいる。



参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「加須市HP」
    「広報かぞ」「境内案内板」等
 

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