新里菅原神社
・所在地 群馬県邑楽郡明和町新里113−1
・ご祭神 菅原道真公(推定)
・社 格 不明
・例祭等 石経様 5月27日 厄神除け 6月28日
東武伊勢崎線川俣駅から350m程東側の地に位置し、埼玉県道・群馬県道369号麦倉川俣停車場線沿いに鎮座する社である。熊野那智大社文書に「永正二年(1505)、上野国佐貫庄新里雅樂助・同名太郎左衛門」とあり、嘗て新里地域には、佐貫氏族新里氏がおり、邑楽郡佐貫庄新里村に移住し、当地名「新里」を名乗ったという。因みに「新里」と書いて「にっさと」と読む。
新里菅原神社正面一の鳥居
『日本歴史地名大系 』「新里村」の解説
中谷村の東に位置する。永正二年(一五〇五)八月二一日の旦那願文写(熊野那智大社文書)によると佐貫庄の新里雅楽助・同名太郎左衛門らが紀州熊野那智山に参詣している。両人は新里の住人であろう。寛文元年(一六六一)の領内一村一人宛出頭方申渡(大島文書)に村名がみえ、館林藩領。寛文郷帳によると田方三二六石余・畑方一八四石余。弘化三年(一八四六)の国役金掛高帳(「明和村誌」所収)によると利根川国役普請役を課せられていた。
一の鳥居のすぐ先にある二の鳥居
二基の鳥居の社号額には「天満宮」と表記されているが、
グーグル等の地図等には「菅原神社」として案内されている。
『明和村の民俗』によると、嘗ての新里の村構成は、以前六〇戸で、「本当の新里は六〇戸」等という言い方をする。三十年程前までは、地縁により東ドウバンと西ドウバンの二つに新里を分け、東ドウバンがギョウバン様(地蔵寺)の祭を担当し、西ドウバンが天満宮の祭を担当した。その後三つの地域に分けて、それぞれ一番組、二番組、三番組とよび、祭り番はギョウバン様、天満宮ともに一年交替で行っていた。
ドウバンの中は、さらに組合に分かれていたが、現在でも冠婚葬祭はこの組合を中心に行う。組合とは別に十戸単位で隣組というのがある。隣組は納税組合と回覧板をまわす単位になっているという。
綺麗の手入れされた境内
拝 殿
拝殿の規模といい、境内に祀られている境内社や庚申塔の数からみても、旧新里村鎮守社・旧村社の社格如きは当然であろうと思われるのだが、創立年代や由緒を記した物が手元になく、残念ながら社格には「不明」と記してしまった次第だ。
拝殿向拝部や木鼻部に施された色鮮やかな彫刻 拝殿手前で左側にある力石、手水舎・石燈籠
石燈籠は「嘉永六昭陽赤奮若 龍集九月下荀五日」
境内にある記念碑・庚申塔・石碑など
左から凱旋記念碑・庚申・庚申・庚申塔・(?)・庚申・羽黒山 湯殿山 月山の石碑
社殿左側横にある明和町指定史跡である「経塚附石経圓塔」を納めた祠
明和町指定史跡 経塚附石経圓塔
昭和五十六年四月七日指定
所在地 明和町新里一一三番地
所有者 菅原神社
新里地蔵寺中興の祖、行鑁上人が疫病退散を祈願、心身を清め一石一字真心を込めて大般若心経を書写し正徳三年(一七一三)神社の北西に埋めた。
明和八年(一七七一)地蔵寺僧慶陳がこの圓塔を建て所在を明らかにした。
昭和五十六年十一月 明和町教育委員会
案内板より引用
また、令和2年3月31日発行の『明和町HP 明和町の文化財と歴史』には「「ぎょうばん様」を以下の記述により紹介されている。
「ぎょうばん様」
小比叡山地蔵寺の中興開山行鑁上人(ぎょうばん様)の略伝には、「寛永 17年(1640年)に奥州白河(福島県)に生まれ育ち、才智が非常にすぐれており、仏の教えをよく守り、徳行ともに人並みより優れ、希にみる高徳の僧であり、永く仏徒・村民の模範とすべきである」と記されている。
ある時上人は、一石一字、大般若経六百巻、光明真言百万遍を書写して、この世の疫病による災難を救おうと一大念願を起こした。近隣教化の途中淨石を拾ってきて、その石に一字を書くごとに三礼をしながら書写した。それが終ったのは正徳3年(1713年)5月27日、その石を鎮守社(新里天満宮)の北西の隅に埋め、石経圓塔と称する塔を建てた。その後は、毎年病にならないよう法要(石経様)を行うようになった。これ以降、その功徳により村は永いこと疫病の憂いから解放された。たまたま近隣に悪疫が流行した時には、石経圓塔を発掘して村人に拝ませると悪疫は去っていったと伝えられる。この石経圓塔は町の指定史跡に定められている。上人は臨終に「6、7月は疫病の流行する時期であるので、我が法要は6月に行うように。」と遺言して息絶えた。時に享保2年(1717年)9月27日、享年77才だった。以降、上人の遺徳を偲び、毎年5月27日には法要(石経様)を天満宮にて続けている。また、7月下旬には行鑁堂で法要を行い、境内にて行鑁祭(夏祭り)が盛大に 経塚附石経圓塔行われている。
『明和町の昔話』にも「行ばん上人と厄よけだんご」として上記と同じような話が掲載されている。
本殿奥に祀られている合祀社
諏訪大明神・稲荷大明神・長良大明神の額が掛けられている。
静かに佇む社
参考資料「日本歴史地名大系」「明和村の民俗」「明和町HP」「明和町の文化財と歴史」等