古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

大和田稲荷神社


        
            
・所在地 埼玉県比企郡吉見町東野5-17-4
            
・ご祭神 倉稲魂命
            
・社 格 旧大和田村鎮守・旧村社
            
・例祭等 春祭330日 夏祭75日 秋祭1014 
 吉見町域の大部分は荒川流域の荒川低地に属し、田園地帯が周囲一面広がる中、この東野地域は田畑も見られるが、その大部分は住宅地となっていて、地域の南北を分断するように埼玉県道27号東松山鴻巣線が東西方向に走っている。因みにこの県道27号線を東行すると「御成橋」があるのだが、この橋には川幅日本一を示す標柱が橋の両端にあり、この橋から630m上流の地点の荒川の川幅は2.537mと川幅として日本一広いとの事だ。
 途中までの経路は、古名氷川神社を参照。この社の境内北側にある「古名集会所」付近の「古名」交差点を右折し、埼玉県道76号鴻巣川島線を400m程南下すると、進行方向右手に大和田稲荷神社の境内が見えてくる。
 社に西側隣にある「大和田集会所」と鳥居に若干の駐車スペースがあったので、その一角にと停めてから急ぎ参拝を開始する。
        
                               
大和田稲荷神社正面
『日本歴史地名大系』「大和田村」の解説
 万光寺(まんこうじ)村の北にあり、北は古名(こみよう)村、西は上銀谷(かみしろがねや)村。東方を荒川が流れる。永享一〇年(一四三八)九月日の伝鎌倉公方御教書写(武州文書)に「吉見郡大和田村并菜田村」とみえ、当地などが岡義左衛門尉守吉に与えられている。田園簿では田高二九〇石余・畑高五五石余、幕府領、日損水損場との注記がある。「風土記稿」成立時には幕府領と旗本贄領の相給。幕末の改革組合取調書では旗本贄・筒井二家の相給。寛文一二年(一六七二)に東方、荒川堤外の新田を検地して高入れし、延宝六年(一六七八)には本検地が行われた。
 

鳥居の社号額には「正一位稲荷大明神」と刻印。   鳥居を過ぎた場所から境内を撮影

 大和田稲荷神社は、旧大和田村の名主を代々務めた「小沢家」が、一時的に住んでいた忍領上中条村から文禄年中(15921596)当地へ移住、その後、大和田村の鎮守として京都の伏見稲荷大社を勧請して創建、明治4年には村社に列格したという。
この「小沢家」は、元々武田家の家臣であったようだ。
・大輪寺碑
甲州武田氏の士で、三ツ亀甲を家紋とし、一時忍領上中条村に住し、文禄年中当地に移り住み、惣左衛門道繁・大輪寺開基、一子又左衛門・慶長十九年検地案内」
稲荷社文政十年敷石碑
平野時太郎道堅、道堅は小沢七代道孝二男・道高実弟也、平野名跡相続」
        
                        塚上に通じる石段手前にある文政十年敷石碑 
        
               塚上に鎮座する
大和田稲荷神社
『新編武蔵風土記稿 大和田村』
比企郡岩殿村農家に傳ふる永享十年鎌倉管領家より、鍛冶守吉へ吉見郡大和田村を賜ふ由の文書あり、
 稻荷社 村の總鎭守なり、大輪寺持、
 大輪寺 新義眞言宗、御所村息障院の門徒なり、本尊は不動を安ず、名主惣左衛門が先祖、小澤惣左衛門道繁開基す、

 稲荷神社  吉見町大和田六八四(大和田村字上西谷町)
 大和田村の名主を代々務めた小沢家(当主は一六代の幸男)は、横見郡二一か村の惣代として、また、荒川舟運の大和田寄場の大惣代として、他村の名主に比べて強い力があった。その先祖は、甲州(現山梨県)武田氏の家臣で、一時は忍領上中条村(現熊谷市上中条)に住んだが、文禄年中(一五九二〜九六)に当地に移り住んだといわれている。その後、小沢家を中心として当地の開墾が進められたものであろう。
 当社は、この小沢家が、当地に入植してきた時に祀った神社であると伝えており、天保五年(一八三四)に再建した本殿の御扉には、同家の家紋である「三つ亀甲」が彫り込まれている。更に、当社の南方約五〇メートルの所にあり、江戸時代に当社の別当であった真言宗の大輪寺も、同じく小沢家によって建立されたもので、『風土記稿』にも「名主惣左衛門が先祖、小沢惣左衛門道繁開基す」と記されている。なお、大輪寺は明治三十一年に焼失し、小規模な堂宇が再建され、その跡地は、大和田霊園として整備された。
 また、当社は、京都の伏見稲荷大社の分霊であるといわれ、本殿の中には、同社から拝受した「正一位稲荷大明神」の神璽を奉安しており、かつては宝暦十一年(一七六一)二月に同社から受けた分霊証書(前述の神璽と組になっていたと考えられる)もあったという。
                                  「埼玉の神社」より引用
        
                  社殿からの一風景


参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「埼玉苗字辞典」
    「Wikipedia」「境内石碑文」等
        
    

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