上新郷天神社
・所在地 埼玉県羽生市上新郷1996
・ご祭神 菅原道真公
・社 格 旧上新郷中新田鎮守
・例祭等 元旦祭 春日待 4月25日 例祭(夏祭り) 7月25日
感謝祭 12月最終日曜日
下新田大物忌神社から埼玉県道364号上新郷埼玉線を北西方向に進路をとり、2㎞程進んだ秩父鉄道新郷駅左側にある踏切を越えるとすぐ先に上新郷天神社は見えてくる。
県道沿いに鎮座する上新郷天神社
近世において新郷村の総鎮守は愛宕神社であるのだが、耕地ごとにも鎮守社があり、このうちの当社は中新田の最寄り鎮守として祀られ、江戸中期には創建されたという。
社の入口付近に設置されている市指定文化財の案内板
指定文化財
当社は、中新田地区の最寄り鎮守として祀られたと伝えられており、江戸中期には創建されていました。多くの文化財のうち、2件が指定を受けています。
河川改修図(有形民俗文化財 羽生市指定第53号 平成元年7月11日)
明治23年(1890年)8月23日に、下中条地先で、利根川の堤防が59間(約107メートル)決壊し、このとき、上新郷別所地内白山社叢の堤防も破損しました。
新郷地区内は224軒が浸水し、田畑への被害も甚大でした。この復旧のため、埼玉県より災害救助費が交付され、翌年4月から5月にかけて修築を行いました。
この記念として絵馬を奉納したもので、縦120センチメートル、横182センチメートルの大きさで、絵師は玉川堂水玉です。一列になってドハ(土端、土羽)打ちをしているのは女性で、男衆はもっこかつぎや地固めの作業を行っています。災害の記録となるとともに、当時の土木技術を知ることができる貴重な資料です。
上新郷中新田の獅子舞(無形民俗文化財 羽生市指定第60号 平成17年3月17日指定替え)
当地の獅子舞は、明治30年ごろ西新田から習い受けたと伝わっています。いわゆる3匹獅子舞で、法眼、中獅子、後獅子と呼ばれています。
奉納時期は7月25日の夏祭りで、疫神除けや五穀豊穣を願い行われていました。かつて舞われていた演目には、鐘巻、弓掛り、花笹、門掛り、雌獅子隠し、注連掛り、橋掛りがありました。現在は村回りのみが継承されています。
平成22年3月20日 羽生教育委員会 案内板より引用
当社で7月25日に行われる例祭は、夏祭り、または本祭りと呼ばれ、厄払いとしてササラ(獅子舞)が行われる。祭典の後、境内で一庭摺ってから神社を出発する。獅子舞は、法眼・中獅子・後獅子の三頭で、ほかにヒョットコ・オカメ・ハナが同行し、厄払いをしながら各戸を回る。以前は「獅子連」が主体となって行っていたが、現在は専門に継承する家柄もなく、年番という行事役員が村回りを奉仕しているという。
拝 殿
天神社 羽生市上新郷一九九六(上新郷字上出口)
当地は、かつて広々とした田園地帯であったが、秩父鉄道の開通に伴い、住宅地として急速な発展を遂げている。ことに新郷駅に近い鎮座地付近は、近年急激に人口が増加しており、古くからの景観は一変している。
新郷の総鎮守は愛宕神社であるが、耕地ごとにも鎮守があり、このうちの当社は中新田の最寄り鎮守として祀られたと伝えられる。
当社は菅原道真公を祭神とし、内陣に天神座像及び同立像を安置する。座像は大正六年二月に当所関根猪之助が伊勢参宮記念として奉納したもので、立像については明治三年に忍藩神祇方、岡村政達が奉納したことが宮形厨子に記されている。
現在の社殿は、本殿が流造り、覆屋と拝殿はそれぞれ入母屋造りで、昭和四六年老朽化のため土台の入れ替え等修繕を施した。なお、伝えによると、現社殿は明治期には既に造営されていたといわれる、「天満天神」の社号額には元治元年の年紀があり、奉納絵馬には嘉永五年の年紀がある。近年まで、樹齢二〇〇年近い欅・水楢の大木が社叢を形成し、江戸中期創建の歴史を物語っていた。
「埼玉の神社」より引用
境内に祀られている石碑(一番左側 御嶽)、庚申塔等
社殿からの眺め
氏子区域は中新田で、社の維持運営は、上(かみ)・中(なか)・下(しも)・下西(しもにし)の四耕地より総代2名・年番4名の計6名ずつ出て、祭事一切を行う。特に総代は氏子の大雹として祭事に参列するほか、社の管理を行う。中でも共同祈願として3月に行われている「雹除け祈祷」は、総代が中心となり、作物の被害除けの祈願を行い、神札を各戸に配るという。
【下宿天神社】
上新郷中新田天神社から埼玉県道364号上新郷埼玉線を450m程北上すると、進行方向右手に下宿天神社が見えてくる。古保は小さいが、本殿のみの社だが、装飾も綺麗に施されていて目立つ社。この地域の鎮守様という印象。
本 殿
上新郷愛宕神社の項において、明治45年(1912)に、下宿の天神社、上宿の寄木神社、小須賀道の道祖神社、西新田の諏訪神社を合祀し、更に大正12年(1923)に下宿の東照宮社を境内社として合祀している。右のうち天神社は、合祀後、旧氏子区に疫病がはやったため返還されたという。
境内の様子
「埼玉の神社」によると、下宿の天神様は元の愛宕様より社殿が大きく、東向きに神楽殿もあったという。この天神様には「天神講」の行事があり、これは児童の適当な家が宿になって、五人から十人くらいに集まり、米を二合ずつ持ち寄り朝夕と食事を作ってもらい、一晩中騒いで、朝明るくなると天神様を拝みに行ったようだ。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「境内案内板」等
