矢島神明社
現在の備前渠用水路は、埼玉県本庄市大字山王堂地先の利根川の支川神流川・鳥川の両河川が利根川と合流した利根川右岸より取水し、堤外の河川敷を2,200mの導水路によって導水し、本庄市仁手地先の第3樋管より堤内に入る。その後南東方向に流路は進み、岡部町で一旦小山川に合流し、小山川を利用して1㎞程下流にある深谷市の矢島堰で再び取水。矢島樋門を経由して流路を変え、深谷市、妻沼町の潅漑地域を東へ流れ、妻沼町弥藤吾の観静寺堰において、福川へ流入している。またその末流は中川水系の北河原用水や羽生領用水にも繋がり、山地水源を持たない埼玉県南東部地域の水田の貴重な水源としても現在でも多大に寄与している。
・所在地 埼玉県深谷市矢島1003
・ご祭神 天照大御神
・社 格 旧村社
・例 祭 例祭 10月19日
矢島神明社は埼玉県深谷市西部の矢島地区に鎮座する。国道17号バイパスを岡部方向に進み、「矢島」交差点を右折する。埼玉県道355号中瀬普済寺線を300m程北上すると、左手側に「村社 神明社」の社号柱が見える。
県道沿いに鳥居や旗ポールが見えるが、正確に言うと、境内社である「摩二天稲荷神社」のそれであり、左隣に矢島神明社が並列して鎮座している配置となっている。
駐車スペースは社号標柱の先に社務所があり、駐車できるスペースが確保されており、そこに停めてから、参拝を行う。
矢島神明社 正面鳥居 鳥居を過ぎて、南北に長い参道が続く。
深谷市は大略として、国道17号バイパス南側を境として、北は妻沼低地面、南は櫛引台地面に分かれていて、矢島地区はその中で利根川中流域・妻沼低地に属している。
矢島神明社の北東800m程先に備前渠用水・矢島堰がある。この備前渠用水路は、江戸時代初期に伊奈氏の関東流による工法によって開発されて以来、時代的背景や技術の進歩により改修が行われてきた。しかし現在においても、用排水系統、溜井による配水方法等、根本的な水利用形態は大きく変わることなく、現役でその機能は存続している。
数百年後の未来まで継続して運用できる技術や英知には驚きを隠せない。嘗ては技術大国であった日本の素晴らしさを物語る施設ともいえよう。
『新編武蔵風土記稿・矢島村条』には矢島堰に関して以下のように記載されている。
・矢島村
「村内小山川十八間の堰あり、是を矢島堰と唱ふ、延寛年中水論のことありし時、官栽により富村にては此水を用いず、西田村堰より身馴川の水を引沃ぐ事になれりと」
・小山川
「村北を流、幅十間、堤あり、この川流の間に矢島堰あり」
手水舎の右側に聳え立つご神木
参道を挟んで手水舎の向かいにある「神明社造営記念碑」
神明社造営記念碑
神明社は郷土の産土神として、永く氏子の信仰の拠りどころであります。
この度、県道中瀬普済寺線の拡幅工事に伴い、平成十四年一月十一日境内土地四一四二平方メートル中七二八平方メートル並びに稲荷神社、鳥居、社務所、玉垣等の移転保障として埼玉県熊谷市土木事務所より、七二○○萬円を受領いたしました。
氏子役員協議の上、同額にて歳月を経て老朽化しておりました、神明社本殿、拝殿、稲荷神社、鳥居、社務所を新築し併せて、幟旗、旗竿を新調し、富士嶽大神、十二祖大神、御嶽山をはじめ十余の末社を新たに合祀し玉垣ならびに外柵を設置したしました。
誠に氏子の敬神の念篤く、郷土の発展と子々孫々の繁栄を守護されんことを願い、工事完成を記念して當碑を建立するものであります。
神明社建設委員会 平成十五年十月十九日
記念碑文より引用
拝 殿
拝殿に掲げてある「神明社」の扁額 矢島神明社 本殿
矢島神明神社に隣接して境内社・摩二天稲荷神社が鎮座している。
県道沿いにある摩二天稲荷神社の鳥居 境内社・摩二天稲荷神社
「摩二天」という社号の意味はなんであろうか。
摩二天神稲荷神社の裏に石祠、庚申塚、末社等が並んで鎮座する。左から十二祖大神、富士嶽大神、三笠山大神(写真左)。八海山大神、大黒天、青面金剛、庚申塔等(同右)
上記写真左、右の写真の真ん中に鎮座する石祠、石碑等。
左側手前には一心霊神・弘徳霊神。右側手前は不動明王。
摩二天稲荷神社の鳥居近郊に鎮座する2基の石祠(写真左・同右)。詳細不明。
参考資料 「新編武蔵風土記稿」「Wikipedia」「本庄市HP」等