古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

岡泉鷲神社


        
             
・所在地 埼玉県白岡市岡泉11211
             
・ご祭神 天穂日命
             
・社 格 旧岡泉村鎮守 旧村社
             
・例祭等 オビシャ 119日 天王様 714日 例祭 723 
 実ケ谷久伊豆神社の南側正面鳥居がある農道を東行する。周囲一帯田園風景が広がる長閑な農村風景を愛でながら、1㎞程進行した先にある三叉路の真ん中の道を進み、埼玉県道78号春日部菖蒲線に達する手前で、進行方向左手に岡泉鷲神社が見えてくる。
 社に隣接した岡泉集会所前にある適度な駐車スペースの一角をお借りしてから参拝を開始した。
 
   正面参道の右側並びに建つ社号標柱     社号標柱の右並びに設置された案内板
        
                  社の参道正面入口
『日本歴史地名大系』「岡泉村」の解説
 太田新井村・彦兵衛(ひこべえ)村の西、上野田村・下野田村の南に位置する。北境の一部を隼人堀川、地内を黒沼用水が流れる。太田新井村との境に彦兵衛村の飛地がある。岩槻領のうち。寛永五年(一六二八)岩槻藩阿部氏の検地があり(風土記稿)、田園簿によれば田高一〇石余・畑高七六石余、同藩領。幕末まで同藩領として続く。同藩の高岩筋に属し、延宝八年(一六八〇)の家数一八(うち本百姓一一)・人数一一八、岡泉新田は家数一一(うち本百姓八)・人数五七(「岩付領内村名石高家数人数寄帳」吉田家文書)。貞享三年(一六八六)には高一三五石余、ほかに新田二二石余、野銭永二貫六九五文半、見取場田畑三一町六反余となる(岩槻藩領郷村高帳)。
 岡泉(おかいずみ)地域は、白岡市東南部に位置する農業地域である。『日勝村誌』によれば、村名の由来は、昔(正慶の頃・1332年頃)、野田とこの地の間に沼があり、岡泉と称したといわれている。岡泉新田は江戸時代に開発された。村の中心部には鎮守の鷲神社、丸山共同墓地、観音堂などがある。明治28年に実ケ谷村など8か村と合併し日勝村となり、昭和29年に篠津村・大山村と合併して白岡町となったという。
        
              参道を進むと見えてくる一の鳥居
 当社の創建について『風土記稿』岡泉村の項に「村の鎮守なり、村持、天和元年(一六八一)十月勧請す、神体は丸き板にて、本地仏薬師の像あり」と記す。一方、『明細帳』には、「創立年月不詳従前村内字戸崎耕地二在リシヲ天和元年十二月転社ス」とある。氏子の伝えによると、旧鎮座地は現在地の北西一キロメートルの隼人堀川と黒沼用水に挟まれた場所で、水害を受けやすいために当地に遷したという。
 
  一の鳥居の先にある木製の二の鳥居      二の鳥居を過ぎたすぐ左手に見える
     朱を基調とした両部鳥居              浅間大神
        
              参道を隔てて浅間大神の向かいにある神楽殿
 当社で723日に行われる
例祭である「祭礼」は、豊作祈願の祭りとされ、この日は、神楽殿で囃子と神楽(巫女舞)が奉納される。
 当地の囃子と神楽は天保年間(一八三〇〜四四)に春岡村(現さいたま市大宮)から習ったものと伝えられる。その後、昭和初期には神楽を舞える人がいなくなり、改めて大宮の杉山社中に教わり、現在は白岡市指定文化財となっている。戦前までは里神楽として、囃子方や神楽舞方を要し「天の岩戸」「おろち退治」「源平盛衰記」などの演目を上演しており、現在でも神楽面が数多く保存されている。囃子は、これらの日のほかに元旦の初詣と五月八日の岡泉観音堂の花祭りにも奉納されている。この囃子は「大尽囃子」とも呼ばれているが、その由来は明らかではないという。
種   別 市指定無形民俗文化財
指定年月日 昭和55111
        
        長く続く参道の中、今では珍しく三の鳥居も建てられている。
         ただ周囲の雰囲気はやや寂れているような雰囲気もある。
 
              社殿の手前に聳え立つケヤキの御神木(写真左・右)
 当社の勧請は天和元年(1681)と伝えられることから、このときある程度の大きさの苗木を植えたとすれば、樹齢は350年近くと推定されようか。幾多の風雪に耐え、村のさまざまな歴史をつぶさに見てきた証人として、ぜひ大切に守りたい木である。
        
『新編武藏風土記稿 岡泉村』
 鷲宮社 村の鎭守なり、村持、天和元年十月勸請す、神體は丸き板にて、本地佛藥師の像あり、

 岡泉鷲神社  白岡町大字岡泉字神台
 岡泉鷲神社は、天和元年(一六八一)に当地へ勧進されたと伝えられている。祭神には天穂日命が祀られている。境内には本殿、拝殿のほか、神楽殿がある。本殿右側には八雲社(祭神は素戔嗚尊)が祀られている
 七月十四日には八雲社の祭礼である「天王様」が行なわれる。山車が境内で組み立てられ、その上で祭り囃子(大尽囃子)が奉納される
 また同月二十三日は鷲神社の祭礼で、神楽殿にいて神楽と囃子が奉衲される。こえらは天保年間(一八三〇~四四)、若者の気風の荒廃を心配した村人が、春岡村(現大宮市)から師匠を招き、若者達に習得させ神社に奉納させたのが始まりという
 境内には二本の大ケヤキがあり、山車や大尽囃子、神楽とともに町の指定文化財となっている
 平成十年二月 白岡町教育委員会
                     境内案内板より引用
 境内には立派な御神木があり、神楽や囃子・市指定文化財もあり、敷地も広く、旧村社の格式以上に本来は大変立派な神社だったと思われる。
 他のHP等で見たのだが、この社の拝殿、特に屋根部位の損傷が著しく、大きな穴が開いており、このままでは風雨風雪が社殿に侵入してしまい、いずれ柱が腐って崩れ落ちてしまう事態となっていたという。現在の社殿の様子を確認すると、以前の拝殿は完全に解体され、一部使用できそうな部材に関しては、新しい社殿に出来る限り再利用してできたもので、社としての趣き、重厚さは以前と比べてかなり変わってしまっているであろう。
 この社だけでなく、県内外の神社には老朽化しているにも関わらず、改築もされず、風雨風雪にさらされているものも少なくない。
 
嘗て拝殿向拝部位等の材を使用したのであろう。        本 殿
 その思いは評価しなければいけないだろう。
        
     境内には、市指定文化財の標柱が建っていて、文化財保全という観点から
       でも、地方自治体を主体としたさらなる取り組みを期待したい。
       
              本殿の右側に祀られている八雲社
 714日に行われる「天王様」は疫病除けの祭りである。この日は境内に山車を組み立てて花を飾り、これに地元の囃子連が乗って囃子が奉納される。以前は氏子各戸から跡継ぎたちが山車を曳いて、氏子地内を巡っていたが、諸般の事情により、山車は境内に飾るだけとなったという。
 

  八雲社の並びに祀られている合祀社(写真左)。左から天満宮・天満宮・神明社・稲荷社。 
       合祀社の右並びには稲荷社・道陸社が祀られている(同右)。 
        
                   境内の一風景



参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「白岡市HP
    「白岡市観光協会
HP」「境内案内板」等
         
   

  
        


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