千本木神社
・所在地 群馬県伊勢崎市南千木町2280—1
・ご祭神 五十猛命
・社 格 旧茂呂村下茂呂鎮守 旧村社
・例祭等 秋祭り(千本木龍頭神舞) 10月第2土日曜日
伊勢崎市南千木町地域は境伊与久地域の西側にあり、広瀬川とその支流である粕川の合流地の逆デルタ上にある起伏の少ないなだらかな平坦な地である。それでも上流側である北から南への傾斜はあるようで、千本木神社が鎮座する地域北側端部は平均標高55m程であるが、南下するほどその標高は徐々に低くなり、南側境の保泉地域付近では47m程となる。
千本木神社正面
途中までの経路は美茂呂町飯福神社を参照。群馬県道295号境島村今泉線を南下し、伊勢崎市立茂呂小学校を過ぎた丁字路を左折、住宅が建ち並ぶ生活道路を500m程進むと右手に千本木神社が見えてくる。
駐車場は無く、境内への乗り入れは禁止という看板があるので、正面にある鳥居のすぐ右手にある「南北千木町屋台囃子」の屋台庫の近くに駐車してから参拝を開始した。
広々とした境内
『日本歴史地名大系』 「茂呂村」の解説
広瀬川左岸洪積台地と同右岸沖積低地に位置。北は今泉村、東は伊与久村・保泉村(現佐波郡境町)、南から西は佐位・那波郡界で、那波郡馬見塚(まみづか)村・山王道村。中世には淵名庄に属し、師・毛呂とも記された。享徳の乱当初の享徳四年(一四五五)三月二四日、岩松持国は師に陣を移し、足利成氏と連絡している(同年三月二六日「足利成氏書状写」正木文書)。同年閏四月八日、持国は北一揆の秋間氏が知行していた師郷を給付するよう成氏に申請し、承認されている(「岩松持国闕所注文写」正木文書)。また同一七年一〇月八日には広瀬川を挟んで毛呂島(もろじま)・綱取原(つなとりはら)の合戦が行われている(同年一〇月一五日「足利成氏感状写」秋田県立図書館蔵)。毛呂島は小字で残る。「松陰私語」によると、岩松家純が長楽寺(現新田郡尾島町)の松陰軒に預けようとした「新地之寺社」のなかに「淵名庄内師郷之上之目」とある。
拝 殿
正面鳥居付近に設置されている標柱(写真左・同右)
正面鳥居付近に設置されている標柱によれば、社のご祭神は五十猛命で、永禄三年(1560)に上杉謙信(この当時はまだ長尾景虎)が厩橋城(前橋城)攻めの折に、こちらに立ち寄り戦勝祈願をしたと伝えられているようだ。
社殿の左側に祀られている境内社。詳細は不明。
ご祭神である五十猛神(イタケルノミコト)は、日本神話に登場する神で、神祇は国津神。イザナギ・イザナミの子であるスサノオの子で、オオヤツヒメ・ツマツヒメ(大屋津姫命、枛津姫命)は妹。また、イザナギ・イザナミの子大屋毘古神(禍津日神と同一神とされる)とは別神であるが、同一神とされることもある。
父である素戔嗚尊が追放された後、共に新羅に渡る。新羅には樹木の種を植えず、日本に持ち帰り、筑紫から大八洲(日本列島)の各地に播き、国土を豊かな森に変えたと伝えられていて、この功績から「有功の神(いさおしのかみ)」とも称されている。「五十猛」という名称から猛々しいイメージが強い神ではあるが、その神格は至って環境に優しい「林業」の神である。
また、土の船を作り海を渡ったことから、造船、航海安全、大漁の神として信仰され、商売繁盛、開運招福、悪疫退散、厄除け等の神徳もある。
五十猛命は、父である素戔嗚尊が体毛から作った杉や檜などの樹木の種を、妹神の大屋津姫命、抓津姫命と共に日本全国に植え広めたとされている。この神話は、日本列島の文明的・文化的な発展を象徴し、自然と共生する日本文化の根幹を体現していると考えられている。
本殿左側に溶岩塚と共に祀られている石祠と灯籠
その塚上に建つ「明治丗七八年戰役紀念碑」
本殿右側に祀られている石祠三基
正面鳥居の右隣にある「南北千木町屋台囃子」の屋台庫(写真左)と案内板(同右)
伊勢崎市指定重要無形民俗文化財
南北千木町屋台囃子
平成二十五年三月二十六日指定
南北千木町の屋台囃子は、伊勢崎市域をはじめ、群馬県から埼玉県北部地域に広く分布する参手鼓(さんてこ)と呼ばれる演目を基本とする祭り囃子である。この屋台囃子は、旧茂呂村の下茂呂と呼ばれる地域の有志が伝承してきたもので、現在は南北千木町屋台囃子保存会を組織している。
演奏道具は、附太鼓3、大胴1、鉦2、笛1で構成される。演目は、参手鼓、武州囃子、大間昇殿、昇殿、神田丸、籠丸、鎌倉の7曲を伝承している。
参手鼓の演目では、古くから振付で撥(ばち)を回し、特に両手の撥を回すのは、茂呂地区では、南北千木町だけである。
七月の茂呂地区納涼祭、八月のいせさきまつり、九月の飯福神社秋祭り、十月の千本木神社秋祭りで演じており、世良田八坂神社の祇園祭(太田市)にも参加し演奏している。
屋台は嘉永四年(一八五一)に制作されたものを所有している。
平成二十六年十月 伊勢崎市教育委員会 案内板より引用
境内の様子
茂呂の各地区に伝わる屋台囃子は、旧茂呂村の各組ごとに伝承されてきたもので、正式に指定を受けているのは、「茂呂町一丁目屋台囃子」「茂呂町二丁目屋台囃子」「南北千木町屋台囃子」「美茂呂町屋台囃子」「茂呂南町屋台囃子」を総称して市指定重要無形民俗文化財となっている。
参手鼓は古くから伝承されてきた曲で、武州囃子は一時伝承が途絶えたが、録音や長老からの聞き取りで再現し、現在に至っている。大間昇殿と昇殿は伝承が途絶えたため、山王町から伝授され、神田丸は山王町から伝授された美茂呂町から伝授を受けている。このほか鎌倉は平成6年に馬見塚中町から、籠丸は平成12年に前橋市駒形上町から伝授を受けたように、伝承も一旦途絶えると、再興するのにも時間と労力がかかるのだと痛切に感じた次第だ。
参考資料「日本歴史地名大系」「伊勢崎市HP」「ウィキペディア(Wikipedia)」
「境内案内板」等
