金山町新田神社
・所在地 群馬県太田市金山町40—44
・ご祭神 新田義貞公
・社 格 旧県社
・例祭等 元旦祭 建国記念祭 2月11日 春季例大祭 4月8日
秋季例大祭 11月2日
群馬県太田市金山町にある新田神社は、国指定史跡「金山城跡」を大手虎口から日ノ池を進んだ先の金山の山頂にある新田金山城の実城(本丸)跡に鎮座する社である。新田神社建立の最初の動きはそう古くはなく、明治時代初期の明治6年(1873年)5月、金山山頂の金山城本丸跡に、地元有志の出願により創建の許可が下り、明治8年(1875年)に社殿が創建されたという。
ご祭神は『太平記』の時代に清和源氏の頭領として、足利尊氏と共に鎌倉幕府を倒した立役者の一人である武将である新田義貞公である。金山城を築城した岩松氏が新田氏の後裔一族であること、また新田義貞がこの地出身であることから、郷土の英雄として祀られた経緯がある。
金山町新田神社自体が、金山城跡の一角に鎮座していることから、境内には社関連の石碑・案内板等は勿論であるが、金山城に関するものも多く設置されている。
参道の手前に聳え立つ大ケヤキの御神木 金山の大ケヤキの案内板
太田市指定天然記念物
金山の大ケヤキ
・指定年月日 平成21年5月20日
・所 在 地 太田市金山町40番132
ケヤキは、落葉高木で東アジアの一部と日本に分布します。日本では本州・四国・九州に分布、暖地(だんち)では丘陵部〜山地、寒冷地では平地まで自生し、高さ20~25mの大木となります。
本樹木は金山山頂にある、樹高17m、目通り周6.79mの大ケヤキです。樹高はそれほど高くはありませんが、目通り周においては県内でも上位に位置し、枝張りも40mを超えます。
金山山頂の金山城実城域にあり、推定樹齢800年ほどと伝えられる大木で、金山のシンボル的存在です。樹勢が良好で、まとまった幹を持っており樹形も大変趣があります。
また神社の参道脇にあることから御神木と同様の扱いを受けていたと思われます。
昭和初期までケヤキの大木は7本あったといわれていますが、現在は1本のみです。推定樹齢800年ほどであるとすれば、金山城の興亡を見てきた歴史の証人ともいえます。
平成24年3月1日 太田市教育委員会 案内板より引用
金山の大ケヤキのすぐ先に石段があり、登り終えた正面に神明系の鳥居が建つ(写真左・右)
拝 殿
本 殿
金山町新田神社・謹記 社の趣意書
謹記
一 ご祭神 贈正一位左近衛中将源朝臣新田義貞公
二 ご由緒
明治六年八月三日 栃木県知事鍋島幹神社創建を許可す
同十三年四月八日 造営竣功
昭和九年十二月九日 金城跡全域を文科省より名勝天然記念物として指定された。
同五十四年五月八日 神社創建百周年記念式典が挙行され高松宮宣仁親王・喜久子妃殿下が参拝された。
これまでに大正天皇・昭和天皇・秩父宮殿下・高松宮殿下・三笠宮殿下のご参拝を戴いて居ります。
三 例祭
一 月 一日 元旦祭
二 月十一日 建国記念祭
四 月 八日 春季例大祭
十二月 二日 秋季例大祭
初志貫徹を祈願して参拝する方が多い(以下略) 案内板より引用
境内に設置されている金山城主系図 系図の右側にある「史跡 金山城址」の標柱
ご皇室の方々が腰掛けた石が展示されている。 腰掛石の右側にある社の由緒碑等
金山城 天主曲輪の案内板
天主曲輪
本城最高位の郭で、戦前、本丸と言われたところである。
西北の角には、金山城最大の石垣が使用されており、角矢倉形式の大建造物があった。この郭は、金山城鎮護の神聖な地域であり、源氏の守り神である八幡宮が祭られていた。このため、水ノ手郭の貯水池は、「神水」と呼ばれていた。
廃城後は、新田義貞を祀る新田祠と言う小さな石宮があった。
構造上の特徴としては、東北の角を削って「ひづみ」を作り、「鬼門除」がある。
昭和五十五年三月(以下略) 案内板より引用
境内の様子
参道を戻るように進むと見えてくる一の鳥居
参考資料「太田市HP」「太田観光物産協会HP」「ウィキペディア(Wikipedia)」
「境内案内板」等
