行田八幡神社
永正6年(1509)、忍城を訪れた連歌師の宗長は、城の四方は沼にかこまれていて、霜で枯れた葦が幾重にもかさなり、水鳥が多く見え、まことに水郷である、と日記に書いている。
忍城の築かれた場所は、北は利根川、南は荒川にはさまれた扇状地で、小さな川が乱流するとともに、伏流水が寄り集まって広大な沼地となっていて、そこに残る島や自然堤防をたくみに利用して、忍城が築かれた。別名「浮き城」としてその名を轟かせ、関東七名城に謳われた戦国の世を生き抜いた名城で、行田市各地域に点在する神社も忍城防衛の一拠点として築かれたと考えられる。
この「ぎょうだ」は、「(湿地から)田に成つた地」の「行(なり)田」の転とされている説もある。
所在地 埼玉県行田市行田16-23
主祭神 誉田別尊 第15代天皇、皇祖神や武神(弓矢神)
気長足姫尊 仲哀天皇の皇后 安産、子育ての神
比亮大神 主祭神の妻や娘、宗像三神の説もあり
大物主神 蛇神、水神、雷神、稲作豊穣の神、疫病除けの神
酒造り(醸造)の神、国の守護神
神素羞鳴尊 嵐・暴風雨の神、厄除けの神、縁結びの神
安産の守護神
社 格 行田総鎮守
通 称 西向き八幡 封じの宮
例 祭 例祭9月15日、祈年祭3月15日、行田八坂祭7月下旬土・日
愛宕神社祭10月23日など
熊谷市から国道125号線で行田市方向に向い、「行田郵便局入口」の信号を右折し、同左郵便局を通りすぎると左側に当神社がある。駐車場は、参集殿の前の道路沿いにある。よく整備されていて便利である。行田の市街地の中心部にある神社。かっては忍城のあったところで江戸の北部を守る大事な要衝だった。八幡神社は武門の守り神であり、藩主や藩士の信仰も厚かったという。その面影を残す立派な社殿だ。
行田八幡神社御由緒
当神杜は、源頼義・義家が、奥州討伐のためこの地に滞陣した折、戦勝を祈願して勧請されたと伝えられています。
当初、佐間村田中に鎮座、俗に田中(でんちゅう)八幡と称せられましたが、天文年中に、現在の地に移されました。この時、忍城主成田下総守長泰公は深く当杜を崇敬して社殿を修補し城下総鎮守といたしました。是れより、「城主八幡」また社殿の向きから.「西向き八幡」の名があります。
応神天皇、神功皇后を主祭神とし、比売神、大物主神、素羞鳴尊を配祀神として御祀りしています。
現在の社殿は、皇紀二千六百五十年を記念して造営が進められ、平成元年十一月の竣功であります。次いで平成十二年には参集殿が竣功いたしました。
境内案内板より引用