古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

拂田稲荷神社


        
             ・所在地 埼玉県東松山市高坂12321
             ・ご祭神 倉稲魂命
             ・社 格 不明
             ・例祭等 元旦祭 春祭り 3月二の午 冬至祭 1222
 東武東上線高坂駅東口から南側の線路近くで、民家が建ち並ぶ中に拂田稲荷神社は鎮座している。社の基檀部自体が古墳になっていて、直径約30m、高さ約2mの円墳で、通称「高坂13号古墳」別名「拂田稲荷神社古墳」と呼ばれている。
        
                  拂田稲荷神社正面 
 拂田稲荷神社は、戦国時代の混乱で荒廃した当地を見かねた僧誠誉が、村民に呼びかけて天文3年(1534)に創建、田畑が荒廃している所を切り開いて社地を作ったことから拂田稲荷と称されるようになったという。 
        
                                道路沿いに建つ鳥居
 当社は、五穀豊穣の神として崇敬されていたが、その後、高坂の発展や養蚕の振興と共に、商売繁昌の神・養蚕守護の神としても信仰されるようになる。とりわけ、養蚕守護の神としては近郷の人々の信仰も厚く、「巳の日」には「御縁日」といって参詣者も多く、大正時代の始めごろまでは、その晩にお籠りが盛んに行われたほどであったという。
        
                   鳥居のすぐ右側で、社号標柱の両側には石室の天井石
                              とも思われる石碑が
2つある。
        
                一の鳥居から撮影した、石段の先にある朱色の二の鳥居と社殿

 嘗て東松山市を含む比企地域は養蚕業が盛んな地域であった。当地域においても、養蚕が盛んであった頃は、近郷にも崇敬者が多く、中でも近隣の三・四十か村の間では拂田講もしくは穂蚕講と呼ばれる講が結成され、春蚕の始まる前(34月頃)、とりわけ「お蚕祈祷」とも呼ばれる当社の春祭りには講中の人々が参詣し、掃き立て紙を受けて帰ったものであったという。この掃き立て紙は、縦長の紙の中央に繭の形が描かれ、その中に「拂田神社守護」の文字の印が押された紙であり、この紙の上で蚕種を孵化させるとその蚕は丈夫に育つといわれていた。
 
拂田講は戦後に廃絶し、掃き立て紙も昭和43年頃まで配布されていたらしい。拂田稲荷といえば養蚕の神の印象が強い。
        
                    拝 殿
 拂田稲荷神社(ほったいなりじんじゃ)  東松山市高坂一二三二(高坂字稲荷林)
 応仁年間(一四六七〜六九)の後、戦乱が相次ぎ、田畑はすっかり荒廃してしまい、民衆は苦難にあえいでいた。そのころ、当地を訪れた誠誉という僧が、この惨状を見るに見兼ねて、住民に五穀成就と万民安堵の守護神として京都の伏見稲荷大社から倉稲魂命の神霊を勧請することを勧めた。これが当社の創建であり、社記によれば、天文三年(一五三四)のことであったとされている。
 ちなみに、当社の社号の「拂田」とは、人や場所の名前などではなく、田畑が荒廃している所を切り開いて社地を作ったため「田を拂って作った」という意味であるという。このように、社名の由来にも、戦乱による荒廃からの復興を願う当時の人々の心情が込められているように感じられる
 その後、住民や領主の努力も実って、高坂は再び活気を取り戻し、当社は村鎮守の八剣明神社(現高坂神社)と共に高坂の人々から厚く信仰された。とりわけ、文化文政のころ(一八〇四〜三〇)には霊験が殊に著しく、境内及び正面参道が拡張され、石段・石灯籠などが奉献され、更に文久二年(一八六二)には社殿も改築された。江戸時代を通じて、当社は、地内にある浄土宗の長松寺の持ちであったが、神仏分離によってその管理を離れ、代わって澤田家が神職として奉仕するようになった。
                                                                    「埼玉の神社」より引用
 
      拝殿に掲げてある扁額               本 殿
 現在、当社で行われている祭事は、元旦祭・春祭り(3月二の午、三の午がある年は三の午)・例祭(10月17日)・秋祭り並びに冬至祭(12月22日)・大祓(12月31日)の年6回であるのだが、氏子区域が高坂神社と重なる為、総代以下氏子が参列するのは、元旦祭・春祭り・冬至祭の3回で、それ以外は宮司が祭典を奉仕するだけの祭りとなっている。
        
                 境内社・
子持稲荷社
 境内に祀られている子持稲荷社(通称・お子持様)は、子育ての神として信仰されており、特に小児の夜泣きには参詣すれば必ず御利益があるといわれている。また、氏子の間では、子供が生まれると参詣し、眷属像を納めて成長の無事を祈願する風習もある。なお、この「お子持様」は煙草を好むといわれており、昔は、願の叶った人は、感謝の印に煙草を奉納したとの事だ。



参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」等

拍手[0回]