弥勒長良神社
・所在地 埼玉県羽生市弥勒1543
・ご祭神 (主)大國主命 事代主命 (配)藤原長良公
・社 格 旧村社
・例祭等 春祭り 1月15日 獅子祭り 7月20日 秋祭り 10月15日
三田ヶ谷八幡神社から埼玉県道60号羽生外野栗橋線を1㎞程西行し、「羽生三田ヶ谷郵便局」先のY字路を左斜め前方向に進む。その後、東北自動車道に達する丁字路を右折し、県道60号の高架橋下を潜ったすぐ右側に弥勒長良神社の正面鳥居が見えてくる。
弥勒長良神社正面
『日本歴史地名大系 』「上弥勒村」の解説
洪積台地の埋没台地上に位置する。古くは下弥勒村と一村で弥勒村と称した。両村は入組んでおり、西は今泉村・上村君村。承応年中(一六五二〜五五)分村したと伝えるが(風土記稿)、田園簿・元禄郷帳・天保郷帳ともに弥勒村一村で高付する。田園簿によると幕府領、田高四五六石余・畑高六一五石余、ほかに野銭として永一二五文・鐚三一貫文があった。国立史料館本元禄郷帳では幕府領。この間承応二年幕府領代官、新田分については貞享四年(一六八七)甲斐甲府藩によって検地が行われたと伝える(風土記稿)。明和七年(一七七〇)と推定されるが上・下の弥勒村ともに川越藩領となり、文政四年(一八二一)上知(松平藩日記)。
参道から社殿を望む
『新編武蔵風土記稿 上弥勒村・下弥勒村』による「弥勒」の地名由来を連想する以下の記載がある。
【圓照寺 新義眞言宗、堤村延命寺末、藥王山東方院と號す、本尊釋迦、中興僧研榮、正保三年六月八日寂 菩薩堂 弥勒を安ず、行基の作と云傳ふ、長二尺の坐像なり】
弥勒長良神社の南側で、近郊にある真言宗豊山派「円照寺」は、嘗て同社の元別当であり、明治6年4月14日の火災が原因で、開山など寺の歴史は不明だが、この寺に「弥勒菩薩」があり、このことが当地域の由来であると円照寺境内にある案内板にも記されている。
拝 殿
社殿の左側横には合祀社が覆屋内に三社あり、左側から中新田に鎮座していた剣神社、化政時期には村鎮守であった鷲神社、そして深町稲荷社が並んで祀られている。
長良神社 羽生市弥勒一五四三(弥勒字五軒)
当社所蔵の『長良大明神縁起』によると「当社は上古土人小祠を建てて大國主命・事代主命の二神を祀って後、陽成天皇元慶年中贈太政大臣藤原長良公の霊を配祀し社号を長良神社と称す」とあり、更に長良公について「公は太政大臣冬嗣の子なり天至友愛諸弟に親睦志行高潔(中略)仁明帝の時兼て上野常陸下野下総四国ヲ所知国とし治所を上野国邑楽郡瀬戸井に置く」とある。また当社所蔵文書『弥勒村の起源』によると「弥勒は元中西村町田谷ヶ浦亀谷等諸部落の総称なり称徳天皇の神護慶雲年中諸国の仏舎利堂塔を建立するに当り空海上人弥勒菩薩を此地に勧請し信徒の諸部落を合せて一村となし村称を弥勒村と号す」とある。また、当地方は上野に一時属した事が知られ、古くから開かれた所であり、当社の創建もまた古いと考えられるが、後世この地は鷲宮の社地となった関係から、同字にある鷲神社が村の鎮守とされていた。しかし、当社の別当真言宗円照寺の努力により、元文元年卜部兼雄の宣旨で正一位に叙されたため、明治期に村社となっている。
明治四二年七月、字中新田剣神社、同鷲神社、字深町稲荷社などを合祀する。このうち稲荷社は、茶枳尼天(だきにてん)像を祀り、厨子に「弥勒村矢甲良稲荷大明神」「願主 石合安兵衛」「享保十七歳壬子正月十七日」と墨書がある。
「埼玉の神社」より引用
社殿の左側に並んで祀られている境内社・ 三峰社の右隣に祀られている境内社・
三峰神社。その左側には伊勢講記念碑 秋葉神社・天神社。間にある石祠は塞神
社殿手前で、参道右側にある記念石碑等
当社では、7月20日に「獅子祭り」が行われている。昔、明神様(旧騎西町玉敷神社)から獅子頭二頭と天狗面二面を頂いたのに始まるという。獅子と天狗と二組に分かれ、耕地を上と下から祓いはじめ、総代の家で二組一緒になる。その後獅子は各氏子の家の玄関の前で祓いはじめる。耕地の行事は次々と廃されたが、獅子祭りだけは戦時中に一時中断していた時期もあったが、今も行われているという。
境内から鳥居を望む
この「獅子祭り」は、獅子頭二頭と天狗面二面を旧騎西町鎮座の玉敷神社からお迎えして行う行事である。『玉敷神社HP』によると、近郷の人達が当神社の神宝である獅子頭(ししがしら)をそれぞれの地区に迎えて、五穀豊作・家内安全を祈る特有の祓えの信仰行事であり、「お獅子さま(おしっさま)」と呼ばれる。
この行事の発生年代は明らかではないが、文政11年(1828)の貸出簿があることから、それ以前に始まったことは確かである。行事は春・夏に多く行われるが、3、4月の祓えは秋の豊作を祈念するもの、7月の祓えは地区の人達の無病息災を祈るものであったと思われる。現在、お獅子さまを迎える地域は、嘗ての南・北両埼玉、北葛飾、大里および北足立各郡内の市町村など主に県の北東部を流れる元荒川流域の市町村のほか群馬県の玉村町や板倉町、茨城県の一部に跨り、その地区の数は170カ所以上に及んでいるとのことだ。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「玉敷神社HP」
「Wikipedia」等