小見真観寺古墳
後円部の南側にある横穴式の複室の石室は、寛永11年(1634)に発見され、秩父産の緑泥片岩による石室で巨大な石材を用いた精巧なものです。前室は奥行2.7m、幅2.2m、高さ2.1m、玄室は2.4m、幅2.2m、高さ2.1mで両室の間仕切りは、緑泥片岩の一枚石に四角い窓を開けています。鞍部にある石室は、明治13年に発掘され金環、鉄製刀子(とうす)、金銅装頭椎太刀(かぶつちのたち)、銅鋺(どうわん)などが発見されました。出土品は、東京国立博物館に所蔵されています。
最近の発掘調査で周溝が確認され、その底付近から埴輪の破片が多く発掘されました。また、出土遺物などから6世紀末から7世紀初め頃に築かれた市内最後の前方後円墳でなはいかと推測されます。
行田市ホームページより引用
所在地 埼玉県行田市小見1125
区 分 国指定文化財
埋葬者 不明
築造年代 7世紀初頃
小見真観寺古墳は、国道125号バイパスを羽生市方面に進み、小見(南)交差点を左折し1、2分で右側に真観寺があり、その本堂の裏山のような形で現存する全長112mの前方後円墳で埼玉古墳群の中の最後の古墳である中ノ山古墳が築かれた時期とほぼ同時期に、7世紀初頭から中頃に造られた古墳と考えられている。埼玉古墳群から北西約4㎞位の距離がある。墳丘長は112メートルであり、埼玉県第4位の規模を有する前方後円墳で、俗に「観音嶽」と称する。この古墳の主軸は西北西に向かい、封土の左側および前後の頂部はともに削平を受けているが右側の遺存状況は良好である。後円部の径は55メートル、高さ7.8メートル、前方部の幅は48メートル、高さは7メートルである。
名前の由来は真言宗智山派慈雲山・真観寺の寺域にあるのでこの名称となったという。
小見真観寺の山門
山門をこえると本堂がありその奥に古墳がある。撮影日は4月上旬で桜が大変美しい。
山門をくぐって真観寺の境内に入ると、本堂の裏に樹木で覆われた小山が見える。それが、この地方では最大の真観寺古墳である。ちなみにこの地方には小見古墳群と言って古墳が数基あり、その中心がこの古墳である。本堂を右側に移動していくと本堂と墓地の間に古墳の碑が建っていて、古墳のくびれ部から墳頂に登ることができる。
小見真観寺古墳
この古墳は、小見古墳群に属する前方後円墳で、星川の右岸の低台地上に立地している。
現存の墳丘の大きさは、全長112mである。埋葬施設は後円部と鞍部付近に緑泥片岩の一枚石を組み合わせた二ヶ所の横穴式石室がある。後円部の石室は寛永11年(1643)に発見され、前・後室よりなっている。
鞍部の石室は、後室のみが現存するが、前室については明らかではない。この石室は明治13年に発掘調査され、衡角付冑、桂甲小札、鉄鏃、金環、頭稚太刀、圭頭太刀、刀子、蓋付有脚銅鋺等の副葬品が出土している。出土品は、東京国立博物館に収蔵・展示されている。
これらの副葬品から、この古墳は七世紀前半に築造されたと考えられるが、鞍部石室はやや遅れて造られた可能性がある。
前方後円墳としては最も新しいものであり、埼玉古墳群に後続する首長墓として重要である。
埼玉県教育委員会・行田市教育委員会掲示より引用
この小見真観寺古墳の最大の特徴は埋葬施設は後円部と鞍部付近に緑泥片岩の一枚岩を組み合わせた二ヶ所の横穴式石室があるということだ。
- 後円部の石室は1634年に発見され、前室・後室の構造で7世紀の初めの築造とされて、前室と後室に分かれている。
- 前室 : 全長5.42m・幅2.24m・高さ2.03m
- 後室 : 全長2.62m・幅2.33m・高さ2.02m
- 鞍部の石室は、後室のみが現存するが、前室については明らかではない。
- 後室 : 全長2.8m・幅1.76m・高さ1.12m
後円部の石室 石室内部
鞍部の石室 石室内部
前方後円墳としては新しい時期のものであり、埼玉古墳群に匹敵する首長墓と考えられている。また埼玉古墳群から次の勢力への移り変りを探る上で、真観寺古墳は重要な古墳である。1934年(昭和6年)3月30日、国の史跡に指定された。
最後にこの真観寺古墳がある地名が最近筆者の中で非常に気になっているテーマでもある。「小見」=「おみ」。この地名を見て何か気づかないだろうか。