古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

沼和田飯玉神社

 沼和田飯玉神社は山王堂地区の南側に位置する沼和田地区に鎮座している。沼和田の地名由来では、「和田」は川の曲がって流れている部分や丸みのある平地を指すといわれ、『埼玉県地名誌』では沼のある和田の地の意味であろうと推定している。『本庄の地名』では明治18年(1885)に測量された陸軍陸地測量部の迅速図を見ると、乱流する利根川が良く分かり、旧流路ともども丸くなった地形が、地名の発祥と想定させてくれる。
 沼和田地区は山王堂地区や東側に隣接する仁手地区等周辺の村と共に、江戸時代初頭頃までは上野国那波郡に属していた。
 直現在の沼和田の読みは「ぬまわだ」だが、昔から愛称もこめて「ヌマンダ」と発音している方も多いという。
 
        
              ・所在地 埼玉県本庄市沼和田926
              ・ご祭神 倉稲魂命
              ・社 格 旧指定村社
              ・例 祭 不明  
 沼和田飯玉神社は国道17号を本庄市街地から上里町方向に進み、「小島(北)」交差点を右折する。埼玉県道351号沼和田杉山線に合流し、そのまま北東方向に700m程進むと左側に本庄市立旭小学校が見え、そのまま進み、次の信号のある交差点を右折すると左側に社の鳥居が見える。鳥居のそばには沼和田センターがあるので、そちらに駐車してから参拝を行う。
             
               沼和田飯玉神社 正面社号標柱
 社号標柱に『神饌幣帛料供進』と彫られているが、この神饌幣帛料供進社とは如何なる社の事を謂うのか調べてみた。
神饌幣帛料供進指定神社
 神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ) とは、郷社・村社を対象に勅令に基づいて県知事から、祈年祭、新嘗祭、例祭に神饌幣帛料を供進された神社のことを指している。
 明治40年(1907年)からは、府県郷を始め、村社(指定神社以上)が例祭に地方公共団体の神饌幣帛料(しんせんへいはくりょう)の供進を受けることが、大正3年(1914年)4月からは祈年祭・新嘗祭にも神饌幣帛料の供進を受けることが、それぞれ認められ、神饌幣帛料供進社(しんせんへいはくりょうきょうしんしゃ)と称された。神饌幣帛料供進共進神社、神饌幣帛料供進指定神社、あるいは社格と併せ指定県社、指定村社等の表現も為される。明治8年(1875年)の「神社祭式」では、幣帛として布帛などの現物のほか、金銭を紙に包んだ「金幣」を加えることとされた。金幣は祭典にさきだってあらかじめ地方庁に交付され、地方長官に供進させた。
 現在、全国の神社本庁包括下の神社の例祭には神社本庁から「幣帛料」として金銭が贈られている。
                                    Wikipediaより
参照
        
                              一の鳥居
 
  一の鳥居の左側に庚申塔等の石塔が並ぶ。       二の鳥居に続く参道
   昔からの信仰心が今も残されている。    地方の社には長い参道が今も残されている。
        
                                  二の鳥居
        
                        拝 殿

  境内は思いのほか広く、手入れも行き届いていていて、境内社等の配置も整然としている。
 
     拝殿上部に掲げてある扁額           扁額の左側にある社号額
       
               参道の左側境内入り口にある御神木
             
                御神木の手前にある境内碑
 境内碑  飯玉神社由来記
 當社創立ハ不詳ナレドモ往古室町時代ニハ上野國那波郡那波城主ノ崇敬アリシ社ニシテ神徳遠近ニ輝キシト云フ祭神ハ倉稻魂命ヲ祀ル五穀ノ祖神ナリ舊社地ハ村ノ東方字飯玉ノ地ニアリシヲ天正十八年ニ今ノ地ニ遷ス舊境内ニハ周圍參拾餘尺ノ欅ノ老樹アリシカ明治二十年一月二日燒失セリ建物ハ本殿幣殿拜殿社務所等ノ施設ヲ完備ス
 境内ハ四百七拾万坪ヲ有シ社格ハ明治五年村社トナリ明治四十二年ニ無格社雷電神社稻荷神社八幡神社諏訪神社ヲ境内社ニ移轉シ大正十年二月二日神饌幣帛料指定社トナル神域ノ樹木欝蒼トシテ神威赫々タリ茲ニ由来ヲ調査シテ略記シ後世ニ傳フト云爾
正三位勲六等金鑚宮守題額幷撰  
逸見應次敬書
 
  社殿左側に鎮座する境内社・諏訪、雷電社     草木に覆われているが富士塚もあり
       
     本庄市指定文化財として有形文化財(天然記念物)に指定されているサイカチ。
                  
目通り周囲は3.2m
*サイカチ
 マメ科ジャケツイバラ亜科サイカチ属の落葉高木。別名はカワラフジノキ。漢字では皁莢、梍と表記する。日本では中部地方以西の本州、四国、九州に分布するほか、朝鮮半島、中国に分布する。山野や川原に自生する[2]。実や幹を利用するため、栽培されることも多い。
 木材は建築、家具、器具、薪炭用として用いられ、莢にはサポニンを多く含むため、油汚れを落とすため石鹸の代わりに、古くから洗剤や入浴に重宝された。豆果は皁莢(「さいかち」または「そうきょう」と読む)という生薬で去痰薬、利尿薬として用いる。種子は漢方では皁角子(さいかくし)と称し、利尿や去痰の薬に用いた。また棘は皁角刺といい、腫れ物やリウマチに効くとされた。
 サイカチの花言葉は、「壮大」
『万葉集』に収録された和歌の中にも詠まれている。
・万葉集(巻十六) 皂莢爾 延於保登礼流 糞(屎)葛 絶事無 宮将為
 かわらふじに 延ひおほとれる屎葛(くそかづら) 絶ゆることなく宮仕えせむ(高宮王)
                                     Wikipediaより
参照
 
     左側の赤い石祠は三峯神社。       赤い鳥居は稲荷社。隣の石祠は不明。
中央の石碑の左側石祠が天手長男神社、右が菜種
          八幡神社と刻まれている。

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