古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

樋詰氷川神社

 樋詰氷川神社は桶川市川田谷地域南部に鎮座する。創建年代は不明である。ただ江戸時代前期から中期にかけて、川田谷村から枝郷として「樋詰村」が分村する際に創建されたものと推測される。因みに「樋詰」は「ひのつめ」と読む。当時「西光寺」が別当寺であり、西光寺は泉福寺を本寺とする天台宗の寺院であったが、明治初期の神仏分離により、廃寺に追い込まれた。
 1873年(明治6年)、近代社格制度に基づく「村社」に列せられた。1967年(昭和42年)に社務所兼集会所が改築された。
        
              
・所在地 埼玉県桶川市川田谷215
              
・ご祭神 素戔嗚尊
              
・社 格 旧川田谷村枝郷樋詰村鎮守・旧村社
              
・例祭等 1月1日 歳旦祭 2月20日 恵比須講 10月9日 お日待ち
                   
11月20日 恵比須講(新嘗祭)
  
地図 https://www.google.co.jp/maps/@35.9782654,139.532126,16z?hl=ja&entry=ttu
 川田谷熊野神社から荒川に沿って北西方向に通じる道路を200m程進むと、進行方向正面に樋詰氷川神社の鳥居が見えてくる。川田谷熊野神社とは非常に近距離の位置関係となる。
 この樋詰氷川神社の前の道は、古くからの主要道路であったと考えられ、沿道には城館跡や寺社などが多く残されていて、江戸時代には中山道の脇道として、また、荒川の舟運や渡河のための主要交通路として、多くの人の往来があったと思われる。樋詰氷川神社境内に設置されている「樋詰の道しるべ」は高さ40㎝ほどの小さな道しるべであるが、当時の交通路を調べるうえでも重要な道標であろう。
        
                  樋詰氷川神社正面
 
    鳥居のすぐ左側に設置されている「樋詰の道しるべ」の案内板等(写真左・右)
「桶川市指定文化財 樋詰の道しるべ」
 種別 民俗文化財(有形民俗)  平成8529日指定
 この道しるべは、高さ40cmほどの小さな道しるべです。明和8(1771)に建てられ、正面には「あきは道」「大宮道」とあります。「あきは」 は火災除け、盗難除けの神様として信仰を集めた指扇村(現さいたま市)の秋葉神社で、「大宮」はさいたま市の武蔵一宮氷川神社です。正面向かって右側面 には「かうのす道」、左側面には「太郎ヱ門舟渡」と刻まれています。「太郎ヱ門舟渡」は、現在の県道12号川越栗橋線の太郎右衛門橋付近にあった荒川の渡場のことです。
 樋詰氷川神社の前の道は、古くからの主要道路であったと考えられ、沿道には城館跡や寺社などが多く残されています。江戸時代には中山道の脇道として、また、荒川の舟運や渡河のための主要交通路として、多くの人の往来があったと思われます。この道しるべも、通行する人々の案内役として重要な役割を果たしていたことがうかがえます。
 平成273 桶川市教育委員会
                                      案内板より引用
 
 
   鳥居を過ぎて参道右側にある「力石」     「力石」の傍に建つ「改修記念碑」
        
                     拝 殿
        
               境内に設置されている案内板 
 氷川神社  桶川市川田谷二一五
 祭神…素戔嗚尊
 当社が鎮まる樋詰(ひのつめ)の地は、荒川左岸の低地に位置し、古くから度重なる水害を被ってきた。樋詰は川田谷村の枝郷で、慶安ニ~三年(一六四九~五〇)の『田園簿』では本村に含まれており、元禄十五年(一七〇二)の『元禄郷帳』では川田谷村枝郷として樋詰村一〇二石余と記される。また、口碑によれば、樋詰の開発当初の村人は長島一家だけであったという。
 その創建は川田谷村から分村する過程で祀られたことが推測され、長島一家とのかかわりも考えられる。化政期(一八〇四~三〇)の『風土記稿』川田谷村枝郷樋詰村の項には「氷川社 村の鎮守なり、川田谷村西光寺の持」とあり、当時の家数は三三戸とある。
 参道入口の鳥居に掲げる「氷川大明神」の額には、裏に「元文四未(一七三九)天十一月吉日 武州足立郡石戸領樋詰村氏子中」と刻まれており、当社の最も古い史料となっている。また、本殿に安置する金幣には「奉献心願成就 明和六己年丑(一七六九)二月吉日」「願主伊勢屋丑兵衛」と記されている。
 明治六年に当社は村社となり、その後昭和四十二年には社務所兼集会所を改築した。また、往時の別当西光寺は既に廃寺となっており、その跡には墓地が残る。
 祭神の素戔嗚尊は八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したことで有名であるが、八岐大蛇とは一説には大雨で暴れた川を表し、その水害を鎮めるための守り神として祀られたと考えられる。
 祭礼は正月の歳旦祭、二月の恵比須講(祈年祭)、十月のお日待ち、十一月の恵比須講(新嘗祭)の年四回である。
 社殿東隣に「稲荷社」を祀り、境内南東には「庚申塔(青面金剛)」が祀られている。(以下略)
                                      案内板より引用

 
       境内社・稲荷社             境内にある社務所兼集会所
       
 入口にある鳥居の右隣側には「奉納 大天狗 石尊大権現 小天狗」と刻印された石灯篭(写真左)があり、境内南東側には「庚申塔(青面金剛)」が祀られている(同右)。



参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「桶川市HP」「上尾市 日枝神社HP」
    「Wikipedia」「境内案内板」等

  
        


拍手[1回]