古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

中町雷電神社

 現在の利根川は、川幅が約500m程だが、昔から流路が一定していたわけではない。旧流路と確認できるものでは、伊勢崎市街地を西から東に流れる広瀬川の川筋があり、江戸期の宝永2年(1705)以前には、柴宿南から戸谷塚、福島、富塚、長沼本郷、 国領などの集落を北岸として流路があった。
 しかし、この利根川は、たびたび洪水を起こすため新水路として、一部の水を現流路に沿い流した。この流路を三分川、前述の流路を七分川と呼んだ。しかし、天明3年(1783)の浅間山大噴火により七分川には、水が流れぬようになり、三分川が主流となった。今でも柴宿西岸に小さな段丘崖を確認することができ、南には旧流路(七分川)であった低湿地が帯状にみられる。
        
              
・所在地 群馬県伊勢崎市中町57
              
・ご祭神 大雷命
              ・
例祭等 例祭 915
 福島町八郎神社から群馬県道・埼玉県道18号伊勢崎本庄線を北西方向に600m程進むと、国道354号線との交点である「堀口町」交差点に達し、その交差点を左折する。国道354号線は通称「日光例幣使街道」とも呼ぶようだが、この国道を西行し、750m程先で国道が右カーブに入り始め、幹線道路と交わるY字路の内側に中町雷電神社は鎮座している。
 境内北側には駐車可能なスペースがあり、そこに停めてから参拝を行う。 
        
                 中町雷電神社正面
 伊勢崎市中町は、利根川左岸に位置し、現在の行政区域では南北900m程・東西1㎞程の区域の他、その東側に一カ所、及び南側にも一カ所と、飛地があり、中町雷電神社はその南側飛地に鎮座している。嘗ては現在の地よりも北側の今井地域に鎮座していたらしいが、文政三年(1820)にこの地に移ったという。
        
           豊かな木々に囲まれた中に社殿は建てられている。
     周辺一帯宅地化が進んでいる中、この境内には一時の静寂感が広がっている。

中町地域の西側には「柴町」地域があり、この地はかつて柴宿(しばしゅく)という日光例幣使街道の宿場町であった。この柴宿を調べるとその記述の中に中町という地名が出てくる。
 柴宿は、宿場町としては4町から5町程度の小規模なものであった(1町は約100m)。しかし、柴宿の東側に「加宿」と呼ばれる付帯的な宿場町として中町・堀口が連なり、全体として14町余りのかなりの規模の宿場町を構成していた。本陣は柴宿にあり、代々の関根甚左衛門が勤めた。問屋場は、柴宿および加宿中町・加宿堀口が10日ごとの持ち回りで負担したという。当初、柴宿付近の日光例幣使街道は一直線であったが、1729年(享保14年)に柴宿が北に移転し、中町・堀口との間で枡形が構成された。宿場町の成立時期が明確になっていることは珍しく、またこの経緯から、柴宿エリアは自然発生的な宿場町ではなく都市計画に基づいて作られたという特徴を持つ。        
        
        境内に設置されている「中町雷電神社建設寄付者御芳名」碑
          この石碑の裏面には社の簡単な由来が記載されている。
 改築に寄せて
 雷電神社(祭神・大雷命)文政三年(一八二〇年)に中町字北川原(現在の今井町)から現在地へ奉還されて以来一八〇年余り 中町は雷電様のご加護の下に平和と繁栄が守られて来ました 社殿の老朽化のため改築をする事に成り平成十八年十月建設委員会を設置し、多くの皆様のご協力により完成する事が出来ました。
 ここに関係者各位のご協力と努力に対しまして御芳名を石碑に刻し謝意といたします(以下略)。
                                   改築記念碑文より引用

        
                    拝 殿
        
       拝殿正面の左右の壁には龍が浮き彫りされている(写真左・右)
 
     拝殿左側に祀られている石祠       社殿左側奥に纏めてある庚申塔群等
         詳細不明          庚申塔の他に馬頭観音・道祖神・石祠もあり。
        
             参道を入ってすぐ右側にある巨大な溶岩塚
     塚上には石祠もあり、昔から氏子の方々にとって祀る対象であったのだろう。

 この塚は、天明3年(1783)の浅間山が大噴火した際の溶岩塚であり、頂上に石祠が建立されている。この地域周辺の至るところに浅間山の溶岩と思われるものが見られるのだが、いかに浅間大噴火の規模の大きさが想像できよう。このような大噴火の痕跡を先人が大切に残してくれたことに対して感謝の念を感じずにはいられない。


参考資料「日光例幣使街道」「Wikipedia」「境内改築記念碑文」等
 

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