古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

寿諏訪神社


        
             
・所在地 埼玉県本庄市寿2121
             
・ご祭神 建御名方神
             
・社 格 旧無格社
             
・例祭等 祈年祭 43日 祇園祭 715日に近い土・日曜日
                  
例祭1017日 新嘗祭 1217
 国道17号線を本庄市街地方向に進み、「寿三丁目」交差点を右折、通称「南大通り」と称する埼玉県道23号藤岡本庄線を800m程進行し、コンビニエンスストアが右側に見える交差点を右折する。その後、すぐ先の「寿1丁目」交差点を右折し、暫く進むと進行方向左手に寿諏訪神社が見えてくる。
 社と社務所らしき建物の間には駐車可能なスペースもあり、そこの一角に車を停めてから参拝を開始する。
        
                  
寿諏訪神社正面
 氏子区域は、近世の諏訪新田の範囲を継承する地域であり、明治以降は本庄町の小字となり、昭和20年代に「諏訪町」と称するようになった。昭和45年と47年に町名変更が実施され、諏訪町は「寿」「日の出」「東台」に分散されてしまったが、諏訪町自治会の組織は、そのまま継承されており、氏子組織の基盤となっているという。
 
鳥居には「諏訪大明神」と刻まれた社号額あり   鳥居の左側には案内板が設置されている。
        
                              境内にある立派な神楽殿
 当地には古くから神楽が伝わり、金鑽神楽本庄組と称する神楽師の組織を作っている。神楽の始まりは、上野台村(深谷氏上野台)の八幡神社に古くから伝わる神楽が、岡村(岡部町岡)の森田組を経由して、江戸後期に当地に伝えられたといわれている。
 文政八年(一八二五)の神祇管領長上家御役所から本庄宿の金鑽神社総代と宿役人あてに出された文書が現存し、その内容は、願いにより金鑽神社神前での太々神楽執行を許可したもので、この文書により、本庄組の起こりは文政八年まで遡ることが証明されている。
 その後、明治に入ってからは、児玉・大里地方に伝わる神楽が、大宮住吉神社(坂戸市塚越)の神楽を伝承したといわれる金鑽神楽を中心に統一され、本庄組もこの一つに加わったという。
 また本庄組は、当社の春秋の祭りに奉納するのはもちろん、本庄市内をはじめ群馬県尾島町(現太田市尾島町)の八坂神社等十二の社に頼まれて奉奏しているとのことだ。
 
           境内の真ん中付近に手水舎があり、その脇に
            立派なご神木が聳えている(写真左・右)
        
                    拝 殿
 諏訪神社  本庄市寿二— -—二一(本庄町字諏訪新田)
 当地は、本庄台地北端に位置する。 本庄は、古くは若泉庄に属しその本荘(本郷)の地であったことから、この地名が起こったという。弘治二年(一五五六)に児玉党庄氏の末裔に当たる本庄宮内少輔実忠が、現在の本庄市北堀字東本庄から館(後の本庄城)を当地内に移した。天正十八年(一五九〇)には新しい城主として徳川家康の家臣小笠原信嶺が配置され、本庄領として一万石を領した。この信嶺は、江幕府が中山道を整備する一環として本庄宿の屋敷割りを行い、以後中山道の両側には急速に人々が住み着き、町並みを形成していった。本庄宿は周辺の村々とは異なり「町内」という自治組織に近い寄り合いを作った。諏訪新田も、このころには集落を形成していたという。
 当社は、諏訪新田の北西端にある小高い丘の上に鎮座する。すぐ裏手には、「道満窪」と呼ばれる湧水池があったというが、現在は見られない。このことから、新田開発の早い時期に、田畑を潤す湧水池の傍らに耕地の守護神として諏訪神が勧請され、集落が形成されていくなかで、諏訪新田の地名が付けられたものと推測される。
『風土記稿』本庄宿の項には「諏訪社村持」と載る。
 明治に入り、社格制定に際して当社は無格社とされた。昭和四十七年には、社殿新築奉賛会が設立され、翌年には本殿外宇・幣殿・拝殿が新築された。

                                  「埼玉の神社」より引用
        
         北側にある広い空間である境内地より本殿方向を撮影
        
              社殿の左側に祀られている末社七基
           「埼玉の神社」に載せられている社は「天神社」
         「天手長男社」「琴平社」「養蚕社」「稲荷社」の五社
        
            社殿の右側に祀られている境内社・八坂神社
 当社の祭りの中で一番盛大なものは、715日に近い土・日曜日の2日間かけて行われる末社八坂神社の祭礼である「祇園祭り」である。本町・台町・朝日町にも八坂神社が鎮座し、嘗ては15日に各神社が独自に祭礼を行っていたものを、市観光協会が主導して市を挙げての祭りとして統一し、更に、より多くの人たちが参加できるように、祭日を15日に近い土・日曜日に変更したという。
        
                  社殿からの一風景



      

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