古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

川田谷熊野神社


        
              
・所在地 埼玉県桶川市川田谷348
              ・ご祭神 伊弉冉命 大山咋命 天照大御神
              ・社 格 旧無格社
              ・例祭等 春祭 318日 秋大祭 1123
  地図 https://www.google.co.jp/maps/@35.9757206,139.5335257,17z?hl=ja&entry=ttu
 国道17号バイパス上尾道路を「アリオ上尾店」方向に進行し、「薬師堂(南)」交差点を右折し、民家と田畑地が混在する南西方向に伸びる道路を暫く進む。500m程先で正面方向に見える社叢林の路地付近に「熊野神社古墳」と表示されている小さい看板があり、その路地を左折すると右手側にこんもりとした古墳が見え始め、その古墳頂上部に川田谷熊野神社は鎮座している。民家に囲まれているせいか、目印の社叢林はあるにはあるが、それでも目立たない場所である。また看板も設置されてはいるが、それほど大きいものではないので、気をつけなければ、そのまま素通りしてしまいそうな場所にある。
 左折した路地は行き止まりとなっていて、その行き止まり付近右側には駐車可能な空間があり、そこに車両を停めてから参拝を開始した。
        
                 川田谷熊野神社正面
        
                                      石段手前右側に設置されている案内板
 熊野神社 御由緒  桶川市川田谷三八四
 □御縁起(歴史)
 川田谷は荒川右岸の自然堤防上に位置し、地名は川の端の地であることに由来するという。中世の河田郷に比定される。古くから古墳が多く存在する所として知られ、その内の一つである熊野神社古墳と呼ばれる円墳(最大径三〇メートル・高さ六メートル)の上に当社は鎮座する。
 当社は『風土記稿』川田谷村の項に「熊野社 東光寺持」と載り、当時は天台宗東光寺が別当であった。東光寺は村内泉福寺の末寺で、寺伝によれば天長六年(八二九)慈覚大師により開基されたという。
 また、かつての氏子区域の小名である「薬師堂」は地内の薬師堂の名にちなむものである。『風土記稿』に「薬師は慈覚大師の作にて座像長一尺余、東光寺の持」と記される。恐らくは、この薬師と共に当社は、 東光寺の僧によりこの地に勧請されたのであろう。
『明細帳』に「往古は東光寺持ニ日枝社、神明社アリシガイツノ頃カ (当社に)合祀シシタリト云伝フ」とあり、現在の祭神は伊弉冉命と並び大山咋命(日枝社)と天照大御神(神明社)となっている。
 かつての当社は小さな木の祠で、周囲には杉や樽の大木が多数生え、盛り土の高さも現在の本殿の屋根位まであった。昭和三年にこの祠を改築するに当たり、盛り土を掘削したところ粘土槨が発見され、中から勾玉や紡錘車など多数の遺物が出土した。これらは大変貴重な資料であるため昭和二十三年に国指定重要文化財となっている。(以下略)
                                      案内板より引用
        
   石段の手前左側には「埼玉県指定史跡 熊野神社古墳」の案内板も設置されている。 
 社殿に通じる石段。踊り場付近には鳥居が立つ。   墳頂部には「出土品ノ碑」が設置
       
                    拝 殿 
 この地域は中世の「河田郷」に比定され、古くから古墳が多く存在するところとして知られていた。
『日本歴史地名大系』 「河田郷」の解説
 川田谷辺りに比定される。応永四年(一三九七)七月二〇日の足利氏満寄進状では、相模国鎌倉郡小坪(現神奈川県逗子市)の残り半分の替地として、足立大炊助跡である足立郡内「河田郷領家職内」の所領などが鎌倉円覚寺塔頭黄梅院に寄進されている。正長元年(一四二八)六月二一日の鎌倉府奉行人連署奉書によれば、河田郷領家職が大井五郎左衛門尉のために牛田十郎跡に混入して押領され、黄梅院雑掌の訴えを受けた鎌倉府は、実情調査を武蔵国守護代大石憲重に命じている。
        
                                 拝殿から石段下を撮影
 熊野神社の創建年代などは不詳ながら、天長6年(829)創建と伝えられる東光寺が当社を勧請したのではないかといい、年不詳ながら、明治維新後に日枝社・神明社を合祀している。当社の鎮座地は直径38m、周溝幅1416mの円墳上で、埼玉県最古の古墳とされ、円墳から出土した遺構は、国の重要文化財に指定されている。



参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「桶川市HP」「Wikipedia」
    「境内案内板」等                      
 

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