古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

針ヶ谷八幡大神社

 全国には様々な地名があるが、土地の地形や風土が由来となったものや、その土地に縁のあった偉人からつけられた地名、戦国時代の武将達が名付けた地名などもあり、由来は様々である。土地の地形や風土が由来となった地名の場合は、後世になってから何らかの形に変更されたものが多数あり、普段はあまり気にすることのない地名の由来だが、実はこういった地名には、先人達が後世に伝えたい大切なメッセージが込められているといえるのではなかろうか
「針ケ谷」という地名は、県内でも深谷市やさいたま市浦和区、県外では栃木県宇都宮市、千葉県長生郡長柄町などにも見られる。開墾地を示す地名に「墾(はり)」という古語があるが、これが「針」や「治」「張」などの文字に置き換えて使われている場合があり、当市の針ケ谷も平安時代前後に谷地(湿地)を開墾し切り開いた土地の意があるのかもしれない。
        
              
・所在地 埼玉県深谷市針ケ谷258-1
              ・ご祭神 品陀別命、比賣神、神功皇后
              ・社 格 旧村社
              ・例 祭 10月15日 例祭
 針ヶ谷八幡大神社は深谷市針ヶ谷地区西部に鎮座する。埼玉県道
75号熊谷児玉線を美里町方向に進み、針ヶ谷(中)交差点の次の信号はT字路になっていて、埼玉県道86号花園本庄線との合流地点となっているが、そこを右折。300m程北上し、3番目の十字路を左折する。道幅の狭い道路だが、民家一つない田園地帯を見ながら次の十字路を右折すると左側に針ヶ谷八幡大神社が鎮座する場に到着できる。
 実のところ、県道86号線から右折する細い道からでも、右前方に社の社叢を仰ぎ見ることができるが、鬱蒼とした社叢ではないので、初めて参拝する方には、ナビ等は必要ではないかと感じた。
         
                東向きに立っている一の鳥居
 鳥居は東向きに立っているが、実のところ社殿は南向きである。鳥居を過ぎて参道を進むと、一旦突き当たるので、そこを直角右方向に進む参道があり、その先に社殿は鎮座している構図となっている。
        
                         直角に曲がった先の地点で社殿方向を望む。
                 参拝日 2022年3月
 深谷市針ヶ谷地区は深谷市の北西の櫛引台地面に位置していて、現在は周囲を田園地帯が広がる長閑な地域であるが、縄文期から平安期の集落跡が報告され、古くから開けていた地域であることが知られる。また、地内に鎌倉街道が通り、「風土記稿」には「村内に一条の道あり、児玉郡本宿より比企郡小川村へ通ず、是に鎌倉古街道と云伝ふ」とあるように交通の要衝でもあったようだ。
*深谷自治会連合会・針ヶ谷自治体HPを参照。
       
      参道両サイドある夫婦松             大黒様と恵比須様  
   手入れも行き届いていて素晴らしい。       左側には兎もいて可愛らしい。
        
                       「祝御大典 本殿再興四百年記念事業」
 碑文
 当八幡大神社は、神社明細帳や武蔵風土記稿等に「山城国男山八幡宮を移し祀る。勧請年月不詳なれど、文明十一年建営修理。慶長元丙申年及び寛保二壬戌年社殿再興す」云々…とある。
 山城国男山八幡宮とは京都府八幡市の石清水八幡宮のことで、当八幡大神社の本宮である。
 昭和六十二年に、本殿の営繕及び外宇(覆屋)
の改築を行った際に、調査した処、本殿天井裏より棟札が発見された。「慶長元丙申年・奉勧請八幡大神宮鎮護所願主小林六大夫」と記されおり、記録の如く、今の本殿は慶長元年に再興された事が立証された。その際に文明十一年の「叩きの土台」も確認された。本殿が再興されてより数えて、平成七年が四百年目の記念すべき年に当たる。
 拝殿は寛保二年に再興したるが、寛政辰年七月に改築をしている。その後幾度が営業を行っている。しかしながら、拝殿並びに天満宮の老朽が激しく、使用耐え難き状態なれば忘急処置で凌んで来た。そこで八幡大神社四百年記念事業として、拝殿・幣殿・天満宮外宇の改築を目標として、平成三年より七年迄の五ヶ年計画で募金を行いたく立案し、平成二年十二月二十三日の総会の席上で満場一致の賛同を得た。計画に着手するや氏子崇敬者の敬神の念篤く、目標を越える多額の奉納計画書の提出を載く事が出来た。昭和の御代も平成に変わり、これを祝し御大典記念事業としての意味を含めて事業に着手した。(中略)
 工事は平成五年三月に始り、三月八日に天満宮地鎮祭、二十二日に上棟祭、四月十八日には拝殿・幣殿等を解体した。一部から次の様な記録が発見された。「奉建立寛政辰年七月 針ヶ谷村大笹木村金平造之」とあった。今から百九十七年前の事である。四月二十七日に天満宮への仮遷座祭及び地鎮祭と斎行した。五月二十二日には拝殿等の上棟祭と斎行した。又付帯工事や社頭の整備等も、役員や奉仕団の方々のご協力に依りの完成する事が出来た。十月十四日には、神社本庁より献幣使を迎えての正遷座祭を芽出たく斎行出来た。この年は皇太子殿下の御成婚と、伊勢神宮の第六十一回の式年遷宮に当たり、重ね重ねの奉祝てあった。
 以上概要を記し、先人達が精神の拠り所として此のお宮を守り伝え「敬神 崇祖」の立派な精神文化を残して下さった事に感謝しつつ、更に後世の人々に受け継いて戴く為に此処に是を建立す(以下略)
碑文より引用 *句読点は筆者が代筆
        
                                    二の鳥居
        
                     拝 殿
      
         拝殿上部に掲げてある扁額              拝殿内部
        
                               本殿覆屋
 社の多くは鬱蒼とした社叢林に覆われていて、やや湿度が高く、樹木の間からこぼれ出る零れ光が、より一層神秘性を醸し出す心理的及び環境的な要因ともなっている。
 その点針ヶ谷八幡大神社の境内は、本殿奥にある社叢林以外はお日様の光を浴びた明るい境内で、境内周辺の環境整備もしっかりとしていて、二の鳥居から社殿までの参道周辺には玉砂利も敷かれ、しかもしっかりとならしてあり、見た目も良く、晴れ晴れとした気持ちで参拝を行うことができた。
 玉砂利を踏みしめて歩く事がほとんどない昨今、何か新鮮な気持ちにもなるから不思議だ。
 
      社殿手前左側にある神楽殿        神楽殿の右側に鎮座する境内社・神明社
            
                本殿左奥に聳え立つご神木
           本殿奥周辺にはご神木・社叢林を含む空間がある。
 
       石祠群。詳細不明            本殿右奥にある富士塚
        
                          社殿右側に鎮座している境内社・天満宮
        
                                     天満宮内部

 後になって知ったことだが、4月から5月にかけて咲く「ツツジ」や「藤」が綺麗な所で知られる社との事だった。立派な藤棚もあり、写真を見るとなるほどその通りかとも感じた。ツツジの時期も綺麗だそうだ。成程「明るい社」と感じたのは、このような綺麗な花々を見出る為に必要な空間でもあったわけだ、とも思った次第だ。
 来年こそはこの見事なツツジや藤の花を堪能したいものだ。
        
                      境内周辺を撮影
                            玉砂利もしっかりとならされている。


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