佐間天神社
天正19年(1590年)石田三成による忍城水攻めの際の佐間口を守った正木丹波守利英が死闘を繰り広げた場所でもあり、こんp佐間天神社付近に正木丹波守の屋敷があったとする説もある。
その後享保五年十二月(一七二〇)京都の唯一神道、吉田殿より「正一位天満天神」の神格を与えられ、文化十年八月二十五日(一八〇〇)本殿が再建された。本殿に安置される天神座像は春日の作と伝えられている。
又、境内の欅の樹齢は行田市教育委員会の推定によると四〇〇年とされている。
所在地 埼玉県行田市佐間1-10-6
主祭神 菅原道真公
社 格 旧佐間村鎮守 行田八幡神社の兼務社
例 祭 例大祭9月25日 八坂祭7月中旬の土・日
佐間天神社は、秩父鉄道行田駅から南に徒歩15分、車ならば埼玉県道77号行田蓮田線を鴻巣方面に向かうと2,3分足らずで到着する。但し社は県道77号線から一本脇に入った道沿いにあり、周囲を見回してもこれといった駐車場はないのですぐ東側にある水上公園に駐車し参拝を行った。
佐間天神社
佐間天神社の創建は忍城主の成田氏が忍城築城の折、谷郷、春日社、西を城の没沢の取入口とし、天神坊を出口としたと伝えられている。その天神坊を慈眼山安養院の守護神として天神社を勧請した。今から500年前のことである。享保5年12月(1720)京都の唯一神道、吉田殿より「正一位天満天神」の神格を与えられた。その後、文化10年8月25日(1800)本殿が再建された。本殿に安置される天神座像は春日の作と伝えられている。又、境内の欅の樹齢は行田市教育委員会の推定によると400年とされている。
佐間天神社には学問の神様、菅原道真公が祭神として祀られている。以前は慈眼山安養院が神護神であったが、その様子は今でも白山社、伊奈利社、厳島、明 神・・・等の合祀社が多く両部神道の名残を留めている。神門は安政3年(1850)の大火で類焼したがここで火が止まった為、火防の門と呼ばれた。
明治22年、佐間村、成田町、行田町が合併し忍町となり、妙音寺にあった温知学校を廃止し、天神社社務所に佐間学校が開校した。正式には忍学校第三教場と言われた。大正4年3月、行田尋常小学校第三校舎(現在の新町会館)が新築されるまでここに存在したのである。
天神社の行事
・大祓式(6月30日、12月31日)
・八坂祭(7月中旬の土、日)
・例大祭(9月25日)
・新嘗祭(11月23日)
・勧学祭(12月初旬)
・元旦祭(1月1日)
・初天神祭(2月25日)
・初午祭(3月第1午の日)
特に八坂祭、元旦祭は大いににぎわいを見せている。この様に、古い歴史を持つ天神社は佐間地区の鎮守として広く人々から信仰されている。
境内掲示より引用
水城公園の東南角に佐間天神社が建つ。1491年の忍城築城の際、出口の守護神として勧請されたもの。写真は神門。1850年の市内大火の時、ここで火が止まったので「火防の門」と呼ばれる。
佐間口の案内板
佐間天神社社殿は南向き故に神門に対して横向き 神楽殿
に鎮座している。
拝 殿
1720年に京都神道吉田家より正一位の神格を与えられた格式高い神社。写真の拝殿は1800年の再建。境内には神楽殿、社務所のほか、伊奈利神社、白山、厳島、明神社などの末社が鎮座している。
名称 佐間天神社のケヤキ
名称の典拠 なし
樹種 ケヤキ
樹高 30m
目通り幹囲 5.0m
推定樹齢 400年以上
所在地の地名 埼玉県行田市佐間1丁目
行田市指定天然記念物(1964年1月31日指定)
欅群(けやきぐん)
天神社は、享保5年(1720)12月京都の吉田家より神位を与えられ、正一位天満天神と称するようになった、との記録がある行田市佐間地区の鎮守です。
祭神は学問の神様として信仰されている菅原道真です。その天神社境内に9本の巨木が群生するこの欅群は、いずれも樹齢400年以上と推定される古木群です。樹高は高いもので30m、目通り幹周は最大のもので5.0mを計ります。落雷のため幹に空洞があるものがありますが、樹勢は旺盛で、枝張りもよく繁茂していて、神域の風致を保っています。また、秋には美しい紅葉が見られます。
平成23年 行田市教育委員会