古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

島川八幡神社


        
             
・所在地 埼玉県久喜市島川21-24
              
・ご祭神 誉田別命
             
・社 格 旧島川村鎮守 旧村社
             
・例祭等 春の日待 4月15日 秋の日待 10月15日
 八甫鷲宮神社の末社・諏訪神社のすぐ北側で東西に流れる北側用水を西行し、すぐ先の十字路を右折、その後中川に架かる「島川橋」を過ぎた最初の十字路を左折する。中川左岸の長閑な田畑風景を眺めながら農道を道なりに西行すると、進行方向右手に島川八幡神社の鳥居並びに境内が見えてくる。
        
              農道沿いに鎮座する
島川八幡神社
『日本歴史地名大系』 「島川村」の解説
 高柳村の東に位置し、村の南を島川が流れ、川沿いに堤防(島中囲堤)がある。元禄年中改定図(風土記稿)などにみえるように、島川は当村で古利根川より分れていたため島川の名がある。田園簿に村名がみえ、田高四四石余・畑高一一九石余で、幕府領。国立史料館本元禄郷帳では旗本松平領。天保三年(一八三二)の島中川辺領拾三ヶ村高書上帳(小林家文書)・旧高旧領取調帳などでも同じ。助郷は日光道中中田宿(現茨城県古河市)・栗橋宿に出役している(天保一〇年「栗橋中田両宿助郷帳」小林家文書)。「風土記稿」によると家数二三。もとは八甫村(現鷲宮町)との間に橋が架けられていたが、「風土記稿」成立当時には渡船が行われており、「郡村誌」によれば島川渡と称し、渡船は三艘で私渡しであったという。
        
 地域の南端を流れる中川は、通称「島川」といい、昔はもっと川幅があり、川の中には大きな島があった。島には家が四、五軒あったが、河川改修によって島が削り取られることになった時、島の住民は川岸の土手の傍らに移る代わりに、島川という名を川に付け、川の中に島があったことを後世に伝えることを代官に約束してもらった。それが島川の名の起こりであり、島にいた人が移ったことから、この地も島川と呼ばれるようになったといわれている。
『新編武蔵風土記稿 島川村』にはこの川に関して「島川 村の南を流る、川幅前に同じ、水元は埼玉郡羽生領の惡水落なり、元祿改定の圖によれば、古利根川の枝流にて當村より分れしかば、島川の名は起りけるが、其後いつの頃か、當領高柳村より對岸埼玉郡北大桑村へ堤を築き、門樋といふものを設て、惡水を落せり、(中略)又この下流古は高須賀村、外國府間村等をへ、權現堂村に至りて利根川に入しが、享保十二年今の如く堀替ありて、高須賀村内より直に權現堂に達し、利根川に合す、元祿改の圖に〇ば當村と八甫村の邊に橋を架せり、今は爰に渡船場ありて往來を便せり」と載せている。
       
                    拝殿覆屋
『新編武蔵風土記稿 島川村』
 八幡社 村の鎭守なり、照明院持、
 照明院 新義眞言宗、東大輪村密藏寺末、西方山阿彌陀寺と號す、本尊阿彌陀を置、


 八幡神社  栗橋町島川一〇三(島川字寺地)
 鎌倉時代の開発と伝えられる島川の集落は、中川左岸の自然堤防に沿って、東西に細長く形成されている。当社は、この島川の集落の西端に境内を持ち、氏子の家々を見守るように、東を向いて鎮座する。
『明細帳』には、「往古ヨリ当村鎮守二勧請シ之アリ元禄十丑年(一六九七)検地其以前ヨリ除税地トナリ、年月日不詳社殿再建其後大破二及ヒ天保十三年(一八四二)四月中氏子尽力シテ猶再ヒ建立、明治六年五月十六日村社トナル」と当社の由緒が記されている。この文中に見える天保十三年の再建については、境内の石灯籠の銘文にその経緯が記されており、それによると、当社の境内は低地で、しばしば水害を被っていたので、この年に村人が力を合わせて盛り土を築き、その上に社殿を建立したとのことである。現在の社殿はこの時に建てられたもので、万延元年と昭和の初めの二回、修理が施されている。
 明治維新を迎え、神仏分離が行われるまで、当社は地内の真言宗照明院の管理下にあった。境内にある阿弥陀堂はその当時の名残で、仏像が照明院に移されて、堂宇だけになった今では、春秋の祭典の後の直会の会場として利用されている。
 祭神は誉田別命で、流造りの本殿の内陣には、手に弓を持った八幡大明神像(像高三八㌢㍍)が納められている。また、末社としては、稲荷社と福寿弁才天社の二社がある。
                                   「埼玉の神社」より引用
 
  社殿の左側に祀られている境内社・稲荷神社      稲荷神社内の本殿写真
 
社殿右手奥に祀られている福寿稲荷神社の石祠    社殿右手にある伊勢参宮記念碑三基
     
                境内に聳え立つご神木の如き巨木(写真左・同右)
       
                 社殿から境内の一風景
「八幡様は願えばいろいろなことを叶えてくれる」といわれ、病気平癒をはじめ、様々な祈願が寄せられる。願いが叶うと「奉納 八幡宮」と書いた紅白の布や額などが納められるのが例で、当社の拝殿にはこうした奉納物が所狭しとばかりに並んでいるとのことだ。
        
              社の南側で東西に流れている中川



参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」等

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