円藤内香取八幡神社
・所在地 埼玉県幸手市円藤内741-1
・ご祭神 経津主命 譽田別命
・社 格 旧円藤内村鎮守
・例祭等 元旦祭 例祭(春祭り) 4月15日 秋祭り 9月19日
千塚神社から一旦北側用水路に沿って東行し、「59号分水工」という看板が見える付近の路地を左折して埼玉県道152号加須幸手線に合流する手前の路地を右折するとすぐ正面に宝積院、並びに香取八幡神社が見えてくる。
境内からやや離れた場所に建つ香取八幡神社正面一の鳥居
『日本歴史地名大系』 「円藤内村」の解説
松石村の北西、島川右岸の沖積地に位置する。南の幸手宿の内に飛地がある。葛飾郡幸手領に属した(風土記稿)。田園簿には円遠内村とみえ、田二三石余・畑二〇九石余で、幕府領。元禄八年(一六九五)武蔵国幕府領総検地の一環として検地が実施された(「風土記稿」など)。同一一年旗本小堀・同牛込・同島田の三氏は葛飾郡など四郡の内でそれぞれ六〇〇石を与えられたが(寛政重修諸家譜)、当村もそのなかに含まれたと考えられ、以後幕末まで三氏の相給(国立史料館本元禄郷帳・改革組合取調書など)。
一の鳥居から離れた場所に社の神門が建つ。
このような神門はあまりお目にかけたことはなく珍しい。
当地の方々はこの門を「かんどり様の門」と呼ぶそうである。
神門の先に木造の二の鳥居が見えてくる。
二の鳥居の左側にある伊勢参宮記念碑 記念碑の並びに建つ庚申塔
一の鳥居の社号額と同様に二の鳥居の額にも「香取大明神 正八幡大神」と表記されている。
拝 殿
『新編武蔵風土記稿 圓藤内村』
香取八幡合社 村の鎭守なり、寶積院持、 末社稻荷 〇第六天社 村持下同じ 〇荒神社 〇雷電社
寶積院 新義眞言宗、内國府間村正福寺の末、恵日山延命寺と稱す、本尊大日、 觀音堂
香取八幡神社 幸手市円藤内七四一-一(円藤内字上)
鎮座地の円藤内は、遠藤内とも書き『風土記稿』内国府間村の項に「村内名主角右衛門が先祖、遠藤石見清吉といへるもの、幸手宿の城主一色宮内大輔が臣なりしが、天正二年(一五七四)当所に来り開発して農民となれり」とあり、この遠藤氏が内国府間村に引き続いて開発した所であるという。
当社の創建は不詳であるが開発者遠藤氏とかかわるものであろう。別当宝積院(ほうしゃくいん)の本寺も、遠藤氏の本拠地内国府間にある。『風土記稿』は「香取八幡合社 村の鎮守なり、宝積院持、末社稲荷」とあり、宝積院は「新義真言宗、内国府間村正福寺の末、恵日山延命寺と称す、本尊大日」とある。本寺の正福寺は、朱印一三石を有する大寺であり、また学問寺として名高く常法檀所として末寺四九か寺があった。
社名を、現在は香取八幡神社と称するが、『風土記稿』は「香取八幡合社」と載せ、参道石鳥居の額は、年代不詳であるが、「香取大明神 正八幡大神」とあり変遷をうかがわせる。
当社には、珍しい木造瓦葺きの神門がある。これは「かんどり様の門」といわれるところから下総国佐原の香取本社楼門に倣ったものであろうか。往時の氏子たちの心意気を感じさせる。
二間社の本殿には、向かって右に香取大明神座像、左に騎乗の八幡大明神像及び「活眼薬師秀玄刻」と刻む石製の薬師仏を安置する。
「埼玉の神社」より引用
本 殿 社殿手前で右側に祀られている天神社
境内から二の鳥居を望む。
氏子区域は円藤内全域である。幸手駅に近い当地は、昭和三十年代から急速に宅地化が進んだ所で、元来五十戸ほどであったものが現在は一一八戸となっているとの事だ。
ところで、当社の祭礼に、9月19日に行われる秋祭りは別名「甘酒祭り」と呼ばれている。というのも、社の道路を隔てた西側に元別当である宝積院があるのだが、その寺院の前には社所有の水田が一反歩あり、この田んぼの新米で甘酒を作って祝ったところからきているという。この水田は今でも社有であるが、先の大戦時に青年団に貸したのをきっかけに、以後は氏子請けとしていて貸しているという。当地は早場米地帯で、自分の田んぼに手をつける前に社の田を刈り上げて甘酒を作って祝うところに意義があったらしいのだが、この甘酒造りは先の大戦により中止し、以来絶えていて祭りも祭典のみとなっているという。
かつての別当・宝積院
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「埼玉苗字辞典」等
