古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

水澤観音を参拝しています。

 水澤観世音はおよそ1300年前、推古天皇・持統天皇の勅願により、高麗の高僧 恵灌僧正によって開基されました。また、五徳山 水澤寺の名称は、推古天皇の御宸筆(ごしんぴつ)の額名によるものです。ご本尊は国司高野辺家成公の三女伊香保姫のご持仏であったと伝わる十一面千手観世音菩薩。霊験あたらたかなること、特に七難即滅七福即生のご利益が顕著です。
 開山当初は、御堂の数三十余宇、御仏の数一千二百体にも及びましが、再三の災火により焼失しました。現在の建物は大永年間に仮堂を建立し、宝暦から天命に至る三十三ヶ年の大改築によって完成致しました。「水沢観音」の名で親しまれ、坂東三十三観音霊場の第十六番札所として多くの人々の信仰を集めています。

        
            
・所在地 群馬県渋川市伊香保町水沢214
            
・主本尊 十一面千手観世音菩薩
            
・札 所 坂東三十三観音霊場 第十六番札所
            
・例祭日 節分祭 2月3日 花祭り 4月8日 除夜の鐘 12月31日
 10月27日(火)伊香保温泉に旅行しまして、その途中水澤観音に立ち寄り、参拝しています。群馬県道15号線前橋伊香保線、通称「水沢街道」を伊香保方面に進み、「水沢うどん」の店が連なる街並みの西側正面に本寺はあります。
 この「水沢うどん」も有名で、諸説ありますが讃岐うどん・稲庭うどんと並んで、日本三大うどんの一つとされていまして、水澤観音の参詣者向けに、上州産小麦と水沢山の湧き水で手打ちうどんをつくって出していたことが起源といいまして、勿論参拝前にそのうどんは頂いています。
        
              天台宗 五徳山無量院水澤寺正面
『日本歴史地名大系』 「水沢村」の解説
 浅間山(水沢山)の東麓に位置し、北境を同山北麓を水源とする黒沢川が、南境を同山南麓船尾(ふなお)滝に源を発する滝沢川がそれぞれ東流する。東は湯上村・有馬村(現渋川市)および当村入会の秣場、南は上野田(かみのだ)村(現吉岡村)ほか一二ヵ村入会秣場、北は伊香保村ほか五ヵ村入会秣場。集落の西に坂東三十三ヵ所一六番札所の水沢観音(寺)があり、同観音の門前町といえる。「万葉集」(巻一四)東歌、相聞の「伊香保ろの八尺の堰塞(やさかのいで)に立つ虹の顕(のじのあらは)ろまでもさ寝をさ寝てば」にみえる八尺の堰塞(井堤)跡を当地の井堤平(いでだいら)辺りに比定する説もある。
        
               
参道の石段の上に建つ仁王門
 仁王門は三間一戸の楼門で、建造は古文書より天明7年(1787)であります。昭和44年(1969)に茅葺から銅板葺に葺替えた入母屋造、屋根の前後中央部に軒唐破風を付けています。軸部は切石に丸柱を立て貫と台輪を廻し、下層中央間は唐破風(火打)型虹梁、中備は蓑束、蛇腹支輪と彫刻板支輪の二手先の持ち送りは特異であります。
 上層は三手先の斗組を中央部は二列並べ、本蟇股、彫刻板支輪で二軒繁垂木です。木鼻は獅子、隅木上に蜃、唐破風棟木受部に歯をむき出した獅子面(力神)の彫刻が見られまして、木鼻と軒支輪は極彩色されています。石段の上に建ち全体が均整のとれた美しい門です。下層天井には狩野探雲筆の龍の絵が
2枚あり、平成6年(1994)に再彩色されていまして、急な階段を上層に上ると釈迦三尊像が安置されています。平成6・7年(1994・5)に仁王尊像、釈迦三尊像、風神雷神像を保存修理し、平成13年(2001)に完成した釈迦堂に移設保存されているとの事です。
 群馬県指定重要文化財       昭和60年5月7日(町)令和5年9月8日(県)
 
      仁王門正面の両側には、風神雷神の像が祀られています。(写真左・右)
       
 仁王門を過ぎて、更に勾配のある石段を登ります。正面には観音堂が見え、寺院字体鬱蒼とした森に囲まれている中、一際立派なご神木が左手に聳え立っています。(写真左・右)
               樹齢700年・樹高38m程で、「観音杉」と呼ばれているようです。
             市指定天然記念物           昭和55年9月   
        
                    観音堂
 本堂となる観音堂は、方形造の瓦型銅板屋根の正面に軒唐破風の向拝が付き、平面は、五間堂が間口5間奥行4間の室内と3間1間の吹放しの拝所となり、その外に四方縁を廻らし、大提灯が掛った1間の向拝が付く形式となっているといいます。建造は古文書より天明7年(1787)であり、内部は須弥壇に宮殿を置きその前は一室となり、脇・後陣は現在回廊になっています。向拝柱は地紋彫を施し、虹梁上に二頭の虎と林和靖の浮彫り彫刻、柱・水引虹梁・海老虹梁に龍二匹の丸彫り彫刻が巻付き、左右の虎と龍は互いに睨み合っているとの事。手挟は雉と栢、雲の籠彫で、拝所部の天井には龍・迦陵頻伽の三枚の天井絵があり、記録では絵師名と思われる墨書が残っているとあるが、現在のものは後補のものであるといいます。欄間には虎渓三笑、馬師皇(古文書に記録あり)、琴高の厚肉透かし彫、流水に花の厚板彫が嵌め込まれています。
 昭和35年(1960)草葺き屋根を銅板葺きに改修し、平成8年(1996)瓦型銅板葺き屋根に再改修していて、平成9年(1997)には欄間絵図の復元彩色を行っています。
 群馬県指定重要文化財       昭和60年5月7日(町)令和5年9月8日(県)
        
               観音堂の右側に建つ
六角二重塔
 六角二重塔は、下層部は六面に向けて、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人界の六地蔵尊(青銅製)を棚の上に安置し、芯を軸に回転します。左に三回廻してお参りすることでより良い世界に生まれ変わる御利益があると言われ、別名「開運六角地蔵尊」とも呼ばれていまして、上層部には大日如来が祀られています。柱は円柱で礎盤の上にあり、下層部は二軒扇垂木、彩色軒支輪、出組、獅子の木鼻である。上層部は二軒扇垂木、彩色軒支輪、三手先、獅子の木鼻で、一段目の軒板支輪には十二支の彫刻が見えます。柱間は格子戸と火灯窓、六面に擬宝珠高欄の縁が廻り、屋根には相輪が付いています。「県文化財台帳」によれば、相輪の心柱の墨書に「干時文化一四歳(1817)丁丑六月吉辰」、地蔵尊像には宝永5年(1708)、正徳2年(1712)、正徳5年(1715)と記載されていますが、六角二重塔の建造は古文書より天明7年(1787)とし、仏像は移設、心柱の墨書は修繕による後補のものと推察するそうです。

 群馬県指定重要文化財       昭和48年12月24日 
     
           観音堂南側から石段を80数段登ると  観音堂の正面南側に社務所があり、 
             飯綱大権現が鎮座しています。   並びに
龍王弁財天があります。
        
 県立文書館に保存されている古文書「建立書水澤寺」には、観音堂、地蔵堂、仁王門等の構造規模・彫刻・地形・屋根・備品・石垣等の金額と施主名が詳細にまとめられ、惣金額1607両2朱、銭20貫400文とあり、末尾に「天明七丁未年八月水澤寺貫隆」と記されている。また、宝暦5年(1755)から天明7年(1787)の整備を記した書状もあり、これらの古文書から一連の諸建物が完成し整ったのが天明7年(1787)であり、3棟の建造年代とする。
 観音堂は彫刻に中国故事等を多用し装飾性豊かで豪華な社殿であり、六角二重塔は輪蔵的で珍しい貴重なものであり、仁王門は彫刻と彩色を施した華麗な門である。江戸後期の建物が
3棟まとまり現存することは県内でも貴重な遺構であるといえる。


参考資料「群馬県近世寺社総合調査報告書-歴史的建造物を中心に-寺院編」
    「日本歴史地名大系」「渋川市HP」「渋川市観光協会HP」
    「ウィキペディア(Wikipedia)」等

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