千塚神社
・所在地 埼玉県幸手市千塚1359
・ご祭神 経津主命 武甕槌命
・社 格 旧千塚村鎮守 旧村社
・例祭等 歳旦祭 例祭(夏祭り)7月15日に近い日曜日
幸手市千塚(ちづか)地域は、中川右岸の沖積平地に位置し、同川の自然堤防とその後背低湿地から形成されている。地図を確認すると、埼玉県道152号加須幸手線と同県道加須幸手線バイパスの中間辺りを「北側用水路」が当地域の南北を分断するように東西方向へ流れている。地域内は主に水田などの農地となっているが、東部や南部に纏まった住宅地も見られる。
千塚地域のやや北側中央部で、「北側用水路」の南側に千塚神社は鎮座している。
千塚神社正面
『日本歴史地名大系』 「千塚(ちづか)村」の解説
円藤内(えんどううち)村の西、島川右岸の沖積地に位置する。同川の自然堤防とその後背低湿地からなる。西は八甫村(現鷲宮町)、北は島川を挟んで狐塚村(現栗橋町)。葛飾郡幸手領に属した(風土記稿)。村内中央にある宝性院(ほうしよういん)池は宝永元年(一七〇四)の洪水で権現堂堤が破壊され生じたという(郡村誌)。田園簿では田三二一石余・畑三三五石余、ほかに野銭永一四四文があり、幕府領。元禄八年(一六九五)武蔵国幕府領総検地の一環として検地が実施された(「風土記稿」など)。
入り口付近に設置されている社の案内板(写真左)と
当地で長く受け継がれているささら獅子舞の案内板(同右)
社殿の手前に聳え立つご神木の如きイチョウの大木
このイチョウの大木の手前には奉納された燈篭が四基並んで置かれている。
境内の様子
参拝日時が10月初旬で、偶々氏子の方々も稲の収穫時期直後という慌ただしさから、清掃・手入れ時期前であったので、雑草等が生い茂っていたのであろうと推測している。できれば次回には、手入れの行き届いた参道や境内を見ながら気持ちよく参拝したいものだ。
拝 殿
『新編武藏風土記稿 千塚村』
香取社 村の鎭守なり、寶性院、眞乘院の両寺にて預れり、 〇稻荷社 寶性院持 〇淺間社 真乗院持 〇八幡社 泉藏院持 〇天神社 法藏院持
寶性院 新義眞言宗東大輪村密藏寺末、高雲山と號す、本尊正觀音、開山順宗寬永十二年八月晦日寂す、
眞乘院 同宗、國府間村正福寺の末、無量山と號せり、開山秀雅貞享年中化す、本尊阿彌陀、
千塚神社 住所 幸手市千塚一三五九
『神社明細帳』によると、当社は元々香取神社・鹿島神社合殿と称していましたが、大正三年(一九一四)一月十七日に八幡神社・浅間神社・天神社を合祀して千塚神社に改称したとあります。
江戸時代の千塚は上耕地と下耕地に分かれていましたが、当社は村の鎮守として、両耕地から信仰されてきました。
祭神は経津主命・武甕槌命であり、安政五年(一八五八)に再建された二間社流造りの本殿には香取大明神像と鹿島大明神像が納められています。
祭事は歳旦(元日)祭と、ささら夏祭りが行われます。ささら夏祭りで奉納される獅子舞は市指定無形民俗文化財となっています。
案内板より引用
社殿手前で参道左手にある手水舎 社殿の左側に並んで祀られている石祠群
真ん中は「鹿嶋大明神」、他は「稲荷宮」・
「稲荷大明神」と刻印
本 殿
千塚ささら獅子舞
所在 幸手市千塚(千塚神社) 指定 昭和五十八年三月二十四日
千塚ささら獅子舞は、この千塚神社を主な舞台として行なわれる伝統行事です。毎年七月十五日(現在は七月十五日に近い日曜日)に舞が奉納され、天下泰平、五穀豊穣、悪疫退散などを祈願します。
獅子舞の由来について定かな記録はありませんが、道具を収めておくハサンバコという箱の側面には「寛永八年(一六三一)五月吉日」の銘が記されており、これが千塚ささら獅子舞の起源を示す唯一の手掛かりとなっています。
祭礼では、まず千塚神社で神主が祝詞を奏上し、雄獅子・雌獅子・中獅子の三頭が舞いを奉納します。その後、地区内を 回り、ムラ境で「辻」を舞い、外からの邪気を祓います。戦前までは祭礼に3日間を費やし、舞の曲も現在より多かったようです。オダイジンといわれる家ではその家だけの特定の曲を舞うこともありました。
戦時中に祭礼は休止されましたが、戦後に復興し、昭和五十一年(一九七六) には千塚ささら獅子舞保存会が発足され、 地域の方の手によって今日まで大切に受け継がれてきました。
案内板より引用
社殿からの一風景
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「ウィキペディア(Wikipedia)」
「境内案内板」等
