大谷桑名野神社
・ご祭神 倉稲魂命
・社 格 旧村社(*大里郡神社誌)
・例 祭 不明
大谷桑名野神社は深谷市大谷地区に鎮座している。埼玉県道75号熊谷児玉線を旧児玉町方向に進み、深谷市立藤沢小学校を過ぎた最初のY字路を左折し、道なりに約3㎞進むと、道路沿い右側に大谷桑名野神社が鎮座する場所に到着する。社殿の奥には十分な駐車スペースが確保された空間もあり、そこに車を停めて参拝を行う。
道路沿いに鎮座している大谷桑名野神社
神明造りの鳥居 鳥居の右手には「改名改築合祀記念碑」
改名改築合祀記念碑
碑誌
大字大谷ニ桑名神社ト桑野神社ト称スル二社座セルヲ昭和二十四年四月十五日合社シテ桑名野神社ト改名シ奉リ境内社トシテ天手長男神社琴平神社八坂神社大國主神社嚴嶋神社淺間神社地神社七社ヲ奉斎ス尚本殿拜殿上屋神樂殿水舎等改築及社號標ヲ建設シ奉崇拝ノ記念トナス
昭和二十七年十二月
記念碑文から引用
鳥居を過ぎると右手にある神楽殿
拝 殿
『新編武蔵風土記稿』によると、「大谷村は藤田郷萱苅荘榛里と云い、上下大谷村は元富村と一村なりしが、いつの頃か分村すと云、正保のものには一村にて、元禄の改には三村を出したれば、此間に分れしなるべし」と記載がある。
遡って太田道灌書状に「文明十二年(1480)正月四日上杉定正・大谷寄陣、同十三日沓懸相進(岡部町)、景春飯塚陣(大谷村の南。花園町)」と見えているが、その後天正七年(1579)白石村上田文書には「半沢郡大屋村」と見え、「大谷(文明12年)」⇒「大屋(天正7年)」⇒「大谷(江戸時代)」との地名の変化が見える。但し元々「大谷」と「大屋」は同意語でもあり、基本的な意味は変わらない言語でもある為、天正7年以前での「大谷・大屋」は地名が統一する以前の混在時期であった可能性もある。
現在大谷桑名野神社という名称ではあるが、『新編武蔵風土記稿』では「桑名明神社」であり、上・下大谷村鎮守、村持ちとなっていて、上下大谷村にそれぞれ1社ずつ同名の社が鎮座していた。
社殿奥、右側に聳え立つご神木
社殿左側には末社の鳥居があり、その先には多くの石祠等が祀られている。
左側から冨士浅間神社、天手長男神社、琴平大神社、詳細不明、社日神、不明、大黒天、詳細不明、辨才天、不明、大日神。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「大里郡神社誌」「境内記念碑」等