古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

下手子林豊武神社


       
             
・所在地 埼玉県羽生市下手子林959
             ・ご祭神 伊弉諾尊伊弉冉命天照大神国常立尊等二十三神
             ・社 格 旧村社
             ・例祭等 秋祭り(獅子舞) 914
 羽生市下手子林地域は、市内の南東部に位置し、羽生市下手子林を一級河川の起点とし、中川と午の堀川の間を東西に直線的に流れている「手子堀川」が北側境となっていて、地域一帯加須低地の沖積平野に位置し、流域の周囲は水田などの農地や集落などが主である。
 因みに「
下手子林」と書いて「しもこてばやし」と読む。なかなか特徴のある地域名だ。 
 東武伊勢崎線南羽生駅の東側にある「羽生手子林郵便局」を東行し、北西から南東方向に通じる埼玉県道129号加須羽生線が交わる信号を直進したすぐ先に「手子林公民館」があり、その北側向かいに下手子林豊武神社は鎮座している。
       
                 下手子林豊武神社正面
『日本歴史地名大系』 「下手子林村」の解説
 上手子林村の東に続く。古くは同村と一村であったと考えられる。田園簿によると幕府領、田高一千五二石余・畑高七三七石余、ほかに野銭として鐚一九貫文があった。元禄郷帳では高二千一四三石余、幕府領と旗本六家の相給(国立史料館本元禄郷帳)。一部と考えられるが延享四年(一七四七)下総佐倉藩領となり(「佐倉藩領郷村高帳」紀氏雑録)、宝暦一三年(一七六三)上知(「堀田氏領知調帳」紀氏雑録続集)。
        
     鳥居を過ぎたすぐ右手に祀られている庚申塔や毘田羅(金毘羅か)大権現、
                 一番右側は二十三夜塔。
             その手前には稲荷大明神と若宮八幡宮の小さな石祠が祀られている。
        
                    拝 殿
 豊武神社  羽生市下手子林九五九(下手子林字合羽)
 当社は下手子林地区の高台、観音山に鎮座する。観音山には古くから馬の信仰を受ける観音堂があり、明治四三年の大水の時には銘々、馬を引いて、この高台に避難したという。
 当社は下手子林・上手子林・神戸(ごうど)・町屋の四地区内に祀られていた二三社の神社を、政府の神社合祀政策により手子林村大字下手子林字合羽(かっぱ)九五九番地の地へことごとく移転合祀して創建され、社号を豊武神社とした。社名は日本国の世界に飛躍する事を祈り、併せて当地の隆昌を念じて付けられたといい、移転合祀地は観音堂境内の一部と個人持ち地所の買収によって整備された。合祀は明治四四年三月二日から始められ、合祀の終了した大正二年四月一五日には盛大な遷座祭が斎行された。
 このように当時の村指導者によって一方的に合祀された各社は、その後しばらくして旧氏子が盗むようにして神像等を旧社地に持ち帰ったといわれ、再び神社を建立奉斎することが相次ぎ、大正十年ころまでには半数以上が旧社地に戻っている。なお、合祀されたままになっている神社は、経費負担の問題から旧社地に戻せなかったという。
 以上のような過程は、合祀が各社を護持してきた氏子の信仰を全く考慮せずに行われたことを如 実に示す一例といえよう。
                                 「埼玉県の神社」より引用
 
     拝殿に掲げてある扁額           社殿右側奥に聳え立つご神木
        
   境内に設置されている「指定文化財 獅子舞」の案内板と「豊武神社改築記念碑」
 指定文化財 獅子舞(下手子林地区)
(無形民俗文化財 羽生市指定第7号 平成891日追加)
 王獅子、中獅子、角獅子の3頭で構成されます。他に霧島眞陰流と称する棒術があります。81718日から101415日へ、さらに91415日となり現在の914日へと変遷されています。
 獅子舞は笹良新田の人たちが、棒術は竹田の集落の人たちが役割分担して行っています。以前は八人師と称する家が宿を務めていましたが、現在では両集落で世話役を隔年交代で務めています。
 観音堂の前の橋では「橋掛かり」を舞い、豊武神社と観音堂では「平庭」を奉納します。他の演目には「華」「辻」「鐘巻」「武運伝」「綱掛かり」「弓掛かり」などがあります。
「埼玉の神社」によりますと、昔若者の娯楽として獅子舞が良いということになり、笹良新田の八軒の者が稲子より習いうけたのが始まりといわれています。棒術は発戸から伝わったといわれています。
  平成14320
日  羽生市教育委員会
                豊武神社改築記念碑(裏面)
                  平成元年十月吉日
               当社豊武神社は祭神(二十三神)
         伊弉諾尊伊弉冉命天照大神国常立尊大己貴命大日孁貴命
         建御名方命宇迦御魂命火雷神少彦名命興田別命市杵島姫
         命〇依賣命菊理媛命軻遇突智命宗部御子命熊野史須美命
         速玉男命大山祇命岐神八衛比古命八衢比賣命菅原道長公
                            (古文書写)
         右記手子林地区内各社を氏子一同協議の上一社に移転合          

         祀し社号改稱の儀明治四十三年十月四日出願 明治四十
       四年三月二日指名地等第七三五五号の六を以て埼玉県知事島田
                  剛太郎より許可 社号を御神徳に因み豊武神社と改稱す
         大正八年九月神饌幣帛指定社に昇格せらる  先人氏子の
         皆さまの崇敬の念厚く地域の守護神として護持維承され
         て参りましたが 昭和五十九年十二月二日不慮の火災に
                   より全焼しました
          この度氏子一同の総意と多額の寄付金のご協力を得て
                        ここに改築整備が成ったのであります
                         よって工事の概要を記し記念とする
              「指定文化財 獅子舞」の案内板と「
豊武神社改築記念碑」より引用
        
               境内西側に隣接している観音堂
 
 観音堂正面には「伊勢太々御神楽」(写真左)、「獅子舞保存会」関連の奉納額等(同右)が掲げてある。観音堂は古くから「下手子林の観音様」と呼ばれ、下手子林の守護神として、厚く信仰されている。
 社の秋祭りは、観音堂の10月15日の祭りに合わせて10月14日・15日に定められていたが、農作業の機械化に伴う収穫の早期化により、現在は9月14日に変更している。祭り当日には、神職と住職が祭典・法要をそれぞれ行い、境内では獅子舞が奉納されるという。


参考資料「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「ウィキペディア(Wikipedia)」
    「境内案内板・記念碑文」等
        

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