古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

北荻島天神社


        
              
・所在地 埼玉県羽生市北荻島119
              
・ご祭神 菅原道真公(推定)
              
・社 格 旧荻島村鎮守
              
・例祭等 春祭り 415日 秋祭り 1025
 北荻島(きたおぎしま)地域は羽生市東部に位置し、西で大沼、南で中手子林、北で喜右エ門新田、東で加須市戸川各地域に接している。埼玉県道84号羽生栗橋線が縦断し、東北自動車道との交点に「羽生インターチェンジ」が設置されている。
 県道84号線の「羽生インター入口」交差点から250m程西行し、丁字路を左折すると右手に「北荻分館」があり、その南側隣に北荻島天神社が鎮座している。
        
                  北荻島天神社正面
『日本歴史地名大系』 「荻島村」の解説
中手子林(なかてこばやし)村の北にあり、西より北方は喜右衛門(きうえもん)新田村。北側を安藤堀が流れ、西から南に天神堀がめぐっており、一体が島のようで荻などが茂る地であったため村名が生じたという。承応三年(一六五四)幕府領代官の検地があり(風土記稿)、元禄郷帳では高二八四石余、甲斐甲府藩領(国立史料館本元禄郷帳)。一部と考えられるが延享四年(一七四七)下総佐倉藩領となり(「佐倉藩領郷村高帳」紀氏雑録)、宝暦一三年(一七六三)上知(「堀田氏領知調帳」紀氏雑録続集)。同じく明和七年(一七七〇)と推定されるが川越藩領となり、文政四年(一八二一)上知(松平藩日記)。

 地域名の由来として、「安藤堀と天神堀に挟まれた島状の土地に荻が生い茂っていたことから」できた名称であるとの説があり、『新編武蔵風土記稿 荻島村』にも以下のように載せている。
「當村は北の方安藤堀にそひ、南より西に廻りて天神堀に邊して島の如く、且荻など生ひしげりし所なれば、村名となせしと云、」
        
                   境内の様子
   境内は思った以上に広く、また綺麗に整備されていて、手入れも行き届いている。
        
                    拝 殿
 天神社  羽生市北荻島一一九(北荻島字茨島)
 当社は安藤堀・天神堀・境堀により区画される三角形の島のような土地の中央に鎮座する。古くは安藤堀と天神堀の接する地点にある天神塚上に鎮座し、この天神塚を要に扇形の地形をなすことから荻島(扇島)と呼ぶという。
 創建は天慶の乱に平将門を平定した藤原秀郷が、その功により、武蔵・下野二国の押領使となり、現社地に天慶三年役所を置き、守護神として当社を天神塚に祀ったのが始まりという。
天神塚からの移転は口碑によると元禄期といわれている。現在の本殿は大正一〇年一〇月の再建である。
 内陣には、一五センチメートルの天神座像を祀るが、本殿前に同型の古い像があり、これを模したと思われることから旧神体はこの古木像であろう。
 覆屋には、本殿に向かって右に八坂神社があり、二〇センチメートルの古い木像がある。左には稲荷神社があり、二二センチメートルの女神像を安置する。
 なお、拝殿内にある素焼きの狛犬(高さ三一センチメートル、奥行一九・五センチメートル、幅三九センチメートル)は珍しいものである。
 境内末社に仙元神社・多賀神社がある。

                                  「埼玉の神社」より引用
 
  社殿に通じる石段の右側には石祠が2基あり、    社殿左側奥に祀られている仙元神社
一番左側は多賀神社の石祠が待つあっれている。
        
                社殿から見た境内の様子



参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「Wikipedia」
  
  

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