沖野増殿神社
・所在地 群馬県太田市沖野町475-1
・ご祭神 (主)大穴牟遅命
(配)新田義重・宇迦之魂命・菅原道真・誉田別命
大日霊命・大物主命
・社 格 旧村社
・例祭等 秋季祭 10月29日
反町館跡(反町薬師堂)沿いに南北に縦断する群馬県道332号桐生新田木崎線を1㎞程南下した丁字路を左折、その後周囲を田園に囲まれた静かな道を東行し、利根川水系の石田川支流である高寺川に架かる「八重橋」の手前の十字路を右折する。進行方向右手には綺麗に整備されている「沖野公園」が河川に沿って南北に広がり、更に進むと公園に隣接するように沖野増殿神社が見えてくる。ありがたいことに、社の正面入り口付近には数台分駐車できる専用スペースも完備されている。
田園に囲まれた静かな沖野公園(写真左・右)
因みにこの沖野公園には、コンビネーション遊具等の遊具のほか、健康遊具などもあり、広い芝生広場、丸太で作られた休憩場なども設置されている。また、ゲートボール場やサッカーコート、バスケットポストなど充実した施設もあり、何より明るく開放的な雰囲気が大変良い。
沖野増殿神社正面
『日本歴史地名大系』 「沖野村」の解説
太田市沖野地域は、大間々扇状地扇端の沖積地に位置している。北は別所、東は由良、南は西野谷(にしのや)町、西北は小金井(こがねい)各地域(現新田郡新田町)と接していて、地域の中央は「田島堀」が南北に流れている。
応永一一年(一四〇四)四月七日の新田庄内惣領知行分注文写(正木文書)にみえる「奥村由良郷内」は当地に比定され、同一五年九月一五日の由良郷奥村地検目録(同文書)によれば御料所分として、田数七町九反半(うち不作一町六反)・畠数八町三反半(うち不作九反)、年貢三〇貫三四三文で在家一〇宇があり、「四郎二郎かき内」などとみえ、ほかに佃五反(年貢一貫五〇〇文)。
拝 殿
創建や由緒等は案内版もなくインターネット等を調べても全く不明。
但し、現在は冠稲荷神社の兼務社であり、そちらのHPを見ると、
10月29日に「秋季祭典」なる祭事が行われいる。
本 殿
本殿の奥に祀られている末社石祠(写真左・右) 詳細は不明。
「〇殿」という地名は、埼玉県に比較的多く点在する難解地名の一つである。熊谷市江南地方には「通殿」・「重殿」という地名があり、「通殿」は、ズードンと呼び慣らわせられ、「重殿」はジュードンといわれている。『熊谷Web博物館』では、この二つの地域名に関して、以下の解説を紹介している。
「通殿」・「重殿」
書き表わされる文字により発音が異りますが、「通殿」と「重殿」は同様の意味を持つと考えられています。「通殿」は、塩地区の東端に当り、小江川、板井と境を接する場所で、県道熊谷・小川線が和田川を越える付近です。地形的にみると、ここは三方から流水の集中する場所です。北、西では、板井の耕地を通り抜けて来た和田川が、西・南から塩・小江川の丘陵より染み出る小川が流れ、雨水の一時に集中することもあるようです。川辺には、夜泣の激しい赤子を直す「夜泣地蔵」が建っています。「重殿」は須賀広にあり、大沼より下る用水と和田川の合流する付近に当っています。近くに「重殿」の名を持つ「重殿稲荷社」が重殿沼に面して祀られています。重殿地名の場所じたいは、江戸時代の代官田村氏の陣屋跡とされています。また、現在の小字地名に残っていない、いわば失われた地名の中に「通殿」があります。江戸時代の樋春(旧樋ノロ村)にあったことが町史調査による古文書調査から判っています。塩と須賀広に樋春を加え、旧江南町内に三ケ所の 「ズードン」地名があったことになります。
「通殿」、「重殿」は、地名辞典などによると水に関係した地名として説明されています。県内にもズードン地名が多くあり、ほとんどが江南地区のような場所を呼んでいます。表記される文字では、「通殿」・「重殿」の他に、上殿・尉殿・十殿・浄土野・頭殿と多く、これは地名の起源が古いことから様々の当て字が用られることになったと思われます。神名や信仰の正体もまちまちであることが多いようですが、古代に渡来した信仰に基づくと考えられ、溝や川、淵に関連した神やその居場所をよんだようです。
他の有力な説には「錠殿(鍵殿)」があります。これは奈良、平安時代に置かれた国府、郡郷の蔵を開閉する封印と鍵(印鎗:いんやく)の重要性から、印と鍵を神に祀ったのだろうといいます。河川、水路に面した場所に蔵を置くことは当時より一般的なことであり、岡部町で発掘された古代榛沢郡の正倉と推定される中宿遺跡の倉庫群の例があります。旧江南町の属していた男衾郡の蔵が周辺にあったとも考えられるかもしれません。蔵は収穫物、特に穀物を収蔵した蔵であり、穀物の神である稲荷神が結びつくことは容易なようです。新たな調査毎に、おぼろげに地名の由来が見えてきました。
社殿からの鳥居方向を撮影
今回紹介する「沖野増殿神社」に関していうと、この「増殿」は決して地域名ではなく、社の名称である。ただ、この地域周辺の地形を俯瞰するに、水上山系を源流とする利根川が、勾配の少ない沖積平野部で肥沃の大地を形成しながら、幾多の利根川支流の河川と合流する地域でもあり、一方赤城山南方の大間々扇状地扇端部にあり、扇状地特有の湧水が出現している地域でもある。
参考資料「日本歴史地名大系」「熊谷Web博物館」「冠稲荷神社HP」等
