上野東山神社
・所在地 埼玉県入間郡越生町上野1048
・ご祭神 建御名方大神 八坂刀賣命
・社 格 旧上野村産土神・旧村社
・例祭等 祈願祭 元旦 春季例祭 2月 防祭 7月
秋季例大祭 11月22・23日
地図 https://www.google.com/maps/@35.953128,139.3027573,17z?hl=ja&entry=ttu
JR八高線越生駅西口から埼玉県道30号飯能寄居線に合流する「越生駅」交差点を右折し、県道を毛呂山町方向に南下する。1.4㎞程先にある「上野」交差点を越えた丁字路を右折し、200m程進み、右手に小さなストアがある次の路地をまた右折すると、進行方向右側に上野東山神社やその境内が見えてくる。
社に隣接している「上野一区公会堂」には駐車スペース入口に進入禁止用のロープが張られているので、社の境内に沿った道を回り込むようにして、正面鳥居周辺にある適度な空間に停車させてから参拝を開始した。
上野東山神社正面一の鳥居
上野東山神社の創建時期は不明ながら、後村上天皇の代、正平5年(1350)の創建とも伝えられ、江戸期には福寿山多門寺の境内鎮守・諏訪社として祀られていたという。
『新編武蔵風土記稿 多門寺』
慶安二年毘沙門天堂領五石の御朱印を賜ふ、是も法恩寺の末なり、福壽山瀧房と號す、開山の僧は詳ならざれど、寺の草創は寛元四年のころなりと云傳ふ、其後應仁二年僧空傳と云者住職す、是を中興の開山と稱す、本尊彌陀を安置す、
毘沙門堂 毘沙門は立像にて長三尺、又別に一軀を安ず、秘して人の拜することを許さず、
藥師堂 明和年中平山村より引移せしと云、
諏訪社 天滿宮・熊野・金毘羅・辨天の四座を配祀す、
その後明治45年多門寺境内から現在の地に移築修営遷座した。西方に「西山」と称する山地があり、これに対して神域一帯の丘陵を東山と称したことから、東山神社と号したという。現在は、上野一区の総鎮守となっている。
二の鳥居、社殿方向から撮影。
二の鳥居から石段を登ると社殿に達する。
一の鳥居から真っ直ぐの参道を進む中、僅かであるが、上り傾斜面であることが分かる。越辺川支流・柳田川右岸に位置しながら、境内一帯丘陵地面に属し、高台を連想させる「東山」と称したのも、この社を参拝してみるとしみじみと実感できる。
石段の右側に設置されている案内板
越生秋の七草めぐり ナデシコ
上野東山神社の由来
当地は秩父山地東麓の越辺川右岸、支流柳田川流域に位置する。
当神社創立年代は不詳であるが、人皇九十七代後村上天皇の御宇正平五庚寅年七月二七日信濃国諏訪郡中州神宮寺鎮座諏訪神社に座す建御名方大神・八坂刀賣命の御神霊を奉斎した由、口碑に伝へられている。
上野村小字諏訪の地(現越生町上野一区福寿山多門寺境内)に産土神として鎮座す。
後東山天皇の御宇貞享五戊辰年七月社殿を再修し、西方に西山と称する山地があり、これに対して神域一帯の丘陵を東山と称したことにより、神社名の起こりとされ、明治四五年(一九一二)三月東山神社と改めて多門寺境内より移築修営遷座せり。
近郷の信仰いよいよ厚くなり氏子の敬神により神域は整備された。
境内社は、天満宮・熊野社・稲荷社・東山甲子大黒天の四社である。(以下略)
案内板より引用
拝殿の手前左側に祀られている境内社・東山甲子大黒天
拝 殿
越生町指定文化財(民俗文化財・無形) 東山神社の獅子舞
東山神社は、多門寺の寺鎮守として祀られていた諏訪神社が明治四十五年(一九一二)に当地に遷って改称した神社である。獅子舞は、室町時代のころ、多門寺第三世教伝が秩父地方から伝えたのが起源とされている。
笛の音と簓の調子に合わせて、大獅子と中獅子の雄獅子二頭が雌獅子を奪い合うという筋立で、「宮参り」「すっこみ」「花掛り」「竿掛り」の四庭(幕)が演じられる。ほかに「願獅子」が奉納される。谷間に見立てた竹竿を挟んで獅子が舞う「竿掛り」は、越生の獅子舞では唯一行われる庭(幕)である。また、獅子舞の通称ともなっている竹の簓を掻き鳴らす四人の「さっさらっこ」(「ちゃっちゃこ」とも呼ぶ)を、町内のほかの三ヶ所とは異なり、男子が務めるのも特徴である。
開催期日「勤労感謝の日」に近い土曜日・日曜日。
案内板より引用
本 殿 本殿内部
本殿奥に注連縄で祀られている巨石 巨石の右並びに祀られている境内社二社
天満宮と八坂社
東山甲子大黒天の右隣に聳え立つご神木(写真左・右)
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「越生町HP」「境内案内板」等