古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

堤崎愛宕神社


        
               
・所在地 埼玉県上尾市堤崎329
               
・ご祭神 軻遇突知命 倉稲魂命
               
・社 格 旧村社
               
・例祭等 八雲神社例祭(祇園祭)714日 例大祭 724日 他
 上尾市・堤崎地域は上尾市南部の大宮台地指扇支台上に位置し、地域の南端を鴨川の支流の浅間川が東に流れ、さいたま市西区との境界となっていて、西側から北側にかけて地頭方地域と隣接している。
 国道17号バイパス上尾道路が地域中央を南北に走っているのだが、国道を挟んで地域北部・東部の市街化区域にはUDトラックスやその関連工場があり、区域内の都市化がはかられるのに対して、国道西側は全体的に田畑が多く、住宅はまばらのようだ。
        
                  
堤崎愛宕神社正面
 上尾市地頭方地域の東側に走っている国道17号バイパス上尾道路を南下し、「堤崎」交差点を右折、すぐ右側に堤崎自治会館があり、その隣に堤崎愛宕神社が見えてくる。
 堤崎地域西部から南部にかけては田畑が多く、また南部には
浅間川が東西に流れていて地域境を形成しているので、道路も微妙に入り組んでいている。
 正直いうと、地頭方氷川神社から当社まで直線距離で500m程しか離れていないのだが、入り組んだ道ゆえにかなり細かく説明する必要があるため、分かりやすい国道17号線ルート説明に代えた次第だ。
        
               鳥居の左手にある庚申塔等
   左側の祠には庚申塔と青面金剛像、右隣の祠には不動明王座像が納められていた。
        
             国道が近くにあるのも関わらず静かな境内
『新編武蔵風土記稿 堤崎村』
 神社 稻荷社三宇 共に村民の持、 熊野社 持同じ、社は破壊して未だ再建せず、
 寺院 
 地藏院 
 禅宗曹洞派、中釘村永昌寺末、寶珠山と號す、開山を一線斎と云、明暦三年四月朔日示寂す、本尊は地蔵の坐像を安置せり、
 十王堂
 愛宕社 勝軍地蔵を安ず、是は加州大聖寺の禅苗和尚と云が刻める所なり、此僧は近来の人なればことに彫刻にたくみなりといへり、

        
                     拝 殿
        
              拝殿手前に設置されている案内板
 愛宕神社  上尾市堤崎三二九
 祭神…軻遇突知命 倉稲魂命
 堤崎村は天正の末徳川氏の有となり、代官が所轄した。寛永二年(1625)安部備中守の領地となっている。
 当社は、社伝によると、元禄十年(1697)のころ、村内に悪病が流行した折、これを鎮めるために創祀したものであるという。また、「風土記稿」堤崎村の項には、当社は地蔵院の境内社として載り、「愛宕社 勝軍地蔵を安ず、是は加州大聖寺の禅苗和尚と云が刻める所なり、此僧は近来の人なればことに彫刻にたくみなりといへり」とある。
 地蔵院は、宝珠山と号した曹洞宗の寺院で、開山と伝わる一線斎は明暦三年(1657)四月に示寂している。神仏分離に伴い、明治五年(1872)に廃寺となり、現在、堤崎自治会館前に建つ地蔵堂(「本尊様」と呼ぶ)の中に、地蔵尊座像が、閻魔大王・大日如来像と共に納められている。
 また、当社の神楽殿に掛かる消防の半鐘として使用されている鐘には「武州足立郡堤崎村 本山永昌現住百川朝叟代 宝珠山地蔵院什物 世話人安藤善右衛門 天保十二辛丑年(1841)十一月吉祥日」と刻まれており、往時を偲ばせる。
 当社は、明治初年に稲荷社三社、熊野社を合祀し、同六年四月に村社となった。昭和三十六年(1961)、旧来の社殿の傷みが著しかったため、氏子全員の協力により本殿・拝殿を新築した。
 祭礼は一月の歳旦祭、三月の初午祭、七月の八雲神社例祭(祇園祭)、同二十四日の例大祭、十月のお日待ちの年五回である。
 境内社として「疱瘡社」「八雲社」を祀っている。(以下略)
                                      案内板より引用

 
   拝殿に対して左側に設置されている       「堤崎の祭りばやし」案内板
  「堤崎の祭りばやし」の案内板と標柱       上尾市指定無形民俗文化財に指定

 上尾市指定無形民俗文化財  堤崎の祭りばやし
 (保持団体) 堤崎はやし連

 上尾市やその周辺地域には、江戸の神田ばやし系統の祭りばやしが伝承されており、いずれも大太鼓1人、小太鼓2人、すり鉦1人、笛1人の51組で編成されている。
 堤崎の祭りばやしは、神田ばやしの系統の一つである木ノ下流祭りばやしをもとに、明治時代の初めに堤崎の吉沢菊次郎が手を加えて編み出したと伝えられている。独自の流派として形成された堤崎流のはやしは、市内西部や川越地方の祭りばやしの中心的存在の一つとして、市内では畔吉、中新井、平方新田などに伝授されている。演奏曲目には、屋台、鎌倉、四丁目、神田丸、昇殿、宮昇殿、岡崎、数え歌、子守唄があり、付属機能として、獅子やひょっとこなど、神楽の面芝居のような寸劇もある。
 現在、堤崎の祭りばやしは、七月一四日に近い日曜日に行われる堤崎の天王様などで上演されている。また、堤崎地区では山車を1基所有しており、この山車の上で演奏することも可能である。
                                      案内板より引用

       
                     本 殿
       
             本殿奥に聳え立つ巨木(写真左・右)。
 
      境内社  八雲社・疱瘡社           境内に奉納されている力石


参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」Wikipedia
    「境内案内板」等

拍手[0回]