小野袋八幡神社
俗に「災害地名(さいがいちめい)」とは、現地で起こった自然災害が由来とされる地名のことであるのだが、過去の災害の経験を後世に伝える史料のひとつとしてしばしば評価される。特に、古来の地名には、その土地の特徴や大災害の歴史が秘められていることが多いとの事だ。
但し、災害を思い起こさせる地名は、現代では良しとされないため、明るい意味の文字を用いた地名に変更されたケースも少なからず存在するし、また、物理的な実体を持つものではないゆえに、先人の経験を正確に伝えているとは言い難い場合があるため、その取扱には繊細な注意が必要であるとする意見も現実にはある。
日本は火山や地震等の自然災害の頻発国である。災害が起きてから自然と生活環境を考えるのではなく、日頃から自分の暮らす地域の地名、土地柄および過去の災害などに注意を払うことで、突発的な災害に対応するための策を講じるきっかけになると考えられる。
日頃の防災意識として、「土地の名前がもつ意味」を時には深く考えることも必要ではなかろうか。
・所在地 埼玉県加須市小野袋1653
・ご祭神 誉田別命
・社 格 不明
・例祭等 春祭り 3月24日 夏祭り 7月15日 十五夜祭り 旧9月15日
鎮座地である小野袋地域は、旧北川辺町の最北部で、嘗ての武蔵・下野国両国境沿いに位置する。栃木県道群馬県道埼玉県道茨城県道9号・佐野古河線沿いにある「道の駅かぞわたらせ」から北西方向で直線距離500m程の谷田川右岸に小野袋八幡神社は鎮座している。
小野袋八幡神社正面
入り口付近にある青面金剛像 朱色が基調な両部鳥居の二の鳥居
拝 殿
八幡神社 北川辺町小野袋一六五三(小野袋字八幡前)
鎮座地である小野袋は、下野・武蔵両国境沿いに位置する。
当社の創立は『明細帳』に「天正年間ノ創立ニシテ誉田別命ヲ祭ル寛永六年二至リ社殿ヲ再建ス村内上耕地ハ同社ヲシテ鎮守ト称ス」とある。また、口碑には「天正年間、豊後国の宇佐八幡から分霊を受けて、谷田川を隔て対岸の現在の板倉町大字峰に祀ったのが始まりであり、その後水害により当地に社殿が流れ着きこの地に祀るようになった」とあり、旧社地と思われる「宇佐下」の地名が今に残る。
社殿造営の変遷は『八幡宮改築記念碑』に「神社造営は名主小衛門の発心と戒含寺住職淳澄の指導に依り延宝五年九月奉造となる爾来三百年氏子を守護し、又氏子の奉仕管理に依り永続せるも木造建物の命数尽き大東亜戦終戦後の混乱に加えて経済的変化と思想の激動期を迎え再建も困難なりしが鎮守の荒廃も著しく有志相諮り氏子の協讃を得て昭和三十五年度より耕地収入の全部と個人の寄附に依り改築に努力せり。以来四年間氏子の崇高なる敬神と郷土関係者の協力に依り改築竣工す」とある。内陣には三九センチメートルの騎乗の八幡明神像を安置する。
神仏分離以前の別当は真言宗八幡山瑠璃光院戒含寺が務めたが、明治期に廃寺となっている。旧寺地は当社境内の南東の一角に当たり、境内には法印権大僧都淳澄の墓石が残る。
*平成の大合併の為、現在の住所は違うが、敢えて文面は変えずに記載している。
「埼玉の神社」を引用
社殿左側に祀られている境内社・浅間社 社殿右側奥に祀られている勝軍地蔵や石碑
この勝軍地蔵は昭和59年3月9日指定の加須市有形民俗文化財で、その右隣に並ぶ石碑は榛名神社・稲荷大明神。
境内に設置されている「八幡宮改築記念」
八幡宮改築記念
神社造営は名主小衛門の発心と戒含寺住職淳澄の指導に依り延宝五年(1677)九月奉造となる。
爾来三百年氏子を守護し又氏子の奉仕管理に依り永続せるも木造建物の命数尽き、大東亜戦終戦後の混乱に加えて経済的変化と思想の激動期を迎え再建も困難なりしが鎮守の荒廃も著しく、有志相諮り氏子の協讃を得て昭和三十五年(1960)度より耕地収入の全部と個人の寄附に依り改築に努力せり。以来四年間氏子の崇高なる敬神と郷土関係者の協力に依り改築竣工す。
記念碑文より引用
記念碑に載せられている「名主小衛門」は地元の旧家である田口家である。
この地域には、開発当時より今に至るまで代々居住している旧家がいて、それぞれ田口家・岡田家・飯島家といい、この旧家が中心として地域の行事等を仕切っていた。
「埼玉の神社」によると、当地の行事は、主に村の旧家の人たちによって行われる旧暦9月15日の「十五夜の祭り」は別名「本家祭り」ともいうが、その代表的な行事であるという。
この行事は、旧家である田口家三軒・岡田家・飯島家の当主五人だけが祭典に参加するのを習わしとしている。田口家三軒のうち二件はそれぞれの屋号を「本家」「オカシラ」と呼び、もう一軒は本家の位牌があることから本家から隠居をして分かれた家であると思われる。このうち本家の田口直哉家が、かつて名主を務めた家柄である。また、岡田家・飯島家も屋号を「本家」と呼び、それぞれ村の開発にかかわった家柄であると思われる。
小野袋八幡神社の並びに建つ「藤畑集会所」
本家祭りは共同体としての村社会を再確認する場であると共に、旧家である五人が氏神の祭祀権を有し、村の開発にかかわった先祖を偲び、共同体の目的を想起させる役割をも果たしている。このような行事は古い祭りの祖型を残すものとして貴重であり、これと似た性格の行事は近隣の「柳生地域」の本家祭りも同様な形態をしているので興味深い。
「藤畑集会所」の南側にある戒含寺 戒含寺の前に「木造阿弥陀如来坐像」の案内板
加須市指定有形文化財 木造阿弥陀如来坐像
昭和五三年三月 指定
寄木造り・彫眼・白毫肉髻共に木製嵌入・像高二四センチメートル
通肩の納衣を着け、上品下生印を結ぶ阿弥陀像である。頭部螺髪は彫出しであるが浅い。
面部は前後二枚矧合わせ、彫りは秀れている。体躯部は前後三枚の矧合わせで、手先・裾先は別に寄せている。体躯部に内刳は見られない。衣文部は全体的に彫りが甘いが秀れた面部などの彫りから推して江戸時代以前の作と考えられる。手首先、特に右手印相は後補のものと思われる。
平成二四年三月
案内板より引用
参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「Wikipedia」「境内記念碑文」等