北中曽根金山神社
・所在地 埼玉県久喜市北中曽根1325
・ご祭神 金山彦命
・社 格 旧北中曽根村裏組鎮守
・例祭等 春祭り 4月12日(近年では12日近くの日曜日)
秋祭り(お日待) 10月19日
久喜市旧菖蒲町にあるショッピングモールである「モラージュ菖蒲」北側に沿って通じる国道122号騎西勝負バイパスの「菖蒲北」交差点を左折し北行、埼玉県道12号川越栗橋線に合流し、備前堀川に架かる「笊田橋」を越えて右側にカーブし終えた先の路地を左折、そのまま道なりに進むと、北中曾根金山神社が見えてくる。
境内も含めて小さな社。道幅も狭く、隣接する「北耕地自治会集会所」にも駐車スペースはなく、路駐をしてから急ぎ参拝を行う。
北中曾根金山神社正面
社は規模こそ小さいものの、手入れも行き届いて、綺麗に纏まっている。
境内に建つ「神社移轉記念之碑」
神社移轉記念之碑
當金山神社ハ元南埼玉郡北中曽根村字戸崎現今ノ北埼玉郡
水深村大字割目字戸崎権現宮耕地ニ鎮座マシマセシガ明治
廿二年七月廿四日當地ニ移轉シタルモノナリ
〇神〇〇〇地タリシ戸崎耕地拾町四段七畝廿二歩〇當地中
曽根〇飛地ナリ〇ガ明治廿二年地〇制度〇施ニ伴〇〇〇〇
〇〇〇〇飛地組換ノ處分ニ依リ大字割目ニ編入神〇〇〇〇
〇〇〇〇〇〇〇〇〇割目〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇北相ノ
道西浦耕地氏子ハ從來金山神社ヲ以テ耕地鎮守氏神トナシ
〇仰シ來リシ関係上如何ニモシテ該神社ヲ當耕地ニ移〇奉
リ耕地氏子守護神トシテ尊崇致シ度協議ノ結果遂ニ信徒總
代土屋喜藏岩瀬歌之助岩瀬佐兵エ小林庄右エ門大熊傳五右
エ門増田彌五郎土屋八五郎出願人トナリ地〇長官ノ許可ヲ
得タリ偶々土屋政三郎ノ敷地寄附アリ現地ニ移轉セラルル
ニ至ル茲ニ概歴ヲ誌シ記念トス(以下略)
「神社移轉記念之碑」に載る出願人の一人に「岩瀬氏」がいる。この「岩瀬氏」は嘗て別当である観音院の住職を一時期務めていた。この岩瀬家は屋号を「たたみや」といい、先祖が小田原城落城の際にこの地に落ち延び、飛び地(現在の加須市。当社の旧社地付近)に住み着いたが、ここに至る前に一旦騎西の一向宗の寺に寄り、その寺の紹介で観音院の僧になったという。
金山神社境内
拝 殿
金山神社 久喜市北中曾根一三二五(北中曾根字森下)
北中曾根は、明治十二年までは中曾根村と称し、『郡村誌』によれば戸数一三五、人口七〇六というかなり大きな村であった。そのためか、全体で一つの神社を鎮守として祀るのではなく、村内にある村組が各々神社を持ち、それぞれの鎮守として祀ってきた。村組は、川妻(かわづま、上ともいう)・前(中前ともいう)・裏(中裏ともいう)・下の四つであり、当社はその中の裏組で祀っていつ神社である。ちなみに、川妻は愛宕社、前では諏訪社、下では久伊豆社を祀っている。
『風土記稿』中曾根村の項に「久伊豆社 村の鎮守なり、〇諏訪社〇愛宕社〇金山社 四社共に観音院持」とあるのは、そうした状況が江戸時代から続いていることを示すものである。ここでは下の久伊豆社が村の鎮守となっており、明治の社格制定に際しても同社が村社となったが、それは久伊豆社の規模が四社の中では最も大きい神社であったためで、信仰の上では四社共に同格といえる。なお、観音院は久伊豆神社の近くにある真言宗の寺院である。
当社境内は、元来は字戸崎の権現宮耕地にあったが、明治二十二年七月二十四日に字森下に移転した。この移転は行政区域の変更に伴い、境内地と氏子二戸が水深村割目(現加須市)に編入されたため、これを遺憾とした当時の信徒総代七名が地方長官に出願して行ったもので、現在の社地は氏子の土屋政三郎が寄附したものである。
「埼玉の神社」より引用
【北中曾根愛宕山神社】
・所在地 埼玉県北中曾根1024
・ご祭神 火迦具土神(推定)
・社 格 旧北中曾根村川妻鎮守
・例祭等 不明
北中曾根金山神社から一旦県道12号線に戻った後左折し、左カーブし終えた丁字路を右折する。その後、500m程道なりに進むと、道路脇に北中曾根愛宕山神社が見えてくる。
道路端に旗立柱と朱色の両部鳥居(?)が建ち、その後に円墳なのか塚の様な小さな丘があり、頂上部に社殿が建っている。
小さな丘上部に拝殿は鎮座する
『新編武蔵風土記稿』中曾根村の項に「久伊豆神社 村の鎮守なり、諏訪社・愛宕社・金山社 4社とも観音院持」とあり、近世以来北中曾根では、鎮守として久伊豆神社を祀る一方で、村組ごとにも神社を祀ってきた。北中曾根地域は、川妻(かわづま、上ともいう)・前(中前ともいう)・裏(中裏ともいう)・下の四集落で構成されていて、これら四つの集落のうち、川妻は愛宕社・裏は金山社・前では諏訪社・下では久伊豆社を祀っている。
当社もまた、そうした村組で祀る神社の一つであり、創建以来、川妻地区の守り神としてその地域の住民の方々から信仰されている。
石段の手前で右側にある青面金剛二基 丘上に聳え立つイチョウの大木
久喜市の保存樹林に指定
参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「境内懸念碑文」等