多門寺愛宕(阿多古)神社
・所在地 埼玉県加須市多門寺578
・ご祭神 軻遇突智命
・社 格 旧村社
・例祭等 多門寺の獅子舞 7月23・24日
地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.1285418,139.6284918,16z?hl=ja&entry=ttu。
北篠崎熊野白山合殿社から北西方向で東北自動車道脇の道路を700m程進むと、多門寺愛宕(阿多古)神社に到着。時間にして数分とかからない程近い。葛西用水路の北側に鎮座する。
社の正面入口隣に駐車スペースあり。
多門寺愛宕(阿多古)神社正面
『日本歴史地名大系』 「多門寺村」の解説
[現在地名]加須市多門寺
小浜(こばま)村の東にあり、北を手子堀(てこぼり)川、南は会の川で限られる。羽生はにゆう領に所属(風土記稿)。田園簿によれば田高三一八石余・畑高三七〇石余、幕府領。国立史料館本元禄郷帳では幕府領と旗本二家の相給。「風土記稿」成立時は旗本三家の相給で、幕末の改革組合取調書でも同じ三家の相給。
多門寺の地名は、その昔、この地域に「多聞寺」と称する寺があったことから名付けられたが、この寺は、天生年間に大水に流されてしまい、現存はしていないという。
社の参道は長く、数多くの灯篭が奉納されている。
ゆったりとした空間の中にも、厳粛な気持ちで参拝を行う。
朱を基調とした二の鳥居
二の鳥居の社号額には「「阿多古」と表記されている。
全国に約900社を数える愛宕神社の総本社は、京都市右京区嵯峨愛宕町(旧山城国・旧丹波国の国境にある愛宕山山頂)に鎮座し、地元の人は「愛宕さん」と尊称されている。愛宕山は8世紀初頭の大宝年間に、修験道の開祖であるとされる役行者と加賀白山ゆかりの僧泰澄によって開かれたとの伝承を持つ霊仙であり、愛宕神社の主祭神は火の神である迦遇槌命を祭る。
ところで、平安中期に記された『延喜式神名帳』には、「丹波国桑田郡阿多古神社」と記されていて、この愛宕神社の旧称は「阿多古神社」であった。
この「愛宕・阿多古」の由来は幾つか説があるが、はっきりしたものはない。筆者が調べたものを紹介すると、以下のようだ。
・愛宕の名は、その祭神迦具土(かぐつち)が生まれるにあたって母神(いざなみ)尊を焼き死なしめた「仇子(あだこ)」であったことにちなむと俗説されているが、むしろ基は「側面・背面」を意味する「アテ」に由来し、その神は境を守る神であったのではないかともいわれ、京都では王城鎮護のためにその西北の山上にまつられたものという説。
・「愛宕」という地名は「愛宕」「阿多古」と書くことが多く、接頭語の「ア」と高(高所)を意味する「タコ」を表す地名ともいわれている。 そして「愛宕山」という場合は「阿多古」という神名にもとづくもので、愛宕神社という火の神、火伏の神を祭っていて、愛宕信仰による伝播地名の一つという説。
二の鳥居の左側には「多門寺の獅子舞」の標柱(写真左)、拝殿手前にもその案内板がある(同右)。
加須市指定無形民俗文化財 多門寺の獅子舞 昭和三四年六月指定
江戸時代中期に愛宕神社の創立に端を発したと伝えられる。
毎年七月二三日より二五日までの三日間行われ、二三日及び二四日は社殿前にて舞い、二五日は多門寺各戸を回っていたが、現在は二三日に近い土曜日に奉納を行い、二四日 に近い日曜日に各戸を回っている。
能の演目は「雌獅子隠し」(初庭)「笹ぬき」(中庭 )「綱きり」(末庭 )がある。
用具は獅子面三・花笠四・高張提灯二・万灯一・楽器は横笛四・太鼓三を使用し、五穀豊穣商売繁盛悪魔降伏を祈って獅子舞が行なわれる。
獅子頭に宝暦三(一七五三)年 「新熊」と称する塗師が塗替えたという記録があり、明治時代頃まではその子孫が多門寺にいたといわれている。
平成二四年三月 加須市教育委員会
案内板より引用
基壇下で参道の両側に配置された境内社。左側に御嶽神社(写真左)、右側に稲荷神社(同右)
石垣のような基壇上に鎮座する拝殿
「埼玉の神社」によれば、天正の末に古利根川の堤防が決壊し村中が濁流に押し流され荒廃した。文禄年中、上新郷川を塞ぎ、これより村内を開墾した。その折、現在愛宕山と称する古塚に慶長年中、愛宕神社を勧請し鎮守として祀ったという。
社殿の左側に並列して祀られている境内社群
左側から三峯神社・皇大神宮・金比羅宮・天神宮
本 殿 社殿奥に祀られている浅間神社等の石祠
社殿から参道方向を撮影
北篠崎熊野白山合殿社同様に、正面には東北自動車道の建築物が見える。しかし、二基の鳥居、及び幾多の鳥居が並ぶ参道と社叢林が一種の結界となっているようにも見え、その境内全体が別世界のような錯覚を参拝中覚えてしまう程趣ある社。境内も綺麗に手入れされていて、日頃の氏子・総代の方々の信仰心の賜物でもあろう。
山岳の斜面に鎮座する社とは違った素敵な社に出会えた感謝の念を祈りながら、心穏やかに参拝を終了することができた。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「高梁市HP」
「『国史大辞典』 1 国史大辞典編集委員会/編」「加須市HP」「Wikipedia」
「加須インターネット博物館」「境内案内板等」等