古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

戸崎日吉社

 日吉社(さんのうさま)  騎西町戸崎一五二七(戸崎字名倉耕地)
 当地には古城跡があり、戸崎右馬允という者の居城であったという。現在も川下側に城の土手跡がある。
 低地のため古くはしばしば大水に見舞われたので、社地の隣に盛り土を行い、この上に馬を連れて避難したという。これを馬塚と呼んでいる。
『郡村誌』に「城跡に竜宝寺を創建す」とあり、城跡から当社を見ると鬼門に当たることから城守護の社として創建された可能性が高い。
 社蔵の『日吉社記録(弘化三年七月)』には「鎮守内に往古より社家有りしが先年消失し、以来利八という者、社を再建し跡を継ぐ。同時に三両の金を差し出し是を氏子に貸し付けて、利足分で今後の社修覆の足合とした云々」とある。この貸付制は現在まで行われ「人別(にんべつ)」と呼ばれている。
 また同書追録に「鎮守山王大権現を明治五年のころに日吉大神と改称する、祭神は国狭土之命也」とあり、更に合祀について「明治四十年神社合併のこと起り、当社を同字村社諏訪神社に合併せんとするも当社の鎮座地名倉は以前名倉村と称えた一村であり、他に移すことは許されないと陳情し合併を免かれし云々」と載せている。
 現在の本殿は、社記によると弘化三年の再建と思われる。内陣に束帯の神像三〇センチメートルを安置する。境内に神使石像(猿)がある。
                                   「埼玉の神社」より引用
       
              
・所在地 埼玉県加須市戸崎1527
              ・ご祭神 大山咋命
              ・社 格 旧戸崎村名倉耕地鎮守
              ・例祭等 春祭り 413日 夏祭り 718
                   例大祭 1028日 決算 12月中旬
       *「埼玉の神社」では、「秋祭り 10月15日」と記述されている。
 戸崎諏訪神社から北東方向で直線距離にして400m程の戸崎字名倉の地に は鎮座している。前項でも述べているが、この地域は、同市西部に位置し、見渡す限り平坦な地域で、地域南部と中央部一部には住宅や民家はあるが、それ以外は周囲一面豊かな水田地帯が広がっていて、この地域中央部一部に民家が点在すると述べたその地こそ、名倉地区である。
        
                  戸崎日吉社正面
『埼玉苗字辞典』では、「埼玉郡戸崎村字名倉(騎西町)は古の村名で、『武蔵志』には、「羽生領太田庄名倉村山王社」と見え、騎西町場大英寺元禄十年碑に名倉村と載せているように、字名名倉は、元禄時期「名倉村」と一村を形成していたという。
 
鳥居近郊に並列して祀られている石碑、仏像等      鳥居の右脇に祀られている
 記念碑の左側二番目に天満宮の石祠あり    「水神」と刻まれた石碑が置かれている。
        
       鳥居から「名倉集会所」を右手に観ながら参道を進むと、突き当たり、
               直角右方向に方向転換し一対の石灯篭の先に社殿が見えてくる。
        
                「名倉集会所」付近に設置されている社の案内板
        
                    拝 殿
 日吉社 例大祭 十月二十八日
 当社は山王社とも呼ばれ、大山咋命を主祭神とする。特に安産の神として崇敬され、出産が近づくと、灯明 (ロウソク)の燃え残りをいただく信仰がある。陣痛が始まったときにこれを灯すと、火が消えるまでにお産が済むという。そのため、お産が軽く済むよう短いものが喜ばれるという。こうしたことから、当社は女性の神としての伝説が残されている。
 昔、社前に池があった頃、隣村の天王様(お神輿)
が村内に乗り込んできた。これに激怒した山王様は「女の領地に男の天王が足を踏み入れるとは何事だ、それを防がなかった村人も許さん」と村中に悪病を流行らせてしまった。困った村人は、翌年、またやってきた天王様を待ち受け、神輿もろとも境内の池に放りこみ、ようやく退散させたという。その後は山王様の怒りも解け、悪い病は消え去ったという。(以下略)
                                      案内板より引用
 
        拝殿の手前にある一対の「
神使石像(猿)」(写真左・右)

 ところで、「加須インターネット博物館」の中のコンテンツに加須市内にある「昔ばなし」が載っており、その中に当地に関わる昔話も掲載されている。

山王様(さんのうさま)と天王様(てんのうさま)」
戸崎の名倉耕地(ごうち)に「山王様」という神様がまつられています(日吉社)。お産にご利益があることから「女性の神様」としても知られています。
むかしむかしのことです。隣村で天王様のお祭りがありました。

「ワッショイ。ワッショイ」
威勢のいい掛け声と共に、神輿を担いだ若者たちがやって来ると、いつの間にか、わがもの顔で村中を練り歩き始めました。村人はあっけにとられ、ただ茫然と見ておりました。
それからしばらくたつと…原因不明の病気が村中に流行りました。村人はあれこれ噂しましたが、原因はさっぱりわかりませんでした。
そんなある日のことです。一人の村人が山王様にお参りすると、どこからともなく不思議な声が聞こえてきました。
「女の神が支配する土地に、男の神が勝手に入ってくるとは何事だ!それを防がなかった村人も許さん!」
原因不明の病気は山王様の祟りだったのです。村人は怒りを和らげようと、あれこれ行いましたが、なかなか山王様の怒りは治まりませんでした。そうこうするうち、また、次の年のお祭りが近づいてきました。
「また、隣村の天王様の神輿がやって来たらどうすんべ。向こうは大勢だしなあ」
「今年やっつけねえと、山王様がもっと怒るべ。みんなでやっつけるしかなかんべ」
そして、祭りの日になりました。村人は神輿が来るのを境内の池のそばで、じっと待っていました。
「ワッショイ。ワッショイ」

掛け声がだんだんと近づき、大きくなった瞬間、みんなで神輿めがけて一斉に飛びかかりました。突然の出来事に驚いた隣村の若者たちは慌てふためき、神輿もろとも池に放り込まれてしまいました。
「バンザーイ、バンザーイ」

一目散に逃げ帰る若者を前に、村人は大喜びしました。
それ以来、山王様の怒りは治まり、元の静かな村になったということです。


参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「加須インターネット博物館」等
       

拍手[0回]