古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

寿町白山神社


        
            
・所在地 埼玉県川越市寿町1-2303
             ・ご祭神 菊理姫命 伊弉諾尊 伊弉冉尊
            
・社 格 旧豊田本村原産土神
            ・例祭等 建国祭 2月11日 春祭り 4月14・15日 天王祭 7月14・15日
                 秋祭り 10月14・15日 大祓 12月20日
 大袋新田氷川神社から「入間川街道」を北東方向に進路をとり、関越自動車道の高架橋の下を潜った先から1.5㎞程進んだ進行方向左手で住宅街の中に寿町白山神社は見えてくる。
 因みに川越市では、道路を「市道○○○○号線」のように数字で管理しているが、これを住民が呼びやすく、親しみやすいものになるようにと、生活に身近な路線について、地域住民の要望や一般公募を行い、「川越市道路愛称選定委員会」の選考を経て道路の愛称を定めているという。市のHPを確認すると全部で36もの愛称道路があるのだが、入間川街道もそのうちの一つである。
        
             入間川街道沿いに鎮座する寿町白山神社
            鳥居の左側にある建物は寿町一丁目集会所
 寿町は川越市の地理的中央部で、北部は入間川周辺の沖積平野、南部は武蔵野台地上に位置し、一丁目に武蔵野台地の縁となる崖線があり、北端部を赤間川が流れる。地域内は一丁目が市街化区域で、その全域が第一種低層住居専用地域に指定された住宅地で、戸建ての住宅が建ち並ぶが、生産緑地地区の農地もある。二丁目は市街化調整区域で、東部に団地があるが、主に水田などの農地である。
 この地域は、1967年(昭和42年)6月1日に町名地番整理によって寿一丁目および二丁目が成立した行政区域で、もと大字豊田本、大字豊田、大字野田の各一部であった。
        
           街中とは思えない程豊かな社叢林に覆われた境内
 元来、当社は豊田本の字の一つであった原の産土神として祀られていたものであったが、寿町が制定された際、その地域内には当社のほかに神社がなかったことから、当社が寿町の鎮守となった。もちろん、もと豊田新田や野田の住民であった人々は、古くから親しんできた神社の氏子を離れて新たに当社の氏子となったわけで、そこはいささかの葛藤があったかと察せられよう。
       
          拝殿前の参道の両側に聳え立つご巨木(写真左・右)
 当社は寿町の鎮守として信仰され、白山様の通称で親しまれている。更にかつて当社が原地区で祀っていた社であったことから旧原地区の住民の中には産土神様と呼ぶ人もいるという。
 また、当社は昔から霊験あらたかな神社として多くの人々の崇敬を集め、遠方から百度参りに来る人もあったという。
        
                    拝 殿
『新編武蔵風土記稿 豊田本村』
 小名 安生老(アブロウ)村 (中略)爰に白山社あり、本地は十一面觀音を安ず、往古は仙波北院の境内に居りしが、御宮御造立の時彼地を退られ、當所の幻夜なりしを開きて、爰に移れる由、
『入間郡誌 東北部諸村(川越町付近)』
 安生老 川越入間川街道に臨み、豊田より野田新田にも及ぶ。 中央に白山社あり。 伝へ言ふ。 古は川越仙波喜多院の境内の一部にありしが、東照宮?造立の時、彼地を退去し、此原野を開きて居住せりと。 其旧家に伝へし所によれば、天正のはじめ、上野国に住し砥石売買を行へりと。 安生老の名何に依て生ぜしかを知らず。 二十二年四月北半を割て、野田新田に加ふ。

 白山神社  川越市寿町一-二三〇三(豊田本字原)
 当社は川越市のほぼ中央に位置する寿町に鎮座する。祭神は菊理姫命・伊弉諾尊・伊弉冉尊の三柱である。
 社伝によれば、当社は、応仁元年に甲斐国の領主武田信玄の家臣であった山口長左衛門が上州に住んでいた時に守護神として祀った神社で、古くは喜多院の境内に奉斎されていたと伝える。天正年間、東照宮の造営に伴い、喜多院より現在の地へ遷座した。鎮座地の地名を原というが、それは、当時この付近は一面の原野であり、人もほとんど住んでいなかったことに由来する。
『風土記稿』によれば、山口長左衛門の子孫らは、遷座に伴い、当地に移り住み、原野を開いて一村を成したとある。現在、既に山口長左衛門の子孫と伝えられる家はない。ただし、社殿の隣に屋号をミヤノウチと呼ばれる荻原巌衛家があり、当社の境内は元来同家の土地で、当社造営の際に寄進されたものと口碑に残る。荻原家は代々当社社家として奉仕してきたが、戦時中、山畑家に替わっている。
 本殿は一間社流造りで、棟札に嘉永四年再建とある。欄間・側面などに美麗な竜の彫刻が施されている。また、拝殿の欄間にも竜の彫刻が施され、天井には雪渓筆の竜の絵が描かれていたが、昭和三七年、火災により覆屋・祭器庫を全焼し、拝殿も半焼したため、残念ながら現在では竜の絵も往時の約半分しか見ることができない。
                                   「埼玉の神社」より引用
 
  拝殿前に設置されている本殿の案内板            本 殿
『川越市HP』
 市指定有形文化財 寿町白山神社本殿
 種   別 市指定有形文化財 建造物
 指定年月日 平成19年8月10日
 社伝によれば、当社は、武田信玄の家臣 山口長左衛門が祀った神社で、古くは喜多院の境内にあったが、東照宮の造営に伴い現在地へ移ったという。
 本殿は、覆屋(おおいや)内板床の上に据えられ、正面に軒唐破風(のきからはふ)を付けた柿(こけら)葺屋根の一間社流造である。建築年代については、覆屋内の基壇に「天保十己亥歳 十一月吉日 當社再建」という刻銘もあり、本殿も天保10年(1839)頃の造営と一応考えられるが、一方で嘉永4年(1851)再建を記す棟札があったとの伝えもあり、明らかではない。
 本殿の装飾は、他の本殿建築と同じように、巧妙な江戸彫り彫刻で満たされ、柱や長押(なげし)に地紋彫が施され、頭貫(かしらぬき)側面や斗きょう間には花木鳥の彫刻で飾られている。とりわけ身舎(もや)の東西側面に嵌められた彫刻板には、ほほえましい表情の人物が立体的に描かれ、彫物師の心技を強く感じさせてくれる。
        
          本殿の奥に祀られている境内社・左から八幡社・稲荷社
       
               社殿の両側に聳え立つ御神木の如く立派な巨木(写真左・右)



参考資料「新編武蔵風土記稿」「入間郡誌」「埼玉の神社」「川越市
HP」
    「ウィキペディア(Wikipedia)」「境内案内板」等

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