古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

本堀田諏訪神社

 本庄市北堀田地域は、元は武蔵国榛沢郡滝瀬郷とあり、戦国時代までは武蔵七党丹党の滝瀬氏の本貫地だったそうだ。滝瀬氏は丹党安保氏の支族。安保氏は、鎌倉時代以後早くに党と言った血族集団(同族意識を持った武士団)から独立した氏族であった為、党(本宗家を中心とした組織)の弱体化や滅亡を共にする事はなく、結果として、丹党の氏族の中でも最も栄えた一族となった。
 本貫地である安保郷を中心に始まり、中世を通して所領は拡大していった。武蔵国内での所領は、児玉郡の塩谷郷・長茎郷・宮内郷・太田村(郷)・蛭川郷・阿久原郷・円岡郷、秩父郡の三沢村(郷)・長田郷・大河原郷・大路沢村(郷)・岩田郷・白鳥郷・井戸郷、榛沢郡の滝瀬郷・騎西部・大井郷・成田郷の箱田村、平戸村である。

                
              ・所在地 埼玉県本庄市堀田297
              ・ご祭神 健御名方命
              ・社 格 旧無各社
              ・例 祭 春季社日祭 3月社日 祈年祭 43
                   
夏越大祓 730日 例大祭 1017日 他 
 本堀田諏訪神社は前項紹介した前堀田諏訪神社の北方600m程の距離にあり、旧中山道を北西方向に進む。小山川と備前渠に挟まれた長閑な田園地帯を300m程進むと右側に農業用資材の会社があり、その先のT字路を右折、農道の突き当たりをまた右折し、すぐ左折しなければいけないが、そこからは真っ直ぐ埼玉県道45号本庄妻沼線に交差するところまで進むと、その交差点斜め右側に社は鎮座している。
        
               交通量の多い県道沿いに社は鎮座する。
 社は県道沿いに鎮座し、手押しボタンの信号ではあるが「堀田」交差点沿いに鎮座する。周囲は長閑な田園が広がっているが、県道にはかなり交通量があり、ましてや交差点でもある為、駐車スペースを探したが、適当な場所はなく、社務所等もない。僅かに社の北側に舗装はされていない路面があったので、そこの一角に停めて、急ぎ参拝を行った。
 
      鳥居上部にある社号額           鳥居の左側にある案内板
 諏訪神社 御由緒   本庄市堀田二九七
 □御縁起(歴史)
 当地は、利根川右岸の沖積地の自然堤防上に位置し、村の南端を小山川が流れる。当地は昭和二十六年に大字堀田となるまでは、大字滝瀬の一部であった。この滝瀬は、武蔵七党の丹党に属する滝瀬氏の本貫地とされ、建武四年(一三三七)の「高重茂奉書」(安保文書)に「滝瀬郷」と見える。地内には、東方の字滝瀬とその西の字北堀田、南西の字前堀田にそれぞれ集落があり、当社は字北堀田に鎮座する。堀田は、『武蔵志』に「中山道筋 滝瀬ノ新田、別村ニアラス」とある。
 社伝によると、天正十年(一五八二)武田家滅亡の際、家臣の高柳隼人及びその一族が、武蔵国榛沢郡滝瀬郷北堀田に落ち延びて土着した。そこで、もとより信仰していた信濃国の諏訪大社をこの地に勧請し、一族の祈願所としたのが当社の始まりである。以来、武門の崇敬するところであったが、慶長十八年(一六一三)に至り、北堀田の鎮守となった。その後、長い年月を経て社殿が頽廃したので、天保二年(一八三一)に北堀田の崇敬者が再興した。この時の世話人は、増岡周助・高柳仙之助・塚越平八・高柳寅松・伊藤勝三郎などであった。
 なお、当社は「中山道分間延絵図」に、中山道からしばらく北に入った所に「滝瀬村之内字北堀田、諏訪明神」と書かれている。
 明治に入り、当社は無格社とされた。平成二年には、社殿瓦屋根の葺き替え工事を行った。
                                      案内板より引用
 
 境内交差点側に鎮座する境内社。詳細不明。      境内社の右隣に並ぶ石碑等
                       
庚申塔、如意輪観音、青面金剛、如意輪観音  
        
                               重厚感のある拝殿正面
 時代が下り丹党・児玉党・猪俣党などの武蔵武士団は、南北朝時代に南朝=新田義貞についたため、新田氏の滅亡と共に弱体化、あるいは没落していった。さらに上杉禅秀の乱では禅秀に味方したため、鎌倉公方の足利氏に所領を没収されている。ただ丹党の氏族のうち、阿保氏は足利氏に属したため、その所領を永く維持した。
 戦国期の安保氏は在地土豪を家臣団として編成し、小大名的な存在にまでなっていたが、永禄
12年(1569年)、武田信玄の御嶽城攻略を最後に姿を消す事となるとある。その武田家も滅亡後の安土桃山時代になって、家臣一族がこの地に土着し、諏訪信仰が根付いたのだと思われる。
       
                 社殿右奥に聳え立つご神木
        
                          境内社。瓦の紋から推測すると天神社か。



 

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