安戸能気神社
安戸能気神社の鎮座する東秩父郡安戸地区は東秩父村東部に位置し、北辺で比企郡小川町勝呂・木部・笠原・飯田・増尾各地区と、東部で比企郡小川町腰越地区と、南西で御堂突くと、西で奥沢地区と隣接する。小字は宿・小滝・町北・大都・帯沢・在家が挙げられる。槻川沿いに東西を貫く埼玉県道11号熊谷小川秩父線が東側で安戸橋を渡り小川町へ通じている。県道沿いと帯沢川・入山沢の谷あいに集落が散在する山村である。
安戸地区は東秩父村では槻川沿いに決して広大ではないが、谷底平野がみられ、田畑と同時に水田が作られている。
所在地 埼玉県秩父郡東秩父村安戸382
御祭神 誉田別命
社 格 旧指定村社
例 祭 9月18日
安戸能気神社は大内沢神社から小川町方向に進み、東秩父村役場を過ぎて約2㎞程行くと、Y字路になるので、そこを左折する。この通りには民家も多く、地形を見ると、北西方向から南東方向に流れる槻川が山に遮られ一旦北側に流路を変え、暫くするとまた南方向へと曲流し小川町腰越地区に移動するように、山間独特の地形に沿って頻繁に屈曲を繰り返して流れているようだ。
県道11号から左折し、暫く進むと左側に「指定村社 能気神社」と彫られた社号標石が見える。そこをまた左折し、上り坂の道を真っ直ぐ約400m程進むと、丁度終着地の如くこの社に行き着く。駐車スペースはこの社のすぐ手前に多目的運動場である安戸グランドがあり、専用駐車場があるので、そこに停めて参拝を行った。
「指定村社 能気神社」と表記されている社号標石
安戸能気神社は槻川の支流である入山沢に対して上流に遡って行く途中にあり、緩く長い稜線上に鎮座するため、社殿から南に目を転ずると、田畑や集落を一望することが出来る。当社は、創建当時は個人の氏神として祀られていたが、やがて、根岸・高野・大久根・鷹野などの旧家が氏子となり、ついには村(安戸)を挙げて祀る社になるに至ったと伝える。社殿の造営は、覆屋・拝殿は「明神宮建立帳」に1774年再建と載るが、一間社流造りの柿葺き本殿の建立年代は不明である。
安戸能気神社入口付近から撮影
石段の先にある鳥居 石段を登り終えるとその先に拝殿が鎮座する。
拝 殿
秩父地方には「秩父三十四ヶ所観音霊場」と言われる観音信仰から発生した札所巡りがある。西国三十三ヶ所・坂東三十三ヶ所とともに日本百観音(日本百番観音)に数えられていて、札所としての創建は、鎌倉時代の文暦元年(1234年)と伝えられている。室町時代の長享2年(1488年)の札所番付(32番法性寺蔵)が現存していることから、遅くとも室町時代までには札所が成立したことが明らかになっている。長享の番付によると、当時は三十三ヶ所であり、札所の順番も現在とは異なっていたようだ。その後江戸時代になると観音信仰が庶民の心の支えとして、隆盛をみるようになった。
安戸能気神社が鎮座する東秩父村安戸地区は、江戸時代より江戸-川越-安戸(東秩父村)の宿から粥新田峠を経る道程、所謂「川越通」が秩父札所巡りの主要ルートとなったようで、その門前町として栄えた地域である。
ちなみに「安戸」という地名は、粥新田峠や定峰峠等を出たところにある休場を意味する「休戸」を安戸と書くようになったことに由来しているという。
社殿の左側にある境内社 榛名社、大黒天社、三社合社(写真左)と右並びにある三笠山、御嶽山、鳥海山神と彫られた石標(同右)
拝殿より南側で石段方向を撮影。その先には安戸地域の風景が一望に広がる。