袋神社
・所在地 埼玉県鴻巣市袋248
・ご祭神 稲田姫命
・社 格 旧袋村鎮守 旧村社
・例 祭 神武祭 4月3日 大祓 6月20日頃 12月 夏祭り 7月15日
地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.0995013,139.4676917,17z?hl=ja&entry=ttu
国道17号線を北鴻巣方向に進み、埼玉県道307号福田鴻巣線が合流する「袋」交差点を左折する。この交差点付近には、県道沿いにショッピングモールや家電センターもあり、途中経路として最適な場所だ。交差点を左折後、道なりに300m進むと左側に袋神社が見えてくる。
周辺は住宅街が並ぶ一角に鎮座する社。鳥居の先には駐車スペースもあり、そこの一角に車を停めてから参拝を行った。
袋神社正面
この地周辺を確認すると、袋神社の西側で、国道17号の東側に国道に沿うように元荒川の旧河道跡が残っている。昭和初期に行なわれた元荒川・支派川改修事業で、元荒川の蛇行区間を直した祭に残ったものという。現在旧河道の跡は、水辺公園として整備されている。
袋地域は元荒川が北へ流れを変える部分の西側に位置し、地名は元荒川が大きく蛇行して袋状になっていることに由来するという。また周辺地域には「前砂」「砂山」という地名もあり、旧荒川の氾濫等で土砂を堆積された地形が地名になったことが伺え、どちらにしても河川に関連した地名由来であることは間違いなかろう。
袋神社参道 参道途中には石祠群が並んで鎮座
左から天満天神 塞神 雷神 宇賀神
袋神社碑
袋神社碑 從三位勲一等男爵澁澤榮一篆額
秩父之山岹嶢突兀崒然矗峙於莽蒼之中刀根之水渺瀰回縈汪焉奔注
于廣野之間斯山斯水襟帯流峙闢成曠區曰武蔵野我下忍邨大字袋其
一聨邑也古荒川之水還流為境形若括囊故名云居民素樸勤業奉公敬
神四鄰嚮為規範郷内素有女體伊奈利諏訪天神雷氷川六祠歳時伏蠟
敬祀奉誠明治四十五年官命合祀諸祠於女體神社大正二年改稱袋神
社為一郷之珹隍越二年大正四年秋 天皇舉登極之大典郷人感誠
醵資興工新構祠宇至五年二月工畢矣今試賽斯祠仰望秩嶺之矗峙乎
天際俯覩刀水之貫流于曠野崇髙之氣勁正之節自生孤髙介特之風範
顧日露之役壮丁従軍老弱報效闔郷一致使我閭閻永與山川媲美者咸
敬神奉公斯倚也傳曰國之大事在祀與戒是此之謂歟銘曰(以下略)
石碑文より引用
拝 殿
袋神社 御由緒
袋神社 御由緒 吹上町袋二四八
□御縁起(歴史)
当地は元荒川が北へ流れを変える部分の西側に位置する。地名は元荒川が大きく蛇行して袋状になっていることに由来する。村の開発の年代は明らかでないが、慶安二-三年(一六四九-五〇)の『田園簿』には一村として載る。また『元禄郷帳』には当村とは別に袋新田が見え、元禄十五年(一七〇二)以前に当村から分村したことがわかる。
当社は、元は女体社と称していた。その創建の年代は明らかでないが、境内にある最も古い石造物は「奉寄進石燈籠 宝永五戊子年(一七〇八)十月日施主村中」と刻まれる社前の灯籠である。『風土記稿』袋村の項を見ると、村内の神社について「女体社 村の鎮守なり、祭神は稲田姫命、西福寺持、末社辨天〇諏訪社〇稲荷社〇雷雷社〇天神社 以上五社西福寺持」と記されている。これら各社の別当であった西福寺は、当社の南西五〇〇Mほどの所に堂を構える真言宗の寺院で、女体山阿弥陀院と号する。寺伝によれば、天正年間(一五七三-九二)のころ、指田三郎左衛門の地所に墓地を設け、その中に阿弥陀堂を建立した。
その後、慶長十八年(一六二ニ)法印秀海の求めに応じて、その地に不動明王を本尊とする本堂を建立した。
神仏分離を経て当社は明治五年に村社となり、同四十五年には字道上の諏訪神社、字前屋敷の伊奈利神社と氷川神社、字台の雷神社と天神社の計五社の無格社を合祀し、大正二年に社号を袋神社と改めた。
□御祭神と御神徳
・稲田姫命…五穀豊穣、縁結び、家内安全
案内板より引用
袋神社のご祭神は稲田姫命という。正式名は櫛名田比売で、別名として奇稲田姫、稲田媛、眞髪觸奇稲田媛、久志伊奈太美等与麻奴良比売命との記載もある。櫛名田比売(くしなだひめ)は、日本神話に登場する女神であり、高天原を追放されて出雲に降り立ったスサノオが、ヤマタノオロチという怪物に毎年娘を食われている大山津見神の子である足摩霊(アシナヅチ)・手摩霊(テナヅチ)の夫婦と、最後に残った娘である櫛名田比売と出会う。夫婦の話によると、もうじき最後に残った末娘の櫛名田比売も食われてしまう時期なのだという。哀れに思うと同時に、愛しくなったスサノオは、櫛名田比売との結婚を条件にヤマタノオロチの退治を申し出た。スサノオの素性を知らないアシナヅチとテナヅチは訝しむが、彼がアマテラスの弟と知ると喜んでこれを承諾し、櫛名田比売をスサノオに差し出す。その後スサノオによりその身を変形させられ、小さな櫛になり、スサノオはこの櫛を頭に挿してヤマタノオロチと戦い退治する。
社殿の右側にある御神木
袋神社のご神木であり、同時に「鴻巣市保護樹林」に指定されている銀杏の木
名前は通常、『日本書紀』の記述のように「奇し稲田(くしいなだ)姫」すなわち霊妙な稲田の女神と解釈される。 原文中では「湯津爪櫛(ゆつつまぐし)にその童女(をとめ)を取り成して~」とあり、櫛名田比売自身が変身させられて櫛になったと解釈できることから「クシになったヒメ→クシナダヒメ」という言葉遊びであるという説もある。さらに、櫛の字を宛てることから櫛名田比売は櫛を挿した巫女であると解釈し、ヤマタノオロチを川の神として、元々は川の神に仕える巫女であったとする説もある。
もうひとつは、父母がそれぞれ手摩霊・足摩霊と「手足を撫でる」意味を持つ事から「撫でるよ
うに大事に育てられた姫」との解釈もあり、倭撫子(やまとなでしこ)の語源とされる。
古事記、日本書紀共に記されているこの素戔嗚尊と櫛名田比売の物語は、天つ神と国つ神の結婚が、やがて日本を作った大国主尊の誕生に繋がるということを伝えたかったと考えられる。そしてその基盤こそが古くからの稲作儀礼であったことを強調するための物語といえるのではなかろうか。
社殿の左側で道路沿いにある御神木
こちらも袋神社のご神木であり、同時に「鴻巣市保護樹林」に指定されている銀杏の木
日本各地の多くの神社では、稲田の神として信仰を集めており、日本各地の神社で祀られている。そのほとんどが、全国にある氷川神社がその代表であるように、夫のスサノオや子孫(又は子)の大国主などと共に祀られているケースが多く、櫛名田比売を主祭神として単独で祀る社は少ない。
鴻巣市袋地域に鎮座する袋神社は嘗て「女体社」と称していた。奇しくも埼玉県さいたま市緑区にある「氷川女體神社」と同じ名称であり、ご祭神も共に稲田姫命(櫛名田比売の別名)が祀られている。
袋神社の持ち寺だった西福寺の山号は、「女体山」である。女体とは古代からの信仰であり、船霊を祀る場合が多いともいう。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「Wikipedia」「境内案内板」等