古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

山崎重殿社・神明神社

 山崎地域内は、嘗て星谷・中山・前田・山ノ下・京塚・笠原・蓮田・第六天・南第六天等と共に百間村の小字であったが、昭和52月の大字廃止に伴い字名の一つとして用いられるようになった。
 山崎地域の歴史は古く、近年の発掘調査の成果から旧石器時代約20,000年前から人々が住んでいたことが明らかになっている。縄文時代にも多くの遺跡があり、山崎遺跡では縄文時代草創期約12,000年前の尖頭器なども発見されている。また、縄文時代早期7,000年前や後期3,500年前の住居跡や土器や石器などの遺物も数多く発掘されている。
 古墳時代には、宿源太山遺跡から34世紀頃の住居跡や土器が、山崎山遺跡では埼玉県最古の4世紀後半の鍛冶工房跡が発掘されている。中世(鎌倉・室町時代)には、宿源太山遺跡で板石塔婆や宋銭が発見され、山崎遺跡や山崎南遺跡でも甕や土鍋等が出土している。
 江戸時代には、山崎地域は大名領や旗本領が複雑に入り組んでいた。一方、笠原沼新田の開発が享保13年(1728)に行われている。また、宿地内には「源太山」と呼ばれる松永源太左衛門の屋敷跡がある。 明治時代以降は、百間村・百間西原組等に属し、明治22年には百間村、そして昭和30年百間村が須賀村と合併して宮代町の一地域となっていて、現在山崎地内には行政区として、宿と山崎がある。
 なお、山崎地内には重殿社・神明神社・浅間神社・御嶽神社や、松永坊などの社寺があり、また、東村の神社であった第六天神社も山崎地域の西側にあった。
【山崎重殿社】
        
            
・所在地 埼玉県南埼玉郡宮代町山崎2446
            
・ご祭神 金山彦命
            
・例祭等 例祭 724
 宮代町山崎地域は大宮台地北東部にある慈恩寺(じおんじ)支台の東側縁辺部にあたり、古利根川右岸に位置している。現在の「東武動物公園」の南東部で、昭和59年に県民主体の運動の推進組織として発足し、平成24年に公益財団法人に移行した「さいたま緑のトラスト協会」が認定した緑のトラスト保全第5号地である「山崎山の雑木林」のすぐ南側に山崎重殿社はひっそりと鎮座している。
        
              山崎集会所に隣接した山崎重殿社
 社の後方には「山崎山の雑木林」が一帯を覆っている。大宮台地の端が低地と接する位置にあり、埼玉県東部地域に残された数少ない雑木林で、隣接する水田には、江戸時代中期の開墾当時の様子を残す「ほっつけ」が現存し、周辺を含む一帯は、雑木林、水田、集落(屋敷林)がバランス良く配置され、多様な生物が生息するとともに、ふるさと埼玉の東部地域における原風景を感じさせてくれる景観だ。
 因みに「ほっつけ(掘上田)」とは、沼地など水がたまりやすい地域の水田開発の手法。沼底を更に掘り込み、そこからでた土を周囲に盛り上げ耕作面のかさ上げをして、排水不良による水腐れ等の被害を軽減させたという。
 
    すっきりとして落ち着きのある境内       境内に設置されている社の案内板
        
                    拝 殿
 重殿社
 重殿社は山崎地区の鎮守で、地元では「権現様」とも称されている。金山彦命を祭神としており、祭礼は毎年七月二十四日に行われている。また、拝殿に多数のぞうりが見られるが、足の病に対する信仰のため奉納されたものという。
 覆屋の中にある本殿は、小規模で簡素ではあるが町内でも数少ない江戸時代の「見世棚造り」と呼ばれる造りの建物である。「見世棚造り」とは神社建築の一種で、店の棚のような形をしているのでその名がある。
 境内には、明和二年(一七六五)二月に建てられた稲荷社の祠や、文政十二年(一八二九)十月に建立された高さ約二メートルほどの大きな二十三夜塔がある。二十三夜塔とは、二十三夜に講の人々が集まり飲食をともにして、月の出を待ち拝んだりして夜を過ごすという行司で、そうした行事の記念として建てられたものである。
 また、当社には明治八年に作られた市川節堂の筆による幟旗がある。市川節堂は、群馬県に生まれ、清地村(現杉戸町)に招かれて付近の子弟の教育にあたった。
 重殿社のある山崎地区では、旧石器時代約一万数千年前から人々が住んでいた事が近年の発掘調査によって明らかになっている。以降、縄文時代後期約三千五百年前の集落や古墳時代四世紀後半の鍛冶工房跡なども発掘されており、古い歴史と文化を持っていることが知られている。
 一方、重殿社の周辺は「山崎山」と呼ばれる雑木林が広がっており、平成十三年度にさいたま緑のトラスト保全第五号地として取得され、管理。保存されている。現在、雑木林にはイヌシデやクヌギ、コナラなどがあるが、以前は赤松も多く見られた。こうした雑木林の北側には、かつては笠原沼の堀上田が広がっており、現在その一部が残されている。
                                      案内板より引用

        
             社殿右側奥に祀られている稲荷大明神と、その奥にある二十三夜塔


【山崎神明神社】
        
             ・所在地 埼玉県南埼玉郡宮代町山崎64
             ・ご祭神 大日孁貴命
             ・例祭等 神明様の祭礼 726
 山崎重殿社から直線距離にして400m程南東方向で、字山崎にある「宿」と呼ばれる集落内に山崎神明神社は鎮座している。
        
                  山崎神明神社本殿
 神明神社  宮代町山崎六四(百間村字山崎)
 当社は『郡村誌』百間村の項に「相伝ふ元和中(一六一五〜二四)松永弾正落来たりて本村に居住を定め」とあり、土地の口碑にも「落武者の松永源太左衛門一族と家来が京都から来てこの辺りに住み付いたことに始まる」という。
 当社は、この松永源太左衛門が祀ったと伝えられている。『風土記稿』百間村の項に「神明社 松永坊持」とあり、当社は往時、松永坊という黄檗宗の僧坊の管理するところであった。この坊も松永坊という名が示す通り、寛永年中(一六二四〜四四)に松永氏の墓守として建てたといわれるもので、松永坊と称するようになったのは元禄年中(一六八八〜一七〇四)のようである。明治初期には「松永庵」又は「寮」と呼ばれていたが、昭和四十年代初めに宿集会所として建て替えられた。この集会所の辺りは、今も「源太山」と呼ばれて、かつての源太左衛門の屋敷があったと伝えられている。なお、松永坊の本尊であった阿弥陀如来は、集会所になってからも一隅に安置されていたが、近年、青林寺に移された。
 昭和十五年には、皇紀二千六百年に際し、伊勢神宮参拝記念として参道の敷石が奉納された。また、同五十年には、木造の鳥居が老朽化したことから、コンクリート造りのものに再建され、併せて本殿の修理が行われ、現在に至っている。
                                  「埼玉の神社」より引用

        
                   境内の様子
 祭神は大日孁貴命である。古くから五穀豊穣・無病息災・商売繁盛の神として崇められている。氏子は、願いがかなうと、紅白の鈴縄に奉納者氏名を記して社頭の鈴に下げたり、お神酒を上げてその奉賽としているという。



参考資料「新編武蔵風土記稿」「宮代町デジタル郷土資料」「埼玉の神社」
    「宮代紀行 山崎地区を行くHP」「境内案内板」等

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