下野田鷲宮神社
・所在地 埼玉県白岡市下野田943
・ご祭神 天穂日命(推定)
・社 格 旧下野田村鎮守・旧村社
・例祭等 春祭り 4月10日 夏祭り 7月28日 二百十日 9月1日
お日待 10月19日
上野田鷲宮神社から東行し、姫宮落川右岸で埼玉県道65号さいたま幸手線に合流する丁字路を右折する。その後、久喜警察署・下野田駐在所が見える「下野田」交差点の先の押しボタン信号のある丁字路を右折、400m程進んだ先を右折すると下野田鷲宮神社が見えてくる。地図を確認すると、「白岡市立菁莪中学校」の道路を挟んだ北側に位置しているようだ。
境内は広く、敷地内にある下野田集会所(社の社務所も兼任しているようだ)周辺に駐車してから参拝を開始した。
下野田鷲宮神社正面
白岡市下野田(しものだ)地域は、隼人堀川と姫宮落川の間にあり、北は上野田地域と複雑に交錯している。地域内には黒沼用水・笠原沼用水が流れ、南北に日光御成道が走り、県指定文化財である一里塚がある。中世には鎌倉街道中道が通ったと考えられ、古くからあるこうした交通路に沿って村落が発達してきた地であった。日勝地区に属し、『白岡町史』によれば、下野田は上野田とともに「野田村」と呼ばれていた。昔は騎西領に属し、上、下に分村したのは享保年間と考えられる。野田の意味の詳細は不詳であるが、「高燥(こうそう)の原野(土地が高く、低温の地)」の意味と考えられる。
明治28年に岡泉村など8か村と合併し日勝村となり、昭和29年に篠津村・大山村と合併して白岡町となった。
社の正面近くには、案内板が設置され(写真右)、その案内板の中に
「女孝心」の石塔(銅左)の話も載せている。
下野田鷲宮神社
鷲宮神社は大字下野田字宿赤砂利に位置し、祭神は天穂日命を祀ります。また、明治一〇年の創建とされる稲荷神社(祭神は倉稲魂命)を境内社として祀っています。
当社の由緒について詳細は不詳ですが、江戶時代に編さんされた 『新編武蔵国風土記稿』には、「鷲明神社大光院の持、下野田村の鎮守なり」と記されています。なお、大光院は、明治年間に廃寺になっています。
鷲明神社とは鷲宮町鷲宮神社を分社したもので、町内には上野田、岡泉、寺塚地区でも祀られています。
境内には多くの記念碑や石塔が奉納されています。なかでも鳥居の側に建立されている天保二年(一八三一)九月銘の不二道 (富士講)の人々によって奉納された「女孝心」の石塔は、当時の民間信仰を知るうえで貴重な資料です。
石塔の右側面には、
「あしき事見る事いらす
聞事もいわぬこえか
すくに孝心 三志」
と記されています。
なお、三志とは不二道(富士講)の創始者で現鳩ヶ谷市生まれの小谷三志のことです。
平成十五年三月 白岡町教育委員会。 境内案内板より引用
神明系の一の鳥居
下野田のほぼ中央にある鎮守で、祭神は天穂日命(あめほひのみこと)。
二の鳥居
当社の境内には、昭和42年に地元の公民館兼社務所として「日勝農民センター」が建設されているが、この「日勝」とは白岡市の前身となった村の一つであった日勝村の村名を採ったものである。日勝村は、明治28年に岡泉・実ヶ谷・千駄野・小久喜・上野田・下野田・爪田ヶ谷・太田新井・彦兵衛の九か村が合併して成立した村で、『日勝』という名は、日清戦争における日本軍の連勝を記念し、これを永遠に銘記しようとの主旨で付けたものであるという。
拝 殿
鷲宮神社 白岡町下野田九四三((下野田字赤砂利)
当社が鎮座する下野田は、元は隣接する上野田と共に一村であったが、江戸時代の初期から中期にかけて分村したものと思われる。地内には鎌倉街道中道が通り、また、戦国時代ごろに成立したと推定される「市場之祭文写」に「武蔵州太田庄野田市」とあることから、室町時代には既に村が相応の形を整えていたものと推測できる。
上野田・下野田は各々で鷲宮神社を鎮守として祀ってきた。下野田の鎮守として祀られてきた社が当社であるが、『風土記稿』では、下野田村の項ではなく、上野田村の項に「鷲明神社 持前に同じ(注・大光院持ち)、下野田村の鎮守なり」と記載されている。このように、当社が上野田村の項に記されているのは、上野田と下野田ではその境界が複雑に交錯し、しばしば変更もあったためで、両村の境界付近に位置する当社の境内は、『風土記稿』が編集されたころは上野田の内に含まれていたものと思われる。なお、上野田の鷲宮神社は、古くは高祖明神社と称しており、『風土記稿』にも「高祖明神社」と記されている。
当社の創建を伝える文書などはないが、口碑によれば、鷲宮町(現久喜市鷲宮)に鎮座し、かつての太田庄の総鎮守であった鷲宮神社の分霊を祀ったものであるという。明治六年二村社となり、以後、伊勢参宮や皇紀二六〇〇年などの機会に氏子が石造物を奉納し、境内の整備を進めてきた。
「埼玉の神社」より引用
本 殿
社殿の左側に祀られている境内社 社殿の右側手前には石碑二基あり
稲荷神社・竈三柱大御神
竈三柱大御神は、「かまど神」とも称し、竈・囲炉裏・台所などの火を使う場所に祀られる神である。火の神であると同様に農業や家畜、家族を守る守護神ともされる。竈神、久那土神とも呼ばれることがある。
日本の仏教における尊像・三宝荒神は、かまど神として祀られることで知られ、一方、神道では三宝荒神ではなく、竈三柱神(稀に三本荒神)を祀る。竈三柱神はオキツヒコ(奥津日子神)・オキツヒメ(奥津比売命)・カグツチ(軻遇突智、火産霊)とされる。オキツヒコ・オキツヒメが竈の神で、カグツチ(ホムスビ)が火の神である。
住居空間では竈は座敷などと比べて暗いイメージがあることから、影や裏側の領域、霊界(他界)と現世との境界を構成する場所とし、かまど神を両界の媒介、秩序の更新といった役割を持つ両義的な神とする考え方もある。また、性格の激しい神ともいわれ、この神は粗末に扱うと罰が当たる、かまどに乗ると怒るなど、人に祟りをおよぼすとの伝承もあるという。
境内の一風景
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「白岡市HP」
「ウィキペディア(Wikipedia)」「境内案内板」等
