古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

瓜田ヶ谷稲荷神社・愛宕神社

瓜田ヶ谷稲荷神社】
        
             ・所在地 埼玉県白岡市瓜田ヶ谷214
             ・ご祭神 倉稲魂命
             ・社 格 旧瓜田ヶ谷中通組鎮守・旧無格社
             ・例祭等 初午 2月 十日祭り 310
 瓜田ヶ谷諏訪神社から一旦姫宮落川方向に南下し、すぐ先の路地を右折、長閑な農道を300m程進んだ先にある十字路を右折すると、すぐ右側にこぢんまりとした稲荷神社が見えてくる。
       
                 瓜田ヶ谷稲荷神社正面 
       
                                        拝 殿
『新編武蔵風土記稿 瓜田ヶ谷村』
 諏訪社 村の鎭守、觀音寺の持、下同じ、〇愛宕社 〇稻荷社
 觀音堂 新義眞言宗、新井村安樂寺末、慈眼山と號す、開山宥範寶永六年五月二十八日寂す、本尊十一面観音を安置せり、寮 不動を安ず


 稲荷神社  白岡町瓜田ヶ谷二一四(瓜田ヶ谷字中通)
 瓜田ヶ谷はかつて埼玉郡百間領に属し、瓜田ヶ谷の「爪」は百間領の隅に位置していたことを意味する「ツマ」が転訛したものとされている。
 村の開発年代は明らかではないが、賀島・八木橋・富沢・板垣・斎藤の五軒が草分けであると伝えられる。『風土記稿』によると、寛永五年(一六二八)に当地の検地が行われた。また、延宝八年(一六八〇)の「岩付領内村名石高家数人数寄帳」(吉田家文書)には、家数三二戸と載る。
 当地には、中通・新田・上組・原組・下組の五つの村組があり、このうち中通の鎮守として祀られているのが当社である。拝殿の正面には「正一位稲荷大明神」の社号額が掛かり、本殿には金幣を筥に納めて奉安する。その創建については明らかではないが、『風土記稿』によれば、別当であった真言宗慈眼山観音寺は、開山の宥範が宝永六年(一七〇九)に寂している。
神仏分離により別当観音寺から離れた当社は、社格制度に際し無格社とされた。

 祭神は倉稲魂命である。
                                  「埼玉の神社」より引用
        
            拝殿に掲げてある「正一位稲荷大明神」の扁額
 氏子は瓜田ヶ谷の村組の一つである中通りで、『明細帳』では「崇敬者五拾二人内戸主九人」と載っており、現在の戸数は15戸程。3月の「十日祭り」は中通組の重要な祭りで、氏子全員が神前にそろい参拝する。その後、氏子の一軒を宿にして集まり、祝宴をお紺った後にその年の組長や班長の役員選出を行うという。因みに、「十日祭り」で宿を決める際には、東から順次西へ家並み順となっているようだ。
 瓜田ヶ谷の鎮守は諏訪神社であることから、中通組の人々は元旦にはまず諏訪神社に詣で、次に当社に参詣するのが通例であるという。


【瓜田ヶ谷愛宕神社】         
        
             
・所在地 埼玉県白岡市瓜田ヶ谷401
             
・ご祭神 火之迦具土神(推定)
             
・社 格 旧瓜田ヶ谷新田組鎮守・旧無格社
             
・例祭等 祭礼 415
 瓜田ヶ谷稲荷神社から直線距離にして400m程北西側に鎮座している愛宕神社。瓜田ヶ谷「新田」で組の鎮守として祀られてきた社である。
        
                 
瓜田ヶ谷愛宕神社正面
 社殿は、高さ2m程の盛り土の上に建立されており、その周囲は現在杉を含めた雑木林となっている。そのため、当社の境内は子供たちの格好の遊び場であり、氏子の間では「神様は子供がよくなじむ」とか「愛宕様で遊ぶと怪我をしない」といわれてきたという
        
                    拝 殿
 愛宕神社  白岡町瓜田ヶ谷四〇一(瓜田ヶ谷字荻原)
 当社がこの地に勧請された時期は定かでないが、当地の草分けの一人で永代総代を務める家は、「お友様」と呼ばれ、武士であった先祖が当地で帰農したとの伝えがあり、当主で一六代目となることから、恐らくは近世の初期にこの地を開発するに当たって草分けたちが守護神として祀ったのが当社の創建であると思われる。江戸時代までは、観音寺という真言宗の寺院の持ちであったが、当社の境内の東隅にある薬師堂(通称は「寮」)にいた僧が祭祀にかかわっていた時期もあったらしく、堂のそばの共同墓地には元禄から享保(一六八八〜一七三六)にかけての僧の墓石数基が残っている。
 神仏分離によって当社は別当の観音寺から離れ、地域住民の手で管理されるようになった。社格は無格社であったが、住民の厚い信仰があったことから合祀の対象となることもなく、今日に至っている。
                                  「埼玉の神社」より引用

 当社は新田の組の鎮守であるが、新田の住民のみならず、他所からの参詣者も多い。とりわけ、古くから「お腹に御利益がある」といわれており、腹が痛む時には境内にある杉の皮をむしり取って患部に当てておくと治るといわれている。


参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」等


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