稲乃比売神社
主祭神 稻田姫命 素盞嗚命 大己貴命 少彦名命
『大日本地名辞書』保食神
『神祇志料』宇加乃売神
延経『神名帳考証』『神祇宝典』和賀宇加乃売命
社 格 旧村社 武蔵国 男衾郡鎮座
由 緒 創立年代不詳
例 祭 10月18日 秋祭り
稲之比売神社は埼玉県道294号坂本寄居線を鉢形城を右側に見ながら南下し、最初の交差点の手前のT字路を左折し道なりに真っ直ぐ進むと、約200メートル位で到着する。専用の駐車場は無いが鳥居の前に空間があったのでそこに駐車し、参拝を行った。
稲乃比売神社
往古 土民のこの地を拓けるや、建国の神 稲田姫の命、素盞嗚命、大己貴命、少彦名命の四神を斎き祀りて崇敬し、以て泰平を楽しみたりき。人皇五十三代淳和天皇の御宇 天長年間に至り、相馬氏 祠官となりてこれを奉祀せり。由来、鉢形村は西に連山を控へて秩父の関門をなし、北に荒川の断屋を巡りて要害に適し、その地域高層にして関東平野の西を限り、一望にして四方に令するの地なり。従って日と共に開拓されて土民 相増し、豪族 相拠るに及び、当社は鉢形村総鎮守として厚く崇敬せられ、神徳益高く、以て異状なる発展をなしたりき。
冨田永世輯録の『北武蔵名跡誌』に「武蔵国男衾郡木持村 延喜式内稲乃比売神社 戸数六十」と記され、『武蔵四十四座調』には「男衾三座の内 稲乃比売神社は鉢形領数釜の庄 鉢形町にあり 神主相馬氏」とあり、その鉢形領数釜の庄鉢形町は、元亀 天正年間に於ける鉢形城主の威望盛なる当時の町名にして、現在 鉢形村の前名なり。
『武鉢形外曲輪名所記』に「惣社氷川大明神稲乃比売神社 祭神四座 櫛稲田姫命 素盞嗚命 大己貴命 少彦名命 武蔵四十四座の内男衾三座の一 城中の守護神たり 元亀年中城外より勧請す」とあり、その後 幾多の星霜を経るに従ひ、社殿の朽廃せるものあるを以て、安政年間これが改築を行ひ、以て現在に及べり
今でこそ規模の小さい社だが、荒川に臨んだ絶崖の地に位置し、天然の要害をなしていた鉢形城の南に鎮座している。古代、中世にかけては地域の一拠点としては男衾郡の他の式内社である小被神社、出雲乃伊波比神社より格段の場所に社を構えていると言える。
当地は渡来系氏族の「壬生吉志(みぶきし)」氏の在所でもあり、古代以来祭祀を司っていたとされる。のちに氷川信仰によって「氷川神社」と社名変更したそうだ。天正18年に鉢形城が落城した際(秀吉の小田原攻め)、兵火にかかって社殿および小記録を焼失してしまったという。
一間社流造で中々に立派な彫刻が施されている本殿
稲之比売神社は城南中学校西に鎮座する。神社の前方50mの地点他に湧泉があり、この地を開拓して集落を形成した古代の人々が、豊穣なる収穫を祈つて稲魂を地主神として祭り、祠を立てたものと思われる。
中世、氷川社・氷川大明神と称したが、明治維新に際して稲乃比売神社と改称した。
神職は天長元年(824)6月28日以降代々継承して今日に至っている。