古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

大袋白髭神社

 百度参り(ひゃくどまいり)は、日本の民間信仰で、神仏に祈願するために同一の社寺に百度参拝することである。お百度(おひゃくど)ともいう。百度参りの祈願の内容は、多くは個人的なものであり、その内容が切実なものである場合に、一度の参拝ではなく何度も参拝することでより、心願が成就するようにと願ったものである。
 元々は、近くの氏神神社や有名な社寺に、百日間毎日参拝するというもので、これを百日詣という。それが簡略化され、また、百日もかけていられない急を要する祈願があって、一日に百度参るという形で百日詣の代わりとするようになった。
 百度参りの方法は、社寺の入口から拝殿・本堂まで行って参拝し、また社寺の入口まで戻るということを百度繰り返す。俗にこれを「お百度を踏む」という。
 社寺の入口近くに、その目標となる「百度石」という石柱が立てられていることがある。回数を間違えないように、小石やこより、竹串などを百個用意しておいて参拝のたびに拝殿・本堂に1個ずつ置いたり、百度石に備えつけられているそろばん状のもので数を数えたりする。
 川越市大袋地域に鎮座する白髭神社の境内にもこの百度参りのための百度石や、拝殿にもその数を数えるそろばん状の箱も置いてある。
        
            
・所在地 埼玉県川越市大袋258
            
・ご祭神 猿田彦命 清寧天皇
            
・社 格 旧大袋郷産土神 旧村社
            
・例祭等 祈年祭 2月17日 春祭り 4月15日 天王様 7月14日 
                 
秋日待 10月15日 勤労感謝祭 11月23日
 池辺熊野神社から直線距離にて500m程南側に鎮座する大袋白髭神社。「大袋」という地域名の由来は昔入間川が袋のように流れていたことによるという。既に戦国期にその地名は見えていて、古くから開けていたことが分かる。
 この地は、市街地を控えて宅地化されつつあるが、まだ農村の面影が所々残る地域であり、古くは米麦や茶と並行して養蚕を行っていたという。
       
             大袋白髭神社正面の一の鳥居と社号標柱
 参道は道路沿いにはなく、民家の間に一対の幡立て用のポールが建ち、その道を進んだ先に鳥居等がある場所に達することが出来る。但し、鳥居の位置も微妙に参道に近すぎていて、写真のアングルもこのように斜めからしか撮影できなかった。
        
           一の鳥居を過ぎた先にある両部鳥居の二の鳥居
『日本歴史地名大系』 「大袋村」の解説
 豊田本村・豊田新田の南、入間川右岸の低地および台地上に立地。村名はかつて当地付近まで入間川が蛇行し、袋のような形であったことに由来するという(風土記稿)。応永三年(一三九六)一〇月一八日書写の大般若経(栃木県日光市輪王寺蔵)巻二四九の奥書に「河越庄大袋」とみえる。享徳三年(一四五四)末、鎌倉公方足利成氏は対立する関東管領山内上杉憲忠を謀殺、享徳の大乱が始まった。翌年五月一四日「武州大袋原」で足利成氏方と戦った豊島内匠助(泰秀の弟)の戦功が上杉房顕より賞されている(七月六日「上杉房顕感状」豊島宮城文書)。

 二の鳥居を過ぎた先が境内。社叢林もあり       参道左側にある手水舎
    つつ、同時に開放感のある広い境内     手水舎の左側には百度石が建っている。
        
           社殿の手前で、参道に対して右側にある土俵跡
「埼玉の神社」において、当地は古くから相撲が盛んであったといい、当時の相撲は農閑期の余興として行っていたもので、拝殿前に参道敷石がないのは、そのあたりを土俵とした名残であるという。拝殿には年号不明の古い相撲番付額が掛かっていて、昔は盛んにやっていたのであろう。最近では、大正13年・昭和27年に行ったようであるが、その際に、関取が泊まった家も残るなど、僅かに昔の賑やかさが偲ばれる。
        
                    拝 殿
『新編武蔵風土記稿 大袋村』
 白髭社 永祿年中勸請の由、增形村本明寺の持なり、藥師堂 稻荷社


 白髭神社  川越市大袋二五八(大袋字前畑)
 猿田彦命・清寧天皇を祭神とする当社は、永禄一一年三月二三日字広町(通称ガッサラ塚)から現在地へ移転したと伝え、『風土記稿』は「永禄年中勧請の由、増形村本明寺の持なり」と記している。また、一説に多磨郡新井村の九右衛門なる者が創建したともいう。
 広町の跡地は雑木林で、古くは八幡社があったと伝えているが、今は何もなく、ただ、立ち入ると罰が当たるといわれている。
 別当は隣村増形の白山神社同様成就院本明寺というが、天和三年の「奉造立白髪大明神宮」の棟札には「社主正覺院權大僧都法印 成就院權大僧都」とし、享保一二年の「奉造立白鬚大明神宮」の棟札には「法印宗圓・別当行寶院」と記してある。宗円は本明寺六世であるが、正覚院 行宝院は不明である。「髭」の字の変遷もまた不明である。
 明治五年に旧来の鎮守により村社となり、大正四年には大字山城字欠下の八坂神社・白髭神社、字株梗木の神明社、大袋新田字愛宕側の愛宕神社、同境内社白山社を無格社であったことにより合祀した。しかし、無格社とはいえ信仰ある他村の神社を合祀するのは無理があったため、これらの神社は戦後再び戻された。合祀は、一説に、山城の八坂社と、大袋新田の愛宕社と高橋の山王様であったともいわれ、そのため、祭りに七歳の子が初めて獅子を舞う時には、この三社を巡ったという。
                                   「埼玉の神社」より引用
        
         境内に設置されている市指定文化財の本殿の案内板と石碑
        
                    本 殿
『川越市HP』において、平成19年8月10日に「市指定有形文化財・建造物」として指定を受けている本殿は、覆屋内の切石積基壇の上に据えられた一間社の建築である。屋根は木瓦葺で、正面に千鳥破風と軒唐破風(のきからはふ)を付けた入母屋造の珍しい形式を採用している。建築年代については、史料がないので明らかではないが、基壇の西側側面に「慶応四戊辰年 九月吉日」の年紀と寄付者の名前が刻まれていることから、慶応4年(1868)に造営されたものと考えられている。
 本殿の建築は、身舎(もや)、向拝ともに江戸彫りの巧みな彫刻で満ち溢れている。身舎の三面を飾る彫刻板や向拝の中備(なかぞなえ)に嵌め込まれた迫力ある竜だけではなく、四手先に張り出した縁腰組下にまで獅子、麒麟、亀などの霊獣彫刻が彫られ、見応えのある建築であるとの事だ。
             
                                     本殿内部
        
           境内東側の道路沿いに祀られている境内社・稲荷社
        
              境内北側奥に祀られている八坂神社
 この八坂社において「天王様」が7月14日に行われている。天保8年村中に悪病が流行した際に、この社は創建されたところから、疫病除けの行事とされている。
「天王様」と「秋日待」の二つの祭事において、この地で伝承されてきた獅子舞を境内で演じた。天王様は素足にて、秋日待には草鞋で舞うのを例として、演目には「入れ端」「コノミヤハ」「雌獅子隠し」などがあるという。
        
                          境内から眺める広々とした社の一風景


参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「川越市HP」
    「ウィキペディア(Wikipedia)」「境内案内板」等

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