古社への誘い 神社散策記

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大鶴巻古墳・小鶴巻古墳

 かつて古墳時代、高崎市東南部の烏川流域の下佐野町地域から倉賀野町地域にかけての左岸段丘上には、300基近い大型の前方後円墳・円墳が広く分布しており、特に烏川左岸の粕沢川流域には『倉賀野古墳群』と総称される古墳群が形成される。近接する東方井野川下流域の古墳群ともあわせると、付近一帯は古墳時代のほぼ全期間にわたるきわめて大規模な古墳分布地帯である。
 この大規模古墳群には、突出した規模を誇る前方後円墳である倉賀野浅間山古墳を盟主墳とし、粕沢川左岸に築造時期が近接する前方後円墳である大鶴巻古墳が、右岸には同じく前期円墳と考えられる庚申塚古墳・大山古墳等が築造されている。古墳時代前期において大型墳が集中する現象は稀有であり、倉賀野古墳群の優位性が際立っているのだが、古墳時代中期になると、5世紀後半に築造されたと推測される主体部に舟形石棺を有する小鶴巻古墳等幾らかの遺跡は確認できるが、倉賀野浅間山古墳周辺において遺跡数は大幅に減少し、烏川左岸縁辺部においても同様な傾向となる。
        
            ・名  称 大鶴卷古墳
            
・所 地 群馬県高崎市倉賀野町661番地ほか
            
・形  状 前方後円墳
            
・規  模 墳丘長123m 高さ10.5m
            
・指定種別 国指定史跡(昭和248日指定)
 倉賀野神社の南西方450㍍ほどに大鶴卷・小鶴卷の二大古墳がある。『群馬県歴史の道調査報告書11:中山道HP』による「鶴巻」という名称の由来は、弓弦を巻く弦巻であるとか、鶴舞の転訛などの説があるが定かでない。古老の話では、この辺一帯は鶴の飛来地であったというから、あるいは「鶴舞」説が正しいかも知れないとの事だが、真偽の程はわからない。
 大鶴卷古墳は、墳丘全長123㍍、後円部径72㍍、同高さ10.5㍍で、2段築成(後円部は3段の可能性有り)で葺石・埴輪を備え、幅約25㍍の周堀をめぐらせる大前方後円墳である。4世紀から5世紀前半頃の築造と推定されている。
        
                  史跡 大鶴卷古墳
              案内板は西側前方部と後円部とのくびれ部付近に設置されている。
        
                 大鶴卷古墳の案内板
 史跡 大鶴巻古墳
 この古墳は、烏川左岸の段丘上に築かれた全長一二三mの前方後円墳で平坦地に土地を二段に盛り上げてつくられています。ただし、後円部の墳頂下五mのあたりで等高線の間隔がゆるやかになる部分が見られることから三段築成の可能性もあります。後円部の径が七二m、高さ十.mであるのに対し、前方部の長さ五一m、前端幅五四m、高さ六.mと、後円部に比較して前方部の幅が狭く、未発達という特徴を持っています。墳丘のまわりには楯型の周濠をめぐらし、地割りにその痕跡が残るなどよく原型をとどめています。墳丘の表面には埴輪や葺石として用いられた川原石が認められます。主体部は明らかにされていませんが、竪穴系の埋葬施設があったと考えられ、墳丘・周堀りの形状や採集された埴輪の特徴から四世紀から五世紀初頭にかけてつくられたことが推測されます。
 所在地 高崎市倉賀野町六六一番地ほか
 指 定 昭和二年四月八日
 高崎市教育委員会                               案内板より引用

        
                   後円部を撮影
 
  後円部の楯型の周濠も綺麗に保存されていて、よく原型をとどめている(写真左・右)。

 大鶴巻古墳の出土品として、円筒埴輪や鰭付き円筒埴輪があるが、これらは黒斑を有し突帯突出率も高いものになる。これら埴輪や墳丘・周堀の形状から、大鶴巻古墳は4世紀末から5世紀初頭にかけての築造と推定されている。

        
             
・名 称 小鶴卷古墳
             
・形 状 前方後円墳
             
・規 模 墳丘長87m 後円部径約50m 前方部幅約40m
 小鶴卷古墳は大鶴卷古墳の北に接し、墳丘全長約87㍍、後円部径約50㍍、前方部前幅約40㍍、幅約20㍍の周堀を有する前方後円墳で、一見するだけでは87㍍という墳丘長には正直見えない程、採土のためかなり変形しているようだが、貴重な歴史的な遺物であるため大鶴卷古墳と併せて末永く保存してほしいものである。後円部墳頂において凝灰岩製刳抜式石棺が見つかっており、これを基に大鶴巻古墳に続く5世紀後半の築造と推定されている。
        
             後円部付近に設置されている案内板
 小鶴卷古墳
 この古墳は大鶴卷古墳と共に、五世紀後半のものと推定される前方後円墳で、倉賀野古墳群を代表する首長墓の一つでもあります。墳丘全長約87m、後円部径約50m、同高約6m、前方部は前幅約40m、同高約2.5mで、幅約20mの周堀を有しています。
 後円部蓋の頂上中心部に舟形石棺と考えられる凝灰岩製の刳抜式石棺が安置されております。その石棺の蓋の部分の既掘穴(盗掘の穴)から見ると、内部には赤色塗彩がなされているとの報告もありますが、詳細は不明です。
 前方部は現在、共同墓地、畑地となっていますが、後円部高と比較して低平です。周堀は在宅化で原型の把握が困難ですが、堀と墳丘を一周していることは確認できます。出土する埴輪片は窖窯(あなかま)焼成で、外面に縦ハケの調整が施されています。
                                       案内板より引用
        
               道路沿いから眺めるように撮影


参考資料「
群馬県歴史の道調査報告書11:中山道HP」「高崎市HP」
    「ウィキペディア(Wikipedia)」「案内板」等

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